「それ、絶対まずい」「お母さんみたいな人生はイヤ」親になった今、自分の母に懺悔したいこと
今回のテーマは、「母への懺悔」についてです。
親になってから自分の子どもの頃を振り返ると、親に対して「なんて、ひどいことをしちゃったんだろう…」と思うような経験はありませんか?親になった今だからこそわかる、母親の気持ちや行いもありますね。口コミサイト「ウィメンズパーク」の投稿にも、母親への懺悔が寄せられています。そんな後悔の声を紹介します。
■ 食卓を滅茶苦茶にしたのに責めなかった母
「子どもの頃、晩ご飯がほぼできあがっていた食卓の上に、手伝いで運んでいた茶碗を落としてしまったことがあります。食卓には破片が飛び散り、すべての晩ご飯が食べられなくなってしまいました。きょうだいゲンカで騒いでいると、ビンタをするような怖い母だったのに、その時は怒られた記憶はありません。『仕方ないね』と晩ご飯が宅配ピザになったことは覚えています。
晩ご飯作りや破片の後始末が大変なのも、作った料理を処分する悲しさも、当時は知らずにいました。家庭を持って晩ご飯作りの苦労を知った後、『昔、あんなことあったね。あの時は申し訳なかったなぁ』と母に言ったら、母は覚えてなかったのです。私は我が子が同じことをした時に、果たして、怒らず、責めず、文句言わず、いられるのだろうか…」
■ 便利なものがない時代にずっと作ってくれたお弁当
「私は、中学から7年間、母にお弁当を作ってもらっていました。それも当たり前のように。我が家は兄弟姉妹が多いので、母はどのくらいの期間、お弁当を作り続けたのでしょう。今のように便利な冷凍食品がたくさんある時代でもなかったので、さぞかし大変だっただろうと自分も親になった今、思い返します」
■ 母の化粧品で遊んでいた私
「私は子どもの頃、体が弱く、学校を休みがちでした。母が買い物に行った合間に、普段は立ち入りを禁止されている両親の部屋に入り、ドレッサーでお化粧したことがありました。パフパフと顔にファンデーションをはたいて、口紅ぬって…。
『お母さん、そろそろ帰ってくるから布団に戻ろう!』と思ったものの、口紅は落ちないし、ファンデもとれません。しかたなく布団に潜り込んだ私の顔を帰ってきて見た母は、黙って化粧落としできれいにしてくれました。怒られなくてほっとしていたけど、どんな気持ちだったのかな?」
■ 母の誕生日を家族みんなで忘れていて、ごめんなさい
「私が小学生の頃、ある日の夕飯がとても豪華でした。家族で『今日、豪華だね』と話していて、そのうち、家族の1人が『「あ! 今日はお母さんの誕生日だ」と気づいたんです。そう、家族全員、母の誕生日を忘れていたんです。その時の母の悲しそうな顔が今も忘れられません。
その後、みんなで母に謝り、私は夕飯後に急いで画用紙で小物入れを作ってプレゼントしました。
父がモラハラ夫で、いつも1人で泣いてた母。数年前に認知症と診断され、その日のことは覚えてないと思いますが、今も申し訳なかったと思っています」
■ 「なぜ、お母さんの仕事の手伝いを私に」と責めた過去
「うちの両親は共稼ぎだったので、私は小学生の頃から洗濯物を取り込んだり、米を洗ったり、風呂を入れたりと、お手伝いをしていました。ただ、お母さんが専業主婦の友だちから、そうした手伝いを一切していないと聞いて、母に詰め寄ったことがあるんです。
『お母さんって、洗濯物を入れたり、ご飯を作るのが本来の仕事だよね? なんで、私にやらせるの? 仕事するのは勝手だけど、すべきことはちゃんとして欲しい!』と。あの頃は家族のために必死で働いてたんだろうな。そんな時に娘にあんなこと言われて…。そして、まだ謝れていません、私」
■ 茶色い我が家のお弁当への文句
「私の実家は4世代家族の農家で、その嫁として母は、本当に大変だったと思います。田舎なので近くにスーパーもなく、お弁当のおかずも、いつもうちで取れる野菜を使った地味で茶色いお弁当でした。友だちのお弁当は色のバランスも良くて、いいなぁと思ってしまい、『うちはいつも茶色いお弁当!』と文句を言ったことがあります。
自分も今、一番上の子が高校生になり、毎日お弁当を作っていますが、朝のバタバタの中、お弁当を作り続ける大変さを身をもって感じています。母はきっと大家族の嫁として、農繁期の忙しさは私の比ではなかったと思います。
その他にも、反抗期にいろいろとキツく言ってしまったことがあり、今になって悪かったなぁ…と思い返しています」
■ 体調を崩した母を気遣えなかったことが今も心に
「自営の仕事もしながら家事もすべてやっていた母。そんな母がめずしく体調を崩して寝込んだ時がありました。そして布団の中から、『買い物してきてくれないかなぁ…、どうしても必要な〇〇だけ』と私に頼んできたのです。その時、漫画を読んでいた私は面倒くさいという気持ちが先に立って、つい『え~、今宿題やろうとしていたところなのに』と本当に嫌な返事をしてしまいました。
いつもなら、怒っても言葉で叱る母が、その時手元にあったちょっと厚めの本を無言で私に投げてきました。もちろん当たらないように。母は無言で布団を頭の上にまであげました。その姿に私は固まりました。きっと母は怒るよりも情けなかったんだろうなぁ。
このことは母を失くすまで、はっきり覚えていましたが、自分から言葉に出せないままでした。今でも心がチクチクします」
■ 作っている姿を見て「それ、絶対まずい」と言ってしまった
「高校生の頃、母が夕ご飯が生卵と納豆、オクラを混ぜたものを作っていました。それを見て、ふざけ半分で『えー! それ食べるの? おいしくなさそうー!』と言ってしまったことがあります。
母は『そんなことない、おいしいよ』と答えたのに、私はまたふざけて『おいしいわけない! 絶対まずい!』と言ってしまいました。母はその後、怒るでもなく黙ってしまい、『あ、やっちゃった』と思いましたが、バツが悪くて謝れませんでした。そしてその後、母が『納豆卵オクラ』を出すことは一度もありませんでした。
30代後半になり、子どもに毎日ご飯を作ることの大変さ、栄養バランスを考える愛情などを身をもって知り、実家に帰省した時に『あの時はごめんね』と謝りました。母は覚えていて、次の日に『納豆卵オクラ』を出してくれた時、今度は『おいしいね!』と言って食べることができました」
■ 「母さんみたいな人生は嫌」と言った自分を張り倒したい
「私の母は大人になっても田舎を出ることを許されず、お見合いで結婚。1年365日働く毎日でした。
親の世代からの農家だから、家業・介護・育児と忙しく、自分の身なりを振り返ることもできない日々だったと思います。化粧をするのは、冠婚葬祭と入学式や卒業式のみ。
そんな母を見て私は、『都会に出て、エリートサラリーマンと結婚する。農家は嫌。母さんみたいな人生は嫌』と、今考えたら、後ろから張り倒したいようなことを言っていました。
時代も後押しして私の夢は現実になりましたが、大人になって、なんて酷いことを言ったものだと思いつつも、母はあの世へ。ちゃんと謝れば良かった。母さんの娘で本当に幸せだったと、もっともっと言えば良かったと思っています」
その時は感情にまかせて言ってしまったことが、今思えば、母を傷つけていたのではないか…という懺悔の声でしたね。自分が親になって分かるようになった母親への感謝の気持ち、ぜひ機会があれば伝えてみてはいかがでしょうか。(文・橋本真理子)