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不妊治療を経て44歳で第一子を出産。「手首も膝も肩も痛いし、ずっと抱っこしているのに全然寝ない~」白目をむいて育児に奮闘中!日々、まわりの人の優しさに感謝【フリーアナウンサー・宮崎宣子さん】

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宮崎宣子さんと息子さん

昨年10月に第一子となる男の子を出産した、フリーアナウンサーの宮崎宣子さん。40歳を超えてからの不妊治療や妊娠、出産は、ご本人の想像以上に大変な日々だったそうですが、ご主人に支えられたからこそ乗り越えられたとか。今回は、産後に利用した制度について、また、お子さんが生まれてからの夫婦の関係性や家族の将来について聞きました。

産後の大変さを事前にイメージして、区の制度をフル活用!

産後ケアセンターに滞在中の宮崎さんと息子さん。
産後ケアセンターに滞在中の宮崎さんと息子さん。

――出産での入院の後に、ケアセンターに入院していたそうですね。

宮崎さん(以下敬称略):帝王切開後は9日間入院して、その後は同じ病院で産後ケアを受けられたのでそのまま1週間延長して入院していました。妊娠が確定して母子手帳を貰いに行った時に、助産師さんとの面談があったんです。その際に区の制度で産後ケアが利用できるので、ご両親などのサポートが得られない方は使ったほうがいいですよと教えてもらいました。区からも補助が出て自己負担額も少なく済むので、これは使わない手はないなと思いました。産後ケアは日本ではやっと最近利用される人が多くなってきたみたいで、友人でも使っている人はけっこう多いです。私も高齢出産ということもあるので、利用できる制度はできるだけ使わせてもらおうと思いました。

出産直後には区の制度で利用できる病院の産後ケアを受けたんですが、先日は民間が運営している産後ケア施設を利用してきました。産後のお母さんは全治2ヶ月のダメージを負ったも同然の身体と聞いて、確かに回復もなかなかしないままで生まれたばかりの赤ちゃんと向き合うのは相当な負担があります。両親のサポートなどあれば良かったのですが難しかったので、夫が出張などで家を空ける間はそういったサポートを積極的に受けようかなと思っています。

――育児や家事をご主人と一緒にしているそうですね。ご主人は育児休暇を取得したのでしょうか。

宮崎:はい。私の両親も夫の両親も遠方に住んでいるため、産後にサポートしてもらうことが難しかったんです。そこで夫が1カ月間、育休を取ってくれました。夫の会社は育休を推進しているようで、先輩方も取られている方が多く実際に取りやすかったみたいです。

育休の間は夫と交代しながら育児をしてきたのですが、二人でもいっぱいいっぱいだったのでこれを一人でやるのは本当に大変だなと思いました。「産後の恨みは一生」という言葉すごくよくわかりましたね。逆に、今回助けてほしい時に夫が助けてくれたので「産後の恩は一生」かも?とすごく感謝しています。夫が育休を取ってくれて、精神的にも肉体的にもすごく救われたので。

息子さんと散歩中の宮崎さん。
息子さんと散歩中の宮崎さん。

――育休を経験して、ご主人の違った一面は見られましたか。

宮崎:夫は子どもが生まれてすごく変わりました。自分の親世代が育休など取っていなかったこともあり、夫に育休を取ってもらっていいのか迷っていました。

最初は夫には育休を取ってもらわずに頑張ってみようかという感じだったんですね。ところが実際に息子が生まれたら夫が育休を申請してくれていて、本当に良かったと心底思いました(笑)。

出産後おおよそ2週間は病院にいたのですが、その間も仕事がある時以外は面会時間の最初から最後までずっといましたね。おかげで息子を助産師さんに預けて休みたくても、ずっと病室に一緒にいる感じでしたが(笑)。

それと寝ている時に息子が泣くと、私よりも早く気づいて抱っこをしてくれることも多いです。さらにいつも息子を私に見せながら、「かわいいなぁ、かわいいでしょ?」と言ってすっかり“パパ”になりましたね。

出産前は保育園も検討していたのですが、夫はできるだけ長くそばにいたいと思うようになったみたいです。私も息子と一緒にいればいるほど、笑うようになったり小さな成長を日々感じられるようになってきて。こんな時期も一度しかないのでこれを見逃すのはもったいないかな〜なんて思うようになりました。この歳で授かることができたのは奇跡なので、一日一日を感謝しながら息子を見ていたいなと思っています。

――子育ての中で、今一番大変なことはなんですか?

宮崎:今両手首ひどい腱鞘炎になっているので、赤ちゃんを抱っこするのがとにかく大変です。沐浴も夫の育休中は夫が担当してくれたのですが、これからはそうもいかなくて。それで、区の制度で利用できるドゥーラ(自宅に来てくれて、赤ちゃんのお世話の環境づくりをしてくれる専門家)の制度を利用させてもらう予定です。赤ちゃんの沐浴もしてくれるんです。

また、とにかく寝る時間がないんです。3〜5時間おきに授乳があり、ゲップさせたり寝かしつけたりして、その後に吐き戻しなどを見守っていると、すぐにまた次の授乳の時間になってしまって。なので食事の支度をする時間もなく、買い物など家から出ることもできなくて、そのあたりが最初はとくに大変でしたね。

今後は育休が終わって夫も仕事で家にいない時間が増えるので、民間の産後ケアの施設を利用したり、産後ドゥーラや家事代行のような制度も使えるので利用できるものは全部活用させてもらおうと思っています。

高齢出産で体力的には大変。年齢を重ねた分、心は穏やかに

宮崎さんと息子さん。
宮崎さんと息子さん。

――現在、44歳で妊娠・出産されて、何か年齢的なところで思うところはありますか?

宮崎:出産を経験して、奇跡をもらったと思っているんです。今の生活は、自分がかつて想像していなかった未来なんですよね。それには感謝しかないんです。

もっと若かったら第二子のことを考える人もいるかと思うんですが、私の場合は手首も腱鞘炎がひどく、膝も肩も痛いし体力的に一人が限界です。若い頃だったら寝なくてもやっていけたのかな、なんて思うこともあります。私の場合は、「ずっと抱っこしているのに、全然寝ない〜」と毎日白目むいて子育てしていますから(笑)。

ただ年齢を重ねている分、精神的には少し余裕はあると思うんですよね。赤ちゃんに対してイライラしたり攻撃的な気持ちになったりとかはないので、そのあたりは諦めが早いというか、仕方ないよね〜と割り切れるときも多くて、年の功なのかなと思ったりします。

あとは私の同級生の友だちは、子育てがひと段落している人が多いんです。家に遊びに来てくれると、「懐かしい〜」「こんな時期あったな〜」と言って、ずっと抱っこしてくれたり、素早くオムツ替えてくれたり。その間に、私がお風呂に入らせてもらったりして、とても助かっています。これも年を重ねたからこその特権ですよね。

――妊娠中に仕事をしていて、社会の仕組みや制度で、もっとこうなったらいいのにという思いはありましたか?

宮崎:妊娠してから、世の中の人ってこんなに優しんだなとあらためて思いました。東京で一人暮らしをしている時は、世間って冷たいなと思うこともありましたが、おなかが大きくなってきてからはいろいろな方が声をかけてくれたり、席を譲ってくれたり、荷物を持ってくれたりと助けてくれる場面が多かったです。日本って、こんなにあたたかい心を持った人々のいる国だったんだなとしみじみと思いましたね。

実は大学院では、まわりに妊娠のことは言っていなかったんです。みんな真剣に勉強しにきているので迷惑をかけたり、気を使わせたくなくて。ビジネススクールと「出産」って対極なところにあるような気がしていました。だから、できるだけ隠していたんですね。

おなかが大きくなってきてからは、みなさん声をかけてくれるようになりました。「大丈夫?」と聞いてくれたり、私がくしゃみをしたらすかさず、「冷房消して!」と頼んでくれたり。私よりも年下の方が多いんですが、「みんな、いいやつじゃん!」(笑)って感じで、なんだかちょっとうれしかったです。

社会の制度としては、産後ケアの一環としてショートステイや、デイサービスという制度がありますが、利用できる期間が生後4カ月までのところが多く、また利用者がいっぱいで予約が取れないことが多いんです。産後に助けて欲しい、少しでも休みたいと思っているお母さんが多いということなんだと思いますが、制度があっても利用できる施設がまだまだ少なくて、使いたいのに使えないことがとても残念でした。ですので、もっと産後のお母さんのためにも施設を増やして、充実した制度になって欲しいと思いましたね。

通っている大学院のキャンパスにて。
通っている大学院のキャンパスにて。

――息子さんをこれからどんな風に育てていきたいか、またどんなご家族になりたいかなど、理想やイメージされているものはありますか?

宮崎:まずは健康で、楽しく生きてほしいです。そして人から愛される人になって欲しいですね。またこれからは世界へ出ていろいろな人たちと交流できるような人になってくれたらと思ったりしてます。今私が大学院に通って多国籍の学生たちと交流する機会があるんですね。授業の半分以上が英語で行われる時もあり、自分自身が英語ですごく苦労しているというのもあって。息子には、何の偏見もなく楽しくいろいろな人たちと交流できるよう広い世界を見せてあげたいです。

――不妊治療や出産を通じて、夫婦の関係は変わりましたか?

宮崎:期待しないことが、二人にとってプラスに働いたなと思うことが多かったです。不妊治療でも、「授かり物だよね」「やってみてダメだったら仕方がないよね」と、期待しないで楽しむということに気持ちをスイッチした時から気分がすごく楽になったなと思っています。夫がいるからこそチャレンジできることに感謝したり、夫の声掛けだったり、普段の接し方がすごく大きかったと思います。

そういうサポートがなく一人だったら最後まで続けられなかったかもしれないし、ここまでやろうとも思えなかったかもしれません。夫への感謝と日々の思いやりが相乗効果となって息子も奇跡的に私たちのもとにきてくれたのではないかと思っています。

もし夫から「もう不妊治療やめたら?」とか、「なんでそんなイライラしてるの?」など言われていたら途中で心が折れていたと思います。そういうことが一切なかったので、夫の人柄に対して感謝を持てたんですね。これから先いろいろなことがあったとしても治療中に助けてくれた思いというのは、私にとって財産になるんだろうなと思っています。夫婦としての礎みたいなものを夫が築いてくれたんですよね。

これからも私は、大学院生やフリーアナウンサーの仕事、事業もしていきます。また普段は妻として母としてと5つの草鞋を履きますが、この経験が相乗効果となって、それぞれ一つ一つを強固なものにしてくれたように感じています。

写真提供/宮崎宣子さん、取材・文/内田あり、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年1月の情報で、現在と異なる場合があります。

<プロフィール>
宮崎宣子さん
フリーアナウンサー。1979年生まれ、宮崎県出身。2012年に日本テレビを退社後、フリーアナウンサーとして活躍。 21年にご主人と再婚し、23年10月に第1子となる男の子を出産。現在、早稲田大学経営管理研究科に在学中。ボディケアブランド「EMARA」代表として、経営者・ハーバルセラピストとしての顔ももつ。

宮崎宣子さんのInstagramアカウント

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