【柔道金メダリスト・角田夏実】「結婚したい」「母親になりたい」。33歳、新たな夢と卵子凍結を決断するまで
2024年に開催されたパリオリンピック。柔道家の角田夏実さんは、ともえ投げを武器に日本女子史上最年長で金メダルを獲得し、話題となりました。大きな夢を成しとげた今、これからの人生について考える時間も増えたそう。角田さんが柔道に出会ったきっかけから、これからの人生についての思いまでを聞きました。全2回インタビューの前編です。
試合で負けて弱音を吐くと、いつも上手になだめてくれた母
――2024年に開催されたパリオリンピックを振り返り、現在はどんな心境でしょうか?
角田夏実さん(以下敬称略) オリンピックが終わりすでに1年以上が過ぎましたが、終わったのが最近のような感覚です。改めてオリンピックの存在の大きさを感じています。現在は柔道のことをさまざまな角度から発信していきたいと思っているので、イベントや柔道教室など、柔道以外のことにも積極的に取り組んでいます。
――そもそも柔道を始めることになったきっかけは何でしたか?
角田 小学2年生のころ、柔道をやっていた父に地元の警察署の柔道クラブに連れていってもらったことがきっかけです。私は気持ちが少し弱いタイプの子どもだったようで、両親は強くなってもらいたいと考えていたようです。当時は「柔道」がどんなものかは知らず、マット運動のような感覚で習い始めました。
――小学2年生から始めた柔道、これまで辞めたいと思ったことはありますか?
角田 実はことあるごとに辞めたいと思っていました。とくに試合に負けたときは「もう無理!」と両親に直談判していました。
――それでも続けてきた理由はどこにあるのでしょうか?
角田 母が私をなだめることが上手で、気持ちが下がってくると心が折れないように誘導してくれていました。母の声がけがあったからここまで続けてこられたように思います。
体重を気にしながら過ごした思春期
――思春期になると体も変化していったと思いますが、柔道を続けるうえで戸惑うことはありませんでしたか?
角田 体重を気にしていないといけないスポーツなので、常に減量のことが頭の中にありました。生理が始まると体重が減りづらくなったので、試合前に苦労したこともありました。
――生理のこと、とくに成長期の減量は大変だったと思います。
角田 運動量を増やして食事量を減らせば減量しますが、あまりしすぎると生理が止まってしまいます。なので中学生のときは階級を上げ、成長に支障のないようにしていました。高校生、大学生になってくると生理後は体重が減りやすかったり、むくみが取れやすかったりしたので、その時期に減量期間をとっていました。生理痛がひどいときは、体を温める食事をとったり、ストレスやイライラを感じても、生理中だから仕方ないと自分に言い聞かせたりして練習や、試合に打ち込めるように工夫をしていました。
――スポーツをやっている思春期のみなさんに声をかけるとしたらどんなふうに声をかけますか?
角田 体が変化する時期は、体重の上下が気になったり、試合の結果がいつもより気になったりと気持ちが不安になることもあるかもしれません。でも、今はこういう時期なんだと把握すれば戸惑うことが少ないと思います。自分の気持ちに向き合い、自分の体への理解を深めてほしいと思います。
女性としてここからの人生をどう歩んでいくか
――学生時代は勉強と練習、試合で忙しい毎日を過ごしていたと思いますが休みの日はどんなふうに気分転換をしていましたか?
角田 試合のない土日の午後は基本休みでした。お昼を食べてから遊びに行ったりしていました。試合前でなければ減量を意識しなくてもよかったので、普通に友だちとケーキを食べに行って気分転換をしていました。
――角田さんはオリンピック後に柔道を続けるかどうか悩み、女性としての人生をどう歩んでいくかという問題に直面したそうですね。
角田 オリンピックで金メダル獲得という夢をかなえることができました。オリンピック後は柔道を続けるかどうか悩みました。そして、女性としての人生をどう歩んでいくかということも考えました。これからの自分の人生の夢や目標を考えたとき、結婚をして子どもがほしいという思いが出てきたんです。このころから、柔道を引退したあとのセカンドキャリアについて真剣に考えるようになりました。
――柔道界でどなたか目標にされている方はいますか?
角田 現在、指導者として活躍している福見友子さんと多岐にわたって活躍中の松本薫さんの2人の柔道の先輩たちが目標です。現役時代を終えたのちに子育てをしながら道場へ戻ってきたり、新しい世界に踏み出したりしている姿は目標です
「私も母親になれるかな?」漠然な思いの中、卵子凍結を決意
――同じアスリートの方と現在の悩みを打ち明けたり、話したりすることはありますか?
角田 競技は違いますが、元スピードスケート選手の髙木菜那さんとはいろいろな話をする仲です。同じ歳ということもあり、とても話しやすい関係です。菜那ちゃんは現役を引退し、今は新しいステージで仕事をしています。今後いつか柔道の世界から離れたときに何ができるか不安がありますが、菜那ちゃんの姿に勇気をもらっています。
――結婚のことも話題になるかと思いますが、角田さんにとって「結婚」はどんなイメージですか?
角田 私の家族はとにかく両親がとっても仲がいいです。そして子どものことを考え、一生懸命です。私が海外で試合があるときも応援に来てくれるのですが、「海外旅行へ行く機会をくれてありがとう」と言って喜んでくれています。父は料理が得意で試合が終わるとごほうびにケーキを焼いてくれることもありました。常に前向きで明るい両親の姿を見て、私もいつか自分の家族のような家庭を築きたいなと考えています。
――お父さんがケーキを焼いてくれるなんてすてきです。
角田 私も作りたいなと思い父に教えてもらいながら作りますが、1人で作るとなかなか上手に焼けません。いつか父のようにおいしいケーキが焼けるようになるといいんですが…。
――25年夏、角田さんは将来のために「卵子凍結」を行いました。どういう心の動きがあったのでしょうか?
角田 まわりの友人が子どもを産み、お母さんになっていく姿を見ると、「母は強し」だなと感じます。私も年齢的に結婚し、母親になることがリアルになってきました。「自分も母親になれるかな?」という漠然とした不安はありますが、将来、後悔をしたくないので今できることのひとつとして卵子凍結を決意しました。
お話・写真提供/角田夏実さん、取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部
パリオリンピックで金メダル獲得という大きな夢を成しとげた角田さん。その感動は今も私たちの心に鮮明によみがえります。現在は、柔道家として活動を続けながら、女性としてどう生きるかという課題に向き合い、卵子凍結について考え始めたと言います。後編では卵子凍結を決断したところから実際、卵子凍結後の気持ちを聞いています。
角田 夏実(つのだ なつみ)
1992年生まれ。千葉県出身。父のすすめで小学2年から柔道を始める。高校2年ではインターハイ女子52㎏級で3位入賞。一時、柔道を辞めることも考えたが、顧問のすすめで大学進学を決意する。その後、寝技の強化に努め、大学3年のときに学生体重別選手権で優勝をはたす。2016年のグランドスラム東京では女子52㎏級に出場し、IJGワールド柔道ツアーで初優勝。世界柔道選手権48kg級3連覇(2021年~2023年)をはたし、柔道グランドスラムで金メダルを通算6個獲得した。2024年パリオリンピック48kg級で金メダルを獲得した。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年12月の情報で、現在と異なる場合があります。


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