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モデル・前田智子。「34歳。子どもか仕事か、今決めなくてもいい」と知ったあの日から、すべてが始まった【卵子凍結・体験談】

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モデル・タレントとして活躍中の前田智子さん。

「卵子凍結」というワードを聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。将来の妊娠・出産に備えて受精していない卵子を凍結保存する、今注目を集めている技術です。
モデル・タレントとして活躍する前田智子さんは2023年1月、36歳で卵子凍結をし、その様子をブログ、YouTubeで公開しています。実は前田さんは34歳のときに受精卵凍結も経験しました。全2回のインタビューの前編は、受精卵凍結について聞きます。

この先もまだまだ妊娠できる!と思っていた矢先、子宮頸がん検診で陽性に

モデルやラジオMCとして活躍している前田さんの撮影現場での様子。

真っすぐな視線が印象的な前田さんは、中学でダンスを始め、ニューヨークの大学に進学。コンテンポラリーダンスを学び、振付師としても活動していたアクティブな女性です。帰国後はモデル・タレントという芸能の世界へ飛び込みました。ピラティスインストラクターや、ユニークな視点と表現力を生かしてラジオのナビゲーターをするなど多方面で活動。「大好きな仕事をする上で大事な時期だった」という33歳のとき。ふと思い立って、ある検査に申し込みます。

「あと2年ほどで35歳というタイミングでふいに、‟これから先、私も子どもをもつ人生があるのかも。そもそも私にはまだ産むという選択肢は選べるの?”という思いがよぎったんです。私の中で、妊娠のしやすさは35歳がひとつの分岐点というイメージがありました。そんなときに知ったのがAMH検査(卵巣年齢検査※1)でした。

妊娠について気持ちも環境も整ってはいないけど、せめて今の自分の体の状態を知っておこう、という軽い気持ちで、人生で初めて産婦人科クリニックを受診しました。採血の結果、AMH値は27歳以下相当というもの。
20代はダンスに明け暮れたアスリートでしたし、体と向き合う意識は高かったので‟よし、若いらしいぞ。やったー!”と思いました。
その際に子宮頸がん検診をすすめられて、これも軽い気持ちで受けたんです。何事もないだろうと思ったら、なんと結果は『要精密検査』。『高度異形成の疑い』がある…簡単に言うと、子宮頸がんか、その一歩手間の状態とのことでした」(前田さん)

青天のへきれきレベルで頭は真っ白。不安でいっぱいのなか、まずは医師である実姉に連絡をとったそう。実姉は婦人科医ではありませんが、すぐに病院の候補をいくつかあげてくれました。

「詳しく検査をすると、進行が早いタイプとわかり即、治療が必要と告げられました。ただ重篤な状態ではなかったこと、医師の『未来の出産を考えて』という配慮から、フリーハンドでの最小限の切除とレーザー焼灼を組み合わせての手術となり、さくっと10分ほどで終了しました。
ですが、このときの『未来の出産』という医師の言葉が、私の未来の中で徐々に大きく渦巻くようになったんです」(前田さん)

※1/採血をして、AMH(抗ミュラー管ホルモン)の状態を調べ、卵巣内に卵子がどれぐらい残っているかを調べる検査。

“いつか”子どもを…という選択肢が消える?言い知れない不安に襲われて

東京のFMラジオ局でナビゲーターとして活動した33歳のころ。当時パートナーがいましたが、妊娠などで、この仕事から一時的にでも離脱する勇気はなかったそうです。

実はこのとき、前田さんには事実婚関係の夫がいました。
福岡出身の彼とは30歳のときに東京で出会い、この先も共に生きていくことを決めて同居。互いの両親への正式なあいさつを済ませたのち、2人は籍を入れない選択をします。やがて彼は仕事の関係で福岡に戻りますが、東京での仕事がある前田さんは、2拠点を行き来しながら結婚生活を送っていました。

「AMH検査をする前の私は“子どもがほしい?”と、聞かれれば”もう少し先で、機会があれば “と答える感じでした。
私の仕事は産休・育休に入ったら、同じポジションに復帰するのはなかなか難しい現状があります。当時は念願のレギュラー(番組)に就けたころで、東京・福岡を往復する生活はあわただしかったし、“母になりたい”という気持ちは後回しでした。

でも婦人科の病気を経験したことで、“いつかは”と思い描いていた未来が私には来ないかもしれない、と思うようになったんです。そんなときに姉の友人である婦人科の医師から、卵子凍結ができるクリニックがあるという話を聞いたんです。
しかも『事実婚の夫がいるなら、卵子凍結より受精卵凍結のほうが妊娠率的にもいい』とのこと。ただ当時、妊活系の知識がゼロだった私はチンプンカンプン。とにかく未来のために何か対策しておきたい、そのためにはひとつでも多くの情報がほしいと、クリニック主催の説明会に参加することにしました」(前田さん)

“今”産める状況ではないからと、自分の気持ちにふたをしていたことに気づく

受精卵凍結に向けて排卵誘発剤の投薬をしていたころ。明るい未来が待っていると信じて疑っていませんでした。

子宮頸部の手術から約半年後の2021年5月、前田さんは彼と一緒に、不妊治療クリニック主催のオンライン説明会に参加します。

「妊娠と卵子に関するたくさんのデータを使った説明会は、知らないことばかりでした。加齢による卵子の機能低下リスク、35歳から急降下する妊娠率・出産率など、時間を取り戻したい、もっと早く知りたかったと思う情報もありました。
でも私は『受精卵凍結』という選択肢を知ったとき、ぱぁっと未来が明るくなり、涙があふれて止まらなくなったんです。
それまでの私は“この先、仕事がどうなるかわからないし今産める環境じゃない”“親にはならないかも”と思っていた部分がありました」(前田さん)

ちょうどそのころ、前田さんは東京のFMラジオ局で念願のワイド番組を担当していました。当時の自分史上、最も充実していた時期であり、一時的でもキャリアから離脱できない、今は仕事が優先と決めていたけれど、言葉にできないモヤモヤを感じることがあったそうです。

「説明会を経て、心のどこかで『いつかは母になりたい』という思いが、自分という人間の底にもあったんだと気づいたんです。
仕事もしたい、子どももほしい。でも、ふたつを追い求めるなんて欲張りで、どっちに対しても無責任だと感じて、本当の気持ちにふたをし、どっちつかずの未来にジレンマを感じていたんです。
でも、受精卵凍結という、産む・産まない、以外の‟第3の選択肢”を知り、子どもか仕事かと“今”決めなくてもよく、計画的に考えることが可能であること。家族が増える未来をあきらめる必要はないことを知り、目の前がぱぁっと明るくなりました。

オンライン説明会で、未授精卵である卵子凍結よりも、受精卵凍結のほうが妊娠の確率が上がると知り、彼に『私、受精卵凍結をしたい』と、興奮気味に伝えたことを覚えています。彼も『やってみようか』と賛同してくれました」(前田さん)

3カ月後、34歳のときに前田さんは事実婚の夫と受精卵凍結をします。約60万円(保険適用外)の費用は、夫婦で負担しました。

受精卵の破棄、彼との別れ、そして卵子凍結へ

受精卵凍結のための採卵手術準備の様子。

前田さんは受精卵凍結までの道のりを記録する動画を撮りました。しかし、その動画は発信されることはありませんでした。
受精卵凍結をした翌年に事実婚の夫と別れ、受精卵は破棄することとなったためです。

「受精卵の凍結は両家の親にも報告していました。採卵手術で取れた卵子は22個。受精したうちの12個が凍結に進めるぐらい成長してくれました(※2)。凍結数によって保管費用も変わってくるので、『どうする? どうする?』と、2人で迷いながらも選びきれず12個すべて凍結しました。彼がうれしそうに自分の親に報告していたことを、今も覚えています」(前田さん)

別れの理由について、前田さんは「気持ちのすれ違い」とだけ話します。

「私だけでなく彼も仕事が大事なときでした。“今は産めない”という思いから受精卵凍結を選びましたが、その後、私の気持ちが大きく変わりました。
私にとって採卵は、陣痛こそ経験していませんが、なんとなく出産に近い感覚でもありました。自分の中にある卵子を取り出し、実際に目の当たりにし、“母になる”というスイッチが押された気がしたんです。さらにクリニックでは、受精卵の細胞分裂が進んでいく過程をタイムラプス(※3)というシステムを通じて映像で確認することもできました。生命力あふれる姿に“この子を産みたい”と思う気持ちが強くなったんです。
でもそのころから、彼の心は私から遠ざかっていきました」(前田さん)

前田さんは修復を試みるも相手の気持ちは変わらず、2022年10月、2人は事実婚解消の書類にサイン。別々の道を歩むことになり、受精卵は破棄となりました。

「離婚や事実婚解消、死別の際には、凍結した受精卵は破棄するのが決まりです。生まれてくる命が争いのもとになることを防ぐためです。成長を見守り、自分の中で大事な存在になっていた受精卵の破棄は、まるで自分の子どもを失うような感覚で、本当につらい出来事でした」(前田さん)

その後、前田さんは卵子凍結にトライすることを決めます。

「凍結時よりさらに年齢が進んだ段階での凍結受精卵の破棄、長い間一緒に生活していた彼との別れは大きなダメージで…。さらに当時、大切にしていた仕事もたて続けに終了し、すべてを失ったと思った時期でした。卵子凍結は、打ちのめされた私にとって、自分の足で立ち上がるために、またスタート地点に立つために、そのとき必要な選択だったんです。

受精卵凍結はある意味、幸せの結晶ですが、卵子凍結はそれとは異なります。私に出会いがない、つまり望む生活にたどり着けていないことを裏づけるものでもあります。
でも私は“子どもを産めるかもしれない”という、一度見えた明るい未来にもう一度、挑みたい。そう思いました」(前田さん)

※2/受精卵は細胞分裂を繰り返して成長。順調に育った良好な受精卵のみ凍結することができます。
※3/タイムラプス培養は、受精卵の発育状況を一定時間ごとに撮影し、動画のように観察できる先進医療のひとつ。より移植に適した受精卵を見極めることができます。

お話・写真提供/前田智子さん 取材・文/川口美彩子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

前田さんは自分の性格を「真正面からぶつかっていくタイプ」と言います。友人からは「もっと上手にやればいいのに」と言われることもあるそうです。
事実婚での受精卵凍結や健康な体での卵子凍結について、いろいろな立場からのさまざまな考えがある、と前田さんは話します。「出産する年齢を考えているのか」などと周囲から意見をもらったこともあったそう。「いいものだ、と卵子凍結を扇動するつもりもないんです」と、表現に迷いながらも、話してくれました。

インタビューの後編は、パートナーと二人三脚だった受精卵凍結とはまったく違う、卵子凍結の道のりについて聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

前田智子さん(まえだともこ)

PROFILE
東京都生まれ。高校卒業後はニューヨークの大学でコンテンポラリーダンス・振り付けを学び、帰国後はモデルとして活動。2016年J-WAVEで ラジオのナビゲーターのキャリアをスタート。ナレーションなどのほか、身体にまつわる多方面の知識をいかし、ピラティスインストラクター・アドバイザーとしても活動。WWFジャパンの顧問を務め、社会貢献活動にも従事。現在は、東京と福岡の2拠点暮らし。

前田智子さん のInstagram

前田智子さんのYoutube

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月の情報で、現在と異なる場合があります。
●生殖医療についての記載は『妊活たまごクラブ_赤ちゃんが欲しくなったら最初に読む本』『妊活たまごクラブ_不妊治療クリニック受診ガイド』を参考にしています。

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