子宮頸がんを患い、子宮と卵巣を摘出。特別養子縁組で得た子どもは「出会ったときからうちの子という感じがした」【体験談】
1999年7月に結婚した河村裕美さん。わずか1週間後に子宮頸がんの診断を受け、子宮と卵巣を摘出し、妊娠・出産の可能性が絶たれることに。32歳のときのことでした。
手術前に卵子や受精卵の凍結も検討しましたが、日本では代理出産が認められておらず「凍結した卵子や受精卵があることで、夫が離婚したくてもできず、自由を縛ることになるのではないか」との思いから、最終的に子どもを持つ選択は求めなかったと話します。
しかし、手術から16年たった2015年。特別養子縁組によって1人の女の子を迎え入れ、母としての人生を歩み始めました。
後編では、その出会いと子育ての日々を振り返ります。
子宮頸がんを経験し、子どものことはあきらめていたけれど…
静岡県庁で広報PRの仕事をしてきた河村さんですが、もともと社会福祉士と精神保健福祉士の国家資格を取得し、かつては児童相談所でケースワークを担当していた時代も。そのため、里親制度や養子縁組の制度に精通していました。
「子どもが大好きで、ずっと欲しいと思っていたんです。でも32歳で病気をして、自分の体では妊娠・出産ができなくなって。
出産にいたるほかの方法を検討するにしても“自分の体がこの先どうなるかわからない”という不安が大きくて、なかなか踏み出せませんでした」(河村さん)
とはいえ、子宮頸がんは生存率の高いがん。河村さん自身の手術後の経過も良好でした。
「子宮頸がんが完治したあとって、私もそうですが、みなさん結構、元気になるんです。後遺症には悩まされますが、普通に生活して、運動をできるくらいまでは回復します。
私自身、子宮頸がんの手術を行なってから10年以上経ち、体力にも自信がついて、“子どもを育てる人生があったらいいな”と思うようになりました」(河村さん)
しかし、自分自身が子どもを産めない分、パートナーに相談するのはためらわれたそう。
「そんなときにちょうど児童相談所時代の上司と話す機会があったんです。その方が『養子縁組じゃなくてもいいんじゃない? 里親として子どもを預かる人が増えるだけで、助かる子はたくさんいるよ。短期間でもいいんだから』と言ってくれて。
それがきっかけで早速、夫にも相談したら、彼も賛成してくれて、里親登録をすることになりました」(河村さん)
子どもに初めて会ったときから、一緒に帰ることを考えていた
一度、短期的に里親を経験した河村さん。その後、今一緒に暮らすお子さんと出会います。里親登録をして数年後のことでした。
「ある日、児童相談所の職員から“3カ月のハーフの女の子で、特別養子縁組を希望している子がいるんだけど、親になることを検討してみませんか?”と声をかけられたんです。
お子さんの実親は出産後に親権を放棄しているので、一定期間、養育する里親ではなく、実親と法的な親子関係が継続する普通養子縁組でもなく、特別養子縁組※(以下、養子縁組と省略)に出したいという話でした。
夫に相談したら『じゃあ、一度会いに行ってみようか』と言ってくれて。翌月会いに行くことができたんですが、その日の帰り道には「いつ、どうやってこの子を家に迎えるか」という話を夫婦でしていました。どう思った?どうしようか?みたいな話は、もうすっ飛ばして。
不思議なんですけど、夫と私とこの子、3人で暮らす様子が想像できたというか…。うまく言葉にはできないんですが、“この子はうちの子だ”という感覚があったんです」(河村さん)
初めて会った3月から面会を何度も繰り返し、さまざまな調整の上、8カ月後の11月に正式に自宅に迎え、赤ちゃんと家族になりました。
※特別養子縁組では、戸籍上、養子の続柄は「長男」「長女」などと記載され、実親との親族関係は終了します。原則15才未満である、など条件があります。
大反対していた両家の親もメロメロに…!
こうして母となった河村さん。実は赤ちゃんの親になることは、家の親には事前に知らせず、ひそかに進めたそう。
「過去に里親や養子縁組の話をしたとき、両方の親が大反対したんです。だから、事前に言ったら大変なことになると思ったし、夫と2人でもう決心していたので、すべて内緒で進めて、ある日突然、家に赤ちゃんがいる――そんな“事後報告”にしました」(河村さん)
ところが、いざ赤ちゃんを目の前にした両家の反応は、思ったものとまったく違ったそう。
「うちの親は『とんでもない』とか『彼にも申し訳ない』とか言っていたのに、実際に子どもに会ったら超孫大好きのおじいちゃん、おばあちゃんになっていて(笑)。今でも『そんなことは言ってない!』なんて言い張るくらい、子どもをかわいがってくれています。
以前は『どんな子かわからない』と漠然とした不安を抱えていたようです。でも実際に会ってみたら、そんな先入観はあっという間に消えて。突然始まった子育ても両方の親が積極的に手伝ってくれました」(河村さん)
血のつながりがないことは、0歳からずっと伝え続けてきた
今年10歳になった河村さんのお子さん。彼女は外国の血を半分引くハーフの女の子です。
ご夫婦と血のつながりがないことについて、河村さんは本人が理解しているかどうかに関係なく、0歳のころからずっと話し続けてきたといいます。
「『あなたには、別のお父さんとお母さんがいるんだよ』と伝えてきました。『ダディとマミー(河村さん夫婦)はあなたと血がつながってはいないけれど、家族だよ。だって、ダディとマミーの間も血のつながりはないし、うちの犬や猫だってそうだけど、でも、家族に変わりはないでしょう?』と。
そんなふうにずっと育ってきているから、“告知”なんて特別なものはありません。今では本人も平気で『私はハーフだからね』なんて話をしています」(河村さん)
子どもにしてあげられることは「“教育”と“健康”を与えることだけ」
河村さんに「子育てで大事にしていることは?」と尋ねると、こんな言葉が返ってきました。
「私たち親が子どもにしてあげられるのは、“教育”と“健康”を与えることだけだと思っています。
お金はたいして残せないし、そもそも期待してもらっても困る(笑)。でも、自分でお金を稼ぐ力は身につけてもらいたいです。そのためにも、今は“体験”を通して子どもの世界観を広げることを大切にしています。
最近では、世界陸上を見に行ったり、コンサートや世界遺産に足を運んだり。私の講演会に一緒に連れて行くこともあります。そうした日々の体験の積み重ねが、きっと本人の力になると思うんです」(河村さん)
「そのためには、大前提として健康であることが大事!」と強調する河村さん。
「私が言う“健康”というのは、自分の体を自分で守る力を持つこと。
私自身、子宮頸がんを経験したこともあり、若い方たちには予防のためのワクチン接種をおすすめしていますし、今後、うちの子どもとも話し合い、本人の納得の上で、子宮頸がんのワクチン接種をしていきたいと考えています。
そもそも、ワクチン(予防接種)は、小さいころから打たないといけない機会が多いし、種類もたくさんで、親も子どもも大変ですよね。
私は子どもがまだ0歳のころから、『注射はたしかに痛い。でも、自分の身を守るためのものだよ。痛いのはしかたないんだよ』と、正直に伝えてきました。
『痛くないよ』なんてうそをつくと、子どもはかえって混乱すると思ったからです。だから、『痛いけど、この短い痛みを乗り越えれば、ごはんが食べられないほどつらかったり、高熱が出て外で遊べなくなるような大きな病気を防げるんだよ。息を吸ってフーッと吐きながら受ければ少し痛みが減るよ』と、ワクチンの意義や乗り越え方を教えてきました。
そのおかげか、2歳くらいになるともう理解して、自分から腕を出して注射を受けるようになったんです。今では『こんな痛み、へっちゃらだよ』なんて笑っています(笑)」(河村さん)
“ちゃきちゃきとしている”というお子さん。その性格は、どうやら河村さん譲りのよう。
「最近はすぐ言いまかそうとしてくるから本当に大変! でも、まだ私も負けません(笑)。子どもから母は怖いと思われているようで、何か困ったことがあると、相談するのは父なんですよ。『マミーに言ってもどうせダメでしょ!』なんて言われるから、『ダメだと思っているうちはダメだね。説得するくらいの気持ちがないと』なんて。夫がやさしいお母さんで、私が厳しいお父さんみたいな。そんな家庭です」(河村さん)
お話・写真提供/河村裕美さん 取材・文/江原めぐみ、たまひよONLINE編集部
「お子さんを引き取った経緯は?」と質問したインタビュアーに「出会った瞬間に“この子はうちの子だ”と感じたんです」と語ってくれた河村さん。そこには、言葉では説明できない“理屈を超えた確信”があったようです。
インタビューを通して伝わってきたのは、血のつながりよりもずっと強く、深く、あたたかな“家族の絆”でした。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
河村裕美さん
PROFILE
1992年静岡県庁入庁。県広報局に在籍している。1999年7月に32歳で結婚し、1週間後に、子宮頸がんを診断される。術後、さまざまな後遺症に悩んだ経験から、患者のサポートの重要性を認識。2002年にがん患者会、女性特有のセルフヘルプグループである「オレンジティ」を設立。2011年に認定NPO法人の認証を受け、理事長を務める。2015年に特別養子縁組で一児の母となる。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年11月現在の情報であり、現在と異なる場合があります。


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