[妊活] 杉山愛さん インタビュー<前編> 39歳で不妊治療専門クリニックへ
結婚してすぐに妊活をスタートした杉山 愛さん。
タイミング法、人工授精、体外受精と、予想外に長くつらい道のりとなった妊活を振り返り、そのときどきの思いを率直に語っていただきました。
今回は、杉山 愛さんインタビュー<前編>をお届けします。
杉山 愛さん Profile
1975年生まれ。元プロテニスプレイヤー。4歳でラケットを握り、17歳から34歳までプロツアーを転戦。グランドスラムのシングルス連続出場62回は女子歴代1位。2009年に現役を引退し、2011年に結婚。2015年7月、長男を出産。現在は『スッキリ』(日本テレビ)、『情報ライブミヤネ屋』(読売テレビ)でコメンテーターとしても活躍中。
・杉山愛 公式サイト
軽い気持ちでタイミング法をスタート
プロテニスプレイヤーとして世界を舞台に活躍し続けてきた杉山 愛さんが選手生活を引退したのは34歳のとき。その2年後に結婚したときは36歳になっていました。
まずは体のチェックをしようと夫婦で産婦人科へ
「『すぐにでも子どもが欲しい』と思っていたので、まずは体がちゃんと機能しているかどうかを調べてみようと、結婚して数ヶ月後には病院へ。治療というよりは体のチェックをしようという軽い気持ちで、産婦人科のドアをたたきました。夫と一緒に検査しましたが、2人とも問題なし。そのとき医師からタイミング法をすすめられました」
その後、すぐに妊娠。しかし…
「『赤ちゃんができた!』と喜んだのもつかの間、流産してしまいました。妊娠5週目くらいでした。今となっては『赤ちゃんはそのとき育つ強さがなかったんだな』と冷静に思えますが、当時はそれはそれはショックで。1ヶ月くらいは落ち込んでいました。でも、いいほうに目を向ければ『自然に妊娠できた』ということでした。『今回は縁がなかったけれど、このままトライしていけば授かれるはず』と思っていました」
その後もタイミング法を続けましたが、妊娠には至らず。杉山さんは37歳になっていました
「医師のすすめもあり、人工授精にステップアップしました。でも、4回トライしても、かすりもしない…。
正しいタイミングで、健康な精子を子宮に送り込んでいるのに妊娠できないということが、驚きでもありショックでもあり。生理が来るたびに落ち込みました。
『こんなにきちんと治療しても妊娠できないんだ』と、気持ちまで疲れきってしまいました」
人工授精もうまくいかず、このころが杉山さんにとっていちばんつらい時期だったと言います
「私は長いことスポーツをやってきてメンタルは強いという自負がありましたが、そのときばかりは強くいられなかった。『私って、もろいな』と初めて思いました。仕事もスポーツも、頑張れば頑張っただけ結果がついてきますよね。
いつもいい結果が出るわけではないけれど、努力してベストを尽くすことによって自分の人生の糧になるようなご褒美をもらえていたのが私の今までのキャリア。でも妊活では『頑張ってもどうにもならないことがあるんだ』。
だからこそ、赤ちゃんを授かることはミラクルなんだと痛感しました」
4回の人工授精で心はクタクタ…
4回目の人工授精を終え、心がくじけてしまった杉山さんは、一つの決断をします。それは、しばらくの間、治療をお休みすること。
東洋医学を取り入れて体質改善をスタート
「『人工授精が駄目だったから次は体外受精』と、すぐには決断できませんでした。まずは心の疲れを癒やすために、いったんお休みしようと。でも、赤ちゃんをあきらめたわけではありません。
西洋医学の治療をお休みする代わりに、東洋医学を取り入れて体質を改善してみようと思いました。体を温めたほうが妊娠しやすいと聞いていたので、体を温めることをメインに体質改善をスタート。
奈良時代から治療に使われている『びわの葉温灸』に通ったり、ベリーダンスに挑戦したりしました。」
ベリーダンスを始めた理由は
「ベリーダンスを始めたのは、妊娠するためには女性らしい体や動きが大事かなと思ったから。
選手時代は体幹を鍛えたり腹筋をつけたりと男性的な体づくりをしていましたが、今度はお母さんになる準備としてやさしいボディラインをめざしたんです。」
妊娠のためにいいといわれるものには取りあえずトライ
「食生活では、夏野菜などの体を冷やすものは避けるように。なるべく手作りして、体にいいものをとり入れるようにしました。自分に負担がなく、『体が喜んでいるな』と思えるような楽しいこと、心地いいことを続けていきました」
「体が喜ぶ」という感覚はアスリートならではのもの?
「確かに自分の体にはすごく敏感です。常に自分の体と向き合ってキャリアを積んできたので、それが妊活にも生かされたかな、と思います。
そういえば私、人工授精を行なっているとき、『卵はちゃんと受精しているんだけど着床しないんじゃないかな』と感覚的に感じていたんです。私の子宮のベッドがふかふかじゃないから着床しないんじゃないか、年齢を重ねるとともに子宮のベッドのスプリングが弱くなって卵の居心地が悪いのかな…って。
だからベッドをふかふかにするイメージをしながら呼吸法を行ったりしました。おなかの大きい妊婦さんの画像に自分の顔写真をはりつけて、妊婦になった自分をイメージしながら呼吸法をしたりもしましたよ(笑)。」
いろいろなことをやっているうちに、少しずつ心が癒やされて
「ベリーダンスも温灸も1年半ほど続けていたので、体が変わっているという期待感も持てるようになって。それでも体外受精に踏みきる勇気はなかなかわきませんでした。
『体外受精までやって妊娠できなかったらどうしよう』という恐怖があったからです」
「最後までトライを」母の言葉が後押しに
治療を休んでから1年近くが経過し、杉山さんは39歳に。タイムリミットが気になりつつも、「どうしようかな」と心は揺れていました。
母の言葉に背中を押され、ステップアップを決断
「あるとき母に『こんなにいろいろやっても駄目だから、もう妊活をやめようかな』と話したら、『あなたらしくない。最後までトライして、それでも駄目ならそれでいいじゃない』と言われたんです。その母のひと声がポーンと背中を押してくれました。
『確かにそうだな。私は何をウジウジ考えていたんだろう』『すべてやって妊娠できなかったら縁がなかったと思える。まずは後悔のないようにやりきることが大切だな』と。そこでやっと踏みきれました」
できることをやりきらずに後悔したくないと体外受精を決断
「初めての不妊治療専門クリニックだったので、『ついに来たな』という感じ。でも、院内の雰囲気やスタッフの対応がとてもよかったし、先生にもいい距離感で接していただいたので『ここで頑張ろう』という気持ちになりました。
初めての採卵で卵を5個採ることができ、そのうちの1個を子宮に戻して。幸運にも体外受精1回目で妊娠することができました。あまりにもスムーズに妊娠できたから、『今まで何を迷っていたんだろう』と思ったくらい。
不安もありましたが、『1回目ではできないだろうけど…』と期待しすぎなかったのが逆によかったのかもしれません」
杉山 愛さんの妊活History
●36歳:結婚
夫婦で検査を受けた後、タイミング法をスタート。
妊娠5週目で流産。
●37歳:人工授精へステップアップ
4回トライするも授からず…。
●38歳:妊活に疲れ、治療をお休み
東洋医学を取り入れながら、体質改善に取り組む。
●39歳:体外受精にトライ
クリニックを変えて、初めての体外受精で妊娠!
●40歳:長男を出産
■撮影/関 信行
■スタイリング/ミズグチクミコ
■ヘア&メイク/榊 美奈子
■取材・文/本木頼子