2度の流産・緊急帝王切開を経て産まれた息子が1歳に。家電女優・奈津子が妊娠・出産を振り返る【後編】
家電女優の奈津子です。昨年生まれてきた息子が5月で1歳を迎えました。出産を境に、これまで息つく間も無く突っ走ってきましたが、4月からは保育園に入園したので風邪という洗礼を受けながらも、親子ともに新たなルーティンに少しずつ馴染んできています。
今回は私自身が経験した流産、そして出産までの過程を前後編にわけて振り返らせていただくことになりました。前編では2度の流産経験についてお伝えしましたが、今回は出産時のエピソードをお届けします。あくまでも個人の経験談にはなりますが、少しでも参考になる部分があれば幸いです。
満を持しての出産は緊急帝王切開に。
出産は当初「計画無痛」を予定していましたが、お産が進むなかで陣痛促進剤が投与されるたびに胎児の心拍が乱れてしまうようになり、3時間近く粘ったものの結局は主治医の判断で緊急帝王切開になりました。
読者の皆さんはご存知でしょうか。
帝王切開による出産は年々増加していて、厚生労働省のデータによるとその数字はなんと5人に1人(※1)。この数字、私は後になって知ったんですけど想像以上に多くないですか?
ですから、今この記事を読んでくださっている妊婦さんには、ぜひ“その可能性もあるのだ”ということをほんの少しでも心に留めておいていただけたらと思います。私は正直、全然覚悟していませんでした。
局所麻酔による緊急帝王切開の処置は、痛みというよりも内臓をゴリゴリと触れられているような不思議な感覚でした。
20分ほどで『産まれましたよ』と助産師さんから優しく声をかけられ、視界の隅で泣いている赤ちゃんが見えた瞬間は、心の底から安堵しました。と同時に、局所麻酔の副作用もあってか強烈な吐き気と寒気に襲われ、以降3日間ほど歩行が困難でした。
お腹の切り傷自体は、ビキニで隠れるくらいの横一文字の線で、「ここから息子がでてきたんだな」と思うといまだに不思議に感じるほどコンパクト。執刀を担当してくれた女医さんも、産後の1ヶ月検診の際に「我ながら目立たなさに惚れ惚れするわ」と言ってくれたのが印象的です。外部からの刺激で痛みを感じなくなったのは1ヶ月半ほどでした。
どのような出産も母子ともに命がけで大変なことなのだと実感しました。
そして産後3日目から夜の母子同室にトライ。不安で一睡もできませんでした。
こうして赤ちゃんが、我が家にやってきた。
1週間の入院生活を経て、初めて新生児を連れて自宅へ帰宅した日の高揚感は今でも忘れることができません。眠っている息子が今にも壊れてしまいそうで、怖くて不安で、ちゃんと呼吸をしているか、5分に1回は確認していました。
そこから怒涛の授乳、おむつ変え、離乳食デビュー、ハイハイ、つかまり立ちと、日常のなかに、多くの発見と感動が増え、私たち夫婦の親としての自覚を、子どもが少しずつ深めていってくれました。
“マミーブレイン”と呼ばれる、産後ボケも少しずつ改善しましたが、復職後、台本の流れやスタッフの方々の名前がまったく覚えられず、一時的とはいえ不安でいっぱいに・・。
そういう時にはSNSで同じような悩みを持つママさん達のエピソードを検索すると心が軽くなりました。
1歳を過ぎた現在、息子の体重は10kgを越え、離乳食も完了食まであともう少し。貝殻のように小さな歯がニョキニョキと生えてきており、自我がだいぶ発達してきました。
クルクルと変わる表情は日に日にバリエーションが豊かに。
とは言え、まだ夜泣きもあるし、共働きのため常に時間に追われていますが、子どもからとびきりの笑顔がこぼれてきたときには「あぁ、このシーンは私の人生最後の走馬灯で現れるやつだな」と想い、たびたび胸がいっぱいになります。
だけど、前提として、人生の価値は子どもの有無だけで決まるものではないと私は思います。色々な選択肢があって然るべきですよね。
子を産み、育てることができるって、本当に当たり前のことではないです。
正解が無い子育てにおいて、まだまだ手探りなことだらけですが、私のもとに来てくれた息子により多くの笑顔を与えることができるように。
これからの子どもたちの世代が生きやすい世の中になっていくように。
今の状況が決して当たり前ではないのだということを日々噛み締めながら、親として、自分なりに成長していけたらと思います。
家電女優として、引き続き、家電の魅力を通して、豊かで楽しい暮らしを発信していけるように頑張ります!
※1
政策統括官付参事官付保健統計室 .「平成29年(2017)医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況」.厚生労働省.2018-12-27
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/17/dl/02sisetu29-3.pdf
奈津子(なつこ)
Profile
ドラマ「野ブタをプロデュース」で女優デビュー。以降様々な作品に出演。二十歳の頃にはSDN48のメンバーとなり、アイドル業も経験。その際、劇場近くの電気街を通じて家電の魅力に目覚める。卒業後は「家電アドバイザーGOLD等級」を取得し、現在は家電女優として多くのメディアへ出演。私生活では150台以上の家電に囲まれながら、2021年5月に生まれた息子とエンジニアの夫と三人暮らし。東京FM「スカイロケットカンパニー」にレギュラー出演中。