小児がんで余命宣告を受けた1歳6ヵ月の息子が声にした「おうちかえろか」 ドイツのこどもホスピスで見つけた「本当に幸せな時間」とは
2018年12月31日の大晦日、ドイツの病院でひとり息子・夕青(ゆうせい)くんの余命を宣告され、ドイツの「こどもホスピス」をすすめられた石田千尋さん。ホスピスという言葉から「治療をせずに死ぬのを待つ場所」と感じ、一度は強く拒絶しましたが、夕青くんのあるひと言がきっかけで行くことを決意しました。
本シリーズは、夕青くんの病気の発症からドイツでの治療の様子、ドイツのこどもホスピスでの体験、そして福井での活動などについて3回にわたってお届けしています。
第2回は、こどもホスピスで受けた予想とはまったく異なる豊かなケアと、それによってわが子の病状と死を受け止められるようになっていった思いなどを聞きました。
特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
体調が悪くなる中で、夕青くんがかすかに発した「おうちかえろか」
ドイツで小児がんの一種・ニューロブラストーマ(神経芽腫/しんけいがしゅ)のステージ4であることがわかり、3カ月後に医師から「死ぬのを待つだけです」と余命宣告された石田夕青(ゆうせい)くん。当時、わずか1歳9カ月でした。
病院は「手の施しようがない」という理由で治療をストップ。夕青くんの体調は急速に悪化していきました。何か方法はないかと焦りながら、ベッドにぐったりと横たわる夕青くんの手をなでていた母・千尋さん。すると、食べることも話すこともできなかった夕青くんが、突然言葉を発したのです。
「小さな声でしたがはっきりと『おうち帰ろうか』って言ったんです。初めて聞く言葉でした。今まで体調が悪い時でも、日本に帰りたいそぶりさえ見せたことはなかったので、本当に驚きました」(千尋さん)
夕青くんが望むならすぐに日本へ帰ろうと思い、医師に相談。しかし「機内で何か起こるかわからない状態ですから飛行機には乗せられません。絶対に許可できません」と断られてしまいます。
そして医師から「おうちに帰りたいなら、なおさらこどもホスピスを1回見て来てください」と言われたのです。
「飛行機に乗せられないと言われた時点で、うっすら考えていた『アメリカやロシアで治療を受ける』という可能性も消えてました。それがすごくショックで、一瞬、頭の中が真っ白になりました」(千尋さん)
千尋さんが呆然としている中、夫の学(がく)さんが、「こどもホスピスがどんな所か見てくる」と言って出て行きました。数時間後、戻ってくるなり千尋さんに「今すぐホスピスに行こう!」と。「建物もスタッフの方々の対応も病院とは全く違う雰囲気で、本当におうちみたいだったよ」と言ったのです。
その言葉で、こどもホスピスに行ってみることを決心した千尋さん。しかし、治療をあきらめたわけではありません。医師に「こどもホスピスで元気になったら、また治療してくれますよね」と何度も念押しし、それを心の支えにこどもホスピスへ向かったと言います。
思いもしないあたたかなスタッフの出迎えに、気持ちがふわーっとほどけていった
「こどもホスピスへは救急車で運んでくれました。その車中、付き添いで同乗していた医師が『こどもホスピスではもう治療はしないけど 、この子の好きなことをさせてあげられますよ』と言うんです。
悪気がないのはわかるんですが『もう治療はしない』なんてはっきり言うなあって。ショックというか突き放された感じがして、隔離された遠い施設に送られていくような気持ちになりました」(千尋さん)
30分後、ドイツのデュッセルドルフにあるこどもホスピス「キンダーホスピス レーゲンボーゲンラント」に到着。しかし、暗い気持ちに押しつぶされそうになっていた千尋さんは、その時のことをまったく覚えていないと言います。
「救急車の中でのことから、こどもホスピスのスタッフにも、機械的で冷たい対応をされるのだろうと思っていました。ところが、5〜6名のスタッフが笑顔で出迎えてくれて『チームyuseiです。みんなナースなのでなんでも相談してね』って。
『待ってたよ!よく来てくれたね』みたいなあたたかい感じで迎えられ、とてもびっくりしました。初めて来た感じがしないくらいウエルカムな雰囲気で、張り詰めていた気持ちがふわーってほどけていったのを覚えています」(千尋さん)
ようやく施設の中を見渡す余裕が生まれた千尋さん。木のぬくもりとカラフルな色、そして明るい光に溢れた室内を見て「病院の無色な感じとは全然違う。病院は治すための施設だけど、こどもホスピスは本当におうちみたい」と感じたそうです。
「私たちが使わせてもらう部屋へ案内されると、なんと入口に『yusei』という名前入りのかわいらしいプレートがかかっていたんです。ホスピスに行くと決めてからさほど時間がたってない中、こんなものまで作ってくれたことにまた驚きました。『夕青のおうちだよ』って話しかけながら中入りました」(千尋さん)
館内には子どもが遊べるプレイルームの他に「スヌーズレンルーム」と呼ばれる感覚刺激の部屋があり、音や光を体全体で感じることができます。それを夕青くんに話して「後で行こうね」と言うと、寝たきりになっていた夕青くんが「うん、出発」と答えたのです。
「すぐに抱っこして夫と3人でスヌーズレンルームへ行きました。縦抱っこができたのは1週間ぶりくらい。抱っこして歩くことができたのが、すごい驚きでしたしうれしかった!あのままずっと病院にいたら、あり得なかったと思います」(千尋さん)
こどもホスピスの細やかな心遣いの中で、少しずつわが子の死を受け入れられるように
こどもホスピスに着いた時、夕青くんの体には2〜3本の管が取り付けられていました。しかし、こどもホスピスには酸素吸入器以外の設備はないため、取り外すことに。それを千尋さんが嫌がると「チームyusei」のスタッフから「モニターじゃなくて夕青くんの顔を見ていてあげてください」と言われたそうです。
「取り外した時はすごく不安でした。でも、体調に変化はなく、だんだん『息子の顔だけ見ていたら幸せ』みたいな状態になって、モニターのことなんて考えなくなっていました。すると、夕青の手が冷たくなっているとか、今まで気づかなかったちょっとした変化に気づくようになったんです。
『チームyusei』に手が冷たいと伝えると、『自然なことだから大丈夫』って。そういうやりとりの中で、少しずつ夕青の今を理解し、受け入れられるようになっていきました」(千尋さん)
子どもホスピスで過ごした日々の中で、千尋さんが特に印象に残っているのが、スタッフの絶妙な距離感と、あたたかい心遣いだそうです。
「私はほとんどの時間を夕青の部屋で過ごしていたのですが、こどもホスピスのスタッフは1時間おきに1分ぐらい様子を見に来るだけで、ずっと家族だけにしてくれました。でも、見守りカメラ付きの人形を夕青の近くに置いてチェックしてくれていて、呼吸器がほんのちょっとずれているだけでもすぐ駆けつけ、さっと直してすぐに去っていったり。さりげないけれど細やかな、本当に絶妙な距離感で接してくれました」(千尋さん)
さらに、夕青くんだけでなく、自分もケアされていることを感じていたと千尋さんは振り返ります。
「夕青の手が冷たくなった日は眠れなくて、夜中の3時くらいに共用のダイニングのイスに座ってボーッとしていたんです。すると、スタッフの1人が通りすがりに、急に斜め前の椅子にチョンって座って。でも何も言わず、ただ静かにコーヒーを飲んでいるんです。
その感じがすごくあたたかくて。『今この人は友だちや家族のような感覚でいてくれてる』っていう安心感をすごく感じました。こういう名前のないケアをたくさんしてくれるのが、こどもホスピスのケアなんだと感じました」(千尋さん)
また、家族の手形・足形を取ることになった時も、チームyuseiが用意してくれた紙と絵の具に驚かされたと言います。
「夕青の名前は、地元の福井県の日本海に夕日が沈む時の夕日のオレンジ色と、海の青色を意味しています。そのオレンジと青の絵の具と紙を、用意してくれていたんです。
たぶん着いて間もない頃に話したんだと思いますが、私も忘れていたようなそんなささいなことを覚えていてくれて、思い出の品として用意してくれたことに感激しました。
今、その手形・足形を見ると、1歳9カ月にしては大きくて、夕青がちゃんと成長していたことを感じることができます。これを残しておいて本当によかったと思うんです」(千尋さん)
「いつでも戻っておいで」 こどもホスピスは私たちの『おうち』だから
2019年1月10日の午前8時半ごろ、夕青君は1歳9カ月で旅立ちました。病院を出て、こどもホスピスで過ごしたのはたった5日間でしたが、千尋さんは「病院では絶対に味わえなかっただろう充実した時間を、子どもホスピスで過ごすことができた」と言います。
「日本から千尋さんの両親が駆けつけた時も、スタッフの方がすぐに両親用の部屋を用意してくれました。ドイツに住む友人が家族連れで夕青にお別れを言いに来てくれた時には、『ご飯食べてくでしょ』って全員分のご飯を用意してくれました。私には『何もせずに夕青くんのことだけ考えていればいいから』って。
ここは実家?って思うくらい、最後まで本当に居心地が良かったです」(千尋さん)
その日は多くの来館者があり、「芝生の方で笑い声がするな」と思って見にいったところ、明らかに終末期ではない元気な子ども達がたくさん遊んでいました。
「おそらく一時退院中の子どもたちでしょう。一時退院の時も来てよかったんだと知って、もっと早く知りたかったと思いました。もっと早く子どもホスピスのことを知っていたら、夕青と私たちの闘病生活もまるで違ったものになったとすごく思います」(千尋さん)
千尋さんはその後、日本に帰国。ドイツのこどもホスピスとは遠く離れているけれど「今でも大きな心の支えになっている」と言います。
「こどもホスピスを去る際に『いつでも戻っておいで』って声をかけてくれたんです。『いつでも遊びにおいで』ではなく『戻っておいで』と。それを聞いて『ここはおうちだから帰って来ていいんだ』って思いました。
正直、今はまだドイツの病院を1人で訪ねることはできません。勇気がなくて。でも、ドイツのこどもホスピスには1人でも喜んで行くことができます。
それは、こどもホスピスのスタッフが私たちを、まるで友人や家族のようなつながりの深い人として接してくれたからだと思います。友人や家族との縁は切れないし、距離が離れていたって関係はかわりません。そういうケアを私たちは受けてきたんだと実感しています」(千尋さん)
写真提供/石田千尋 取材・文/かきの木のりみ たまひよ編集部
帰国後、千尋さんは、こどもホスピスのような所で働けたらいいなと思うように。その思いは2年後、「福井にこどもホスピスを設立したい」という思いへと変わります。
次回・最終回では、福井県でこどもホスピス設立を決意した思いと集まった多くの仲間たち、「ふくいこどもホスピス」が目指すものなどについて聞きました。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
石田千尋さん
ふくいこどもホスピス代表
2019年、第一子の夕青くんが1歳半の時にドイツで神経芽腫という小児がんを発症。ドイツのこどもホスピスを利用し、重い病気と闘いながらも家族で楽しく過ごすことのできる環境の尊さを実感。帰国後、地元福井にて「ふくいこどもホスピス」を作るべく活動を続けている。