半年で私の生活は一変した。中2で発症した起立性調節障害と闘う日々。「朝、起きられない」「つらすぎる孤独」【体験談】
自律神経の不調によって、朝起きられない症状や立ちくらみや頭痛などが現れる「起立性調節障害」。福岡県に住む西山夏実さん(19才)は、中学2年生のときにこの病気を発症しました。その経験をもとに、映画『今日も明日も負け犬。』を製作。作品のモデルとなった監督の西山さんに、病気の症状や、当時感じていた苦しさについて、詳しく話を聞きました。
始まりはごはんが食べられなくなったことから
――西山さんは中学校2年生の春に、起立性調節障害を発症されたそうですが、どのような症状が出始めたのでしょうか?
西山さん(以下敬称略) 私の症状は食欲がなくなったことから始まりました。おなかがすく感覚がなくなり、ごはんが食べられなくなって、1カ月で7kgもやせてしまったんです。私はもともと朝一番に登校するくらい学校生活が好きだったし、ソフトボール部に入っていて毎日の練習が楽しかったので、食べられないけど毎日登校していました。そしたらある日、教室で倒れてしまって救急搬送されました。栄養失調でした。それ以外は原因をいろいろ検査をしても何も見つからなくて・・・。
食欲がない原因はなんだろう、と調べ、最終的にわかったのが起立性調節障害でした。お医者さんに「この病気はこれから朝が起きられなくなる、夜眠れなくなる、という症状が出ますよ」と言われ、そのときはまさか、と思っていました。でも、その後半年ほどかけてその言葉どおりになっていきました。
――症状はどのようなものでしたか?
西山 それまで朝8時に登校していたのが、夕方の16時くらいにならないと起きられなくなりました。また、午前中に目が覚めたとしても、最高血圧が80mmHgくらいなので、クラクラして立ち上がることができません。母に起こされて起きたとしても、起こされた記憶もいっさいありません。また、夜になると血圧が逆にすごく高くなるので、動悸がして興奮状態で一晩中眠れませんでした。そのほかに頭痛、集中力の低下などの症状もありました。
半年で私の生活は一変してしまいました。大好きだった学校に行けなくなり、部活もやめて、友だちにもまったく会えない。家族とも真逆の生活になって、本当にだれとも会えなくなりました。家族と一緒に食事も取れず、親が用意してくれたものを1人で食べ、部屋の中でたった1人、だれともコミュニケーションを取らない孤独な生活。中2の夏がいちばん症状が重い時期でした。
病気を理解できず、家族と衝突したことも
――家族とは病気や生活のことをどんなふうに話していましたか?
西山 家族全員が「どうしよう」と途方にくれていた感じです。家族が寝たあとに私が起き、私が寝ている時間に家族は起き始めるので、そもそも起きて会って話す、コミュニケーションが取れませんでした。私が知らないところで、母はいろいろ調べてくれていたんだと思いますが、その姿を私は知らないんです。家族も私もこの病気に振り回され、おたがいいっぱいいっぱいでした。
私も家族も、病気に対して理解するのに時間がかかりました。病気のことや生活のことで意見が合わなくてぶつかり合ったことは数えきれないほどです。
でも私はたまたま食欲がなくなることから症状が始まって、救急搬送されて検査をして、病名が先にわかったからまだいいほうというか・・・、この病気の多くの人は、朝起きれない症状から始まって病院を受診するまでが時間がかかることが多いと聞きます。そのほうがきっともっと、つらいだろうなと思います。
――家族とぶつかる中で、傷ついたこと、苦しかったことなどはありますか?
西山 大好きな学校に行きたいのに、体が起きてくれないこの病気に対して「なんで起きられないの!」という苦しさは私自身がいちばん強く感じていました。だからこそ、いちばん身近な家族から「なんで起きれないの」と言われてしまうと「私だって知りたい!そんなこと医者に聞いてほしい」と反発してしまいました。
母にとっても、娘が学校に行けなくなっていることへの心配やあせりもあったのだ、と今は理解できます。でも当時、唯一コミュニケーションをとれる相手である家族と衝突してしまったときは、世界の全員が敵のように感じてしまいました。私がどうにもできないことを「なんで」と言われるのはつらかったし、「起きられない」というたった一つのことが、すごくしんどかったです。
「頑張りなさい」の言葉に深く傷ついた
――周囲の理解が得られずつらかったことはどんなことでしたか?
西山 中2の終わりころにかけて少しずつ保健室登校ができるようになった時期、学校の先生の理解のなさに傷ついたこともあります。自分なりに精いっぱい登校していても、どうしても提出物が出せないとき「もっと頑張りなさい!」と言われたことはとても傷つきました。
あとからわかったことですが、私だけではなく、同じ病気の多くの中高生の人たちがこのような経験があるようです。病気を持ちながら頑張ろうと思っていても「もっと頑張りなさい」と言われて、傷ついて不登校になってしまったり、トラウマ(心的外傷)になって大人と話せなくなってしまう人もいると聞きました。
学校が世界のすべてである中高生にとって、先生は両親以外の大人で唯一頼れる存在です。先生以外の人にSOSを出せる手段や逃げ道がわからない年齢で、頼れるはずの相手に受け止めてもらえないと、「だれもわかってくれない」「みんな敵なんだ」と感じてしまう気がします。
病院をいくつ回っても治療法がない、と言われ・・・
――病気の治療や投薬はどのようにしていたのでしょうか?
西山 起立性調節障害とわかったあと、近所の小児科や、全国的にも有名な専門病院といわれるところを含めそのほかにも数十カ所くらいの病院を転々としましたが、どこに行っても「治療法がない」と言われてしまって・・・。血圧を上げたり下げたりする薬をもらうんですが、薬を飲むと副作用で動悸がして一日中マラソンをしているみたいな感じになることもあり、しんどくなるとやめて、また別の病院に行く、というのを繰り返していました。
私の場合は、薬で症状が改善するということはあまりありませんでした。最近は漢方外来にかかっていて、1日12包くらいの漢方薬を飲んでいます。
高校時代は、出席しないと留年するとか、映画を完成させないといけない、というストレスもあって体調もきつかったんですが、今は自分のペースで生活できるので、この4〜5年でいちばん症状が落ち着いています。
無事高校を卒業し、映画を製作した経験を経て、私も親も、最近になってやっと、この病気とのつき合い方がわかってきた気がします。発症から5年がたちましたが、ただ病気を治そうと必死になるよりも、受け入れながらうまくつき合っていくのがどうやらよさそうだ、と考えられるようになりました。
お話/西山夏実さん 協力・写真提供/今日も明日も負け犬。製作委員会 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
起立性調節障害の症状は自律神経の不調から起こるものですが、理解のなさから「なまけている」「サボり」などと言われてしまうこともあるのだとか。西山さんは「病気のことを知ってもらい、病気で苦しんでいる人の生活が少しでもいい方向に変わるよう、この映画をたくさんの人に届けたい」と言います。
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西山夏実さん(にしやまなつみ)
PROFILE
2003年生まれ、福岡県在住。趣味は、福岡サンパレスに来るミュージシャンの音楽ライブに、月に1回行くこと。最近は、自宅で飼っているハムスターと遊ぶことにはまっている。
映画の原作本『今日も明日も負け犬。ー西山夏実の完全実話録ー』(小田実里著/1200円)は映画公式グッズ販売サイト(https://kyomoashitam.thebase.in/)で購入可能。
『今日も明日も負け犬。』
当時16歳で福岡県立筑紫丘高校の高校生だった西山夏実監督が、28人の高校生メンバーと作り上げた映画。2021年12月、NPO法人映画甲子園主催「高校生のためのeiga worldcup2022」で最優秀作品賞のほか、優秀監督賞や最優秀女子演技賞などを受賞。その副賞として、2022年10月アメリカで行われる、全米学生映画祭への出場が決定。海外版タイトルは『Re;birth』。ドイツ・フランス・チェコなどの海外映画祭へも上映が決まっている。年内は国内30カ所で上映予定。