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プロバスケ選手五十嵐圭の妻でフリーアナの本田朋子。不妊治療を経ての第1子の出産時は、夫と友人2人が分娩に立ち会った!?

更新

本田さんの41歳の誕生日に家族で記念撮影!

元フジテレビのアナウンサーで、現在フリーで活躍されている本田朋子さん。プロバスケットボール選手の五十嵐圭さんと2013年に結婚し、チームの移籍とともに、さまざまな土地で生活をしています。現在は群馬県で6歳の男の子と1歳の女の子の子育て中。本田さん自身の子ども時代のエピソードから、五十嵐選手との結婚のきっかけ、第1子出産のことなどを聞きました。
全2回のインタビューの前編です。

子どものころから好奇心旺盛。歯の矯正も自ら親に懇願!?

小学生時代の本田さん。背番号「5」、ショートカット姿が似合っています。

――愛媛県松山市出身で3姉妹の末っ子とのことですが、子どものころはどんな子でしたか?

本田さん(以下敬称略) 私は3姉妹の末っ子で、5歳上と8歳上に姉がいます。姉たちとは歳が離れているので結構、自由ほん放に育ちました。両親は共働きだったので、昼間は祖父と祖母と過ごす時間が多かったです。両親が忙しいということもあり、「勉強をしなさい」と言われた記憶がないです。自分の知的好奇心のままに「塾に行きたい」と言ってみたり、「歯の矯正をしたい」と言ってみたり、やりたいことがわき上がってくるような子どもでした。

――歯の矯正も自分からやりたいと思ったということですか?

本田 そうです。好奇心から「歯の矯正がしたい」と両親にお願いしました。もちろん自分の歯並びが気になっていた、ということもあります。とにかくなんでもやってみたいという意欲にあふれた子どもでした。
毎日、両親や祖父母、歳の離れた姉たちの中で育っていたので年齢の割には大人びていたかもしれません。思春期のころも「思い立ったが吉日」みたいな性格だったので、やってみたいと思うことがあれば、自分で調べて行動にうつしていました。

――両親の教育で印象に残っていることはありますか?

本田 母からは「勉強をしなさい」と言われない代わりに、毎朝「ひと口でもいいから朝ごはんを食べなさい」と言われていました。今でも大人になった私に「ちゃんと食べているの?」と聞いたり、一緒に食事をしているときも「これも遠慮しないで食べて」とすすめてきたりします。食事をしっかりとる大切さは母から教わりました。

――お父さんとの会話で印象に残っていることはありますか?

本田 父は「昭和の親父」という感じなのでこまかいことに口出しはしません。でも、私が悩んでいると感じたら一言ズバッとそのとき、心に響く言葉を贈ってくれるタイプです。
プロバスケットボール選手である夫と結婚してから、いろんな転機がありました。夫が名古屋のチームから新潟のチームに移籍するタイミングのときも、「人間万事塞翁が馬」という言葉で背中を押してくれました。これまで仕事で多くのアスリートの方に取材をしてきましたが、自分が当事者になってみると新しい土地で暮らすことに不安がありました。でも、父の言葉どおり、どうなるかはわからないけれど、頑張ろうと前向きな気持ちになれました。

――お父さんも、娘が愛媛から遠く離れた新潟へ引っ越すことを寂しく思っていたかもしれませんね。

本田 私は大学から東京に出てそのまま就職しました。結婚してからは愛知県、新潟県、そして今は群馬県とずっと両親と離れて暮らしています。きっと今でも私のことを心配してくれていると思います。

苦手なバラエティ番組の進行で感じた、アナウンサーの壁

球場でのお仕事の合間に!

――アナウンサーをめざしたきっかけを聞かせてください。

本田 大学卒業後は商社に入り、キャリアウーマンになりたいと思っていました。でも、大学時代に学校主催のミスコンに友だちと出場したときにアナウンサーが多く所属している事務所の社長さんに声をかけていただきました。そこからアナウンサーという職業を意識するようになりました。
事務所に所属し、いきなり受けた番組がフジテレビの「すぽると!」の大学生キャスターオーディションでした。そこで合格をいただき、番組にかかわっていくうちに当時のスタッフさんやアナウンサーさんたちと一緒に働きたいと思うようになり、局アナをめざすようになりました。

――大学生キャスターを経て、2006年にテレビ局に入社しました。

本田 実際に社員として局に入ってみると、アナウンサーがこんなにも厳しくて難しい仕事だということに初めて気づきました。たとえば、スポーツ選手に取材を申し込んで、選手のところに行ってもすぐにはいろいろと話してくれません。ひとつでも多くのコメントや、ほかでは話していないコメントをもらうために自分の担当曜日でない日も野球場やサッカー場に足を運び、信頼関係を築くという地道な努力が必要でした。

――バラエティ番組の司会もしていたかと思います。

本田 バラエティ番組ではアナウンサーの役割は番組を進行することがメインですが、流れによってはアドリブが飛んでくることもあります。そういうときにどんなふうに返せばいいかわからず、入社して2、3年はフリートークが苦手で克服までずいぶん時間がかかりました。

――楽しかったことはどんなことですか?

本田 さまざまな方との出会いや経験です。中でもロンドンオリンピックのキャスターや、サッカーのワールドカップの取材を担当させてもらえたことはうれしかったです。アスリートが自分の一生をかけて大舞台に臨む瞬間に立ち会えたことは本当に幸せなことです。今でも自分の財産になっています。

夫の五十嵐選手との出会いのきっかけは?

夫婦で人生初のいちご狩りへ。

――夫の五十嵐選手との出会いもお仕事ですか?

本田 インタビューしたことがきっかけでしたが、その場ではとくにプライベートな話はいっさいありませんでした。インタビューが終ったあと、他局の同期のアナウンサーと3人で食事をすることになり、そこからです。

――その同期のアナウンサーさんが恋のキューピットですね。どれくらいおつき合いし、どんなところに魅かれて結婚を決めたのでしょうか?

本田 1年半くらいおつき合いして結婚しました。でも当時の私は仕事モード全開で「もっと頑張らなきゃ」とあせりがありました。そして海外で生活をしたいという夢もありました。そんな私の話をいつも夫は「うん、うん」と優しく聞いてくれました。その思いを丸く包んで受け止めてくれるような雰囲気に魅かれました。

――結婚後も五十嵐選手は変わらず、精神的にも支えてくれるような存在ですか?

本田 6割くらいはそんな感じですが、アスリートならではのこだわりや頑固さもあります。おつき合いしていたころよりは頑固な面に触れることが増えました。たとえば、けんかをしてもなかなか謝らないです(笑)。でも私も夫と一緒になったことで成長させてもらっています。

新潟から東京の病院へ、不妊治療で通う日々

5歳離れた兄と妹。妹さんにとってお兄ちゃんはとっても頼もしい存在のようです。

――2018年に息子さんを出産されました。第1子の妊娠までのことを教えてください。

本田 今まであまり話してはいませんが、実は不妊治療を経験しています。30歳になる年に結婚をして1、2年は夫婦の時間を楽しみたかったのでとくに妊活は意識していませんでしたが、年齢を重ねていくうちになかなか授からないので不妊治療を考えるようになりました。そのころまわりにも不妊治療をしている人がいたので、ハードルは高く感じませんでした。

――不妊治療中、メンタル面は大丈夫でしたか?

本田 35歳までに早くステップアップしたほうがいいということは耳にしていました。でも、いざ不妊治療を始めるとなると病院を探すところからのスタートです。東京の不妊治療クリニックに決めたのですが、当時は新潟で暮らしていたので新潟から東京の病院に通うだけでも大仕事でした。
人気の病院だったので朝、診察券を出して、会計などすべてが終わるのは午後。またそこから新潟に戻って・・・という生活をしていました。でもなかなか授かることができず、しだいに気持ちも落ち込んでいきました。治療を開始したらすぐに妊娠すると思っていたので、現実に打ちひしがれましたね。

――夫の五十嵐選手以外の家族にも話していましたか?

本田 両家の両親にはオープンに話していました。不妊治療に対して理解があったので見守ってくれていました。

――息子さんを妊娠したとわかったときはどんな気持ちでしたか?

本田 人工授精は1度試みましたが妊娠しませんでした。このまま何度か人工授精を続けるという選択肢もありましたが、私は次のステップとして体外受精を試みたいと先生に相談しました。人工授精から体外受精に進んだのは相対的にみて早いタイミングだったかもしれません。
でも、次のステップに進んだものの、すぐに妊娠できたわけではなく、コンディションを整えるために投薬したりと、なかなか前に進めないこともありました。結局、胚移植3回目でようやく息子を授かりました。
妊娠がわかったときは待ちに待った待望の第1子だったので、特別なうれしさがありました。

初めての出産。立ち会いは夫と2人の友人

娘さんのニューボーンフォト。お兄ちゃんにすっぽり抱きかかえられた新生児の妹さん。

――息子さんを出産するときに本田さんの友人、2人も立ち会ったと聞きました。

本田 不妊治療は東京の病院でしたが、出産は新潟の産院でした。結婚して初めに住んだ名古屋でとっても気が合い、家族のように仲よくなった2人の友人がいるのですが、その友人たちが「出産に立ち会いたい」と言ってくれたんです。驚くやらうれしいやら・・・。なかなか家族以外の立ち会いって聞かないので病院に相談したところ、あっさり快諾してくれたので2人にも立ち会ってもらいました。

――家族が立ち会う話はよく聞きますが、友人とはすごいですね。

本田 自然分娩を希望していたのでいつ生まれるかわからなくて・・・。
名古屋の友人たちも数日前から新潟に来て待機してくれていましたが、なかなか生まれないので「いつ生まれるの?」と何度も聞いてきました(笑)。ようやく陣痛がきたのは彼女たちが名古屋に帰る予定ギリギリのときでした。

――では息子さんは、みんなに見守られて誕生したわけですね。

本田 そうなんです。家族以外の友人2人と夫、計3人の立ち会い出産でした。2人の友人たちは、出産直前は夫と連携して1人はうちわであおいで、もう1人は腰をマッサージしてと、私のお産のサポートをしてくれました。
息子は夫が練習に行く直前に誕生してくれたので、夫がへその緒を切ることができました。3人に出産を見守ってもらえたことは本当にいい思い出です。

▼続きを読む<関連記事>後編

局アナをへて、五十嵐圭選手との結婚により新しい土地で生活をすることになった本田さん。友人が出産に立ち会ったというのは驚きのエピソードですが、「コロナ禍の前でよかった」と話していました。

本田朋子さん(ほんだともこ)

PROFILE
フリーアナウンサー。1983年8月生まれ。愛媛県出身。「ミス立教」に選ばれたことがきっかけとなり、アナウンサー事務所に所属。オーディションを経て、大学生キャスターに抜てきされる。2006年4月にフジテレビに入社し、多くの番組で活躍。現在は2018年10月に誕生した男の子と2023年7月に誕生した女の子の母として群馬県で子育て中。

●記事の内容は2025年5月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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