妹も姉と同じ病に…重症心身障がい児と健常児、4人の子どもを育てる母の戸惑いとたったひとつの願い【体験談】
重い障がいがあったり、医療的ケアが必要であっても、子どもは子どもらしく毎日を過ごしてほしい。そんな思いから、「重症心身障がい児」のためのデイサービスを開設した運上佳江さん。自身も2人の重症心身障がい児を含む4人の姉妹を育てながら、育児と介護と仕事に苦悩した経験を持ちます。
生後6カ月で障がいを宣告され、重篤な病気だろうと言われながらも、5歳になった長女・愛夕(みゆ)さん(当時)に妹が誕生。姉妹で同じ病を抱えていることがわかってから、今日までのお話を運上さんに聞きました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
出生前検査で異常のなかった次女にも、障がいが判明
波はあるものの、病状がだんだんと落ち着きはじめた愛夕さんが4歳の年に、運上さんは第2子を授かります。
「当時、これではないかと言われていた病名は、おなかの赤ちゃんに遺伝する可能性は低いと聞いていました。また、長女と同じ大学病院でのお産だったので、出生前検査も行い、異常はないと言ってもらえたことは心強かったですね。唯一心配だったのは、おなかの赤ちゃんの頭が小さいと言われていたこと。先生は心配ないとおっしゃっていましたが、実際には、出産直前に言われていた推定体重よりも、はるかに大きい3300gで誕生しました。次女と対面すると、毛先が金髪だし、おっぱいもうまく吸えないなど、生まれた時の長女と重なる部分もあり、『まさか』と思っていたのですが……。
どこかで覚悟はしていたつもりでしたが、翌日、医師から障害があることを伝えられたときは、やっぱりかなり堪えましたね」(運上さん)
次女・実來(みく)さんの誕生をきっかけに遺伝性疾患の疑いが強まり、これまであたりをつけていた愛夕さんの病名も違っていたことが判明。大学病院の医師らも、慌てた様子で解明に向け動き出したと言います。
確定診断後の絶望感「生きてさえいてくれればいい…」
検査の結果、姉妹は生まれながらにして希少未診断疾患のひとつである「Vici(ヴィシ)症候群」であると宣告されます。その際、5歳になった愛夕さんのMRI検査をしたところ、生後半年には一部あった大脳が、ほとんどなくなっている状態だったそうです。
「次女にも障害があることより、病名が判明したことのほうがつらくて……。生きてさえいてくれればいいのに、長くは一緒にいられないという現実を突きつけられ、たったひとつの願いさえ叶わないことに絶望しました。
ただ、もしも出生前に障害がわかっていても、私は実來を産んでいたと思います。2人目が欲しいと望み、私のおなかに宿ってくれた子です。実際に生まれてきて障害があると聞いても、娘は愛しい存在であることに変わりはありませんでした。早く家に連れて帰りたい、そう思い、先生にはできうる限りの治療をしてほしいとお願いしました」(運上さん)
同じ病気でも、実來さんは脳梁の部分欠損症のため、愛夕さんに比べると脳の奇形も少なく、呼びかけに応じたり、笑ってくれるそう。また、愛夕さんが人工呼吸器を使用しはじめたのは1歳半でしたが、実來さんは小学校に入ってからでした。
姉妹はデイサービスへ、念願の薬剤師にも復職
実來さんを妊娠中、訪問診療で来られた新たな医師との出会いにも恵まれました。
「その先生が独立して、在宅医療を提供する診療所を開業したことを機に、平日の日中、愛夕は先生が運営する施設に通えるようになりました。その後、同じ施設に実來も預かってもらえるようになり、薬剤師の仕事にも復帰することができました」(運上さん)
ご自身の仕事に誇りを持ち、1週間のうちのほんの短時間でもいいから、薬剤師として働きたいと切望する運上さん。愛夕さん、実來さんを出産後も職場に恵まれ、"障害者の母"ではなく、"一人の私"になれる時間が持てたことがリフレッシュになったと言います。
しかし、愛夕さんが小学校に上がり、特別支援学校に通うようになると、生活は一変。実來さんが施設に行くのを見送り、運上さんは付き添いが必要な特別支援学校へ愛夕さんと登校する日々がはじまったのです。
付き添い必須で、働きたくても働けない"小1の壁"は障害児をもつ母にも
当時、札幌市の特別支援学校では親の付き添いが必須だったため、再び運上さんは離職。慣れない環境にストレスを抱え、次第に体調も崩すようになってしまったそうです。
「医療的ケアが必要な重症心身障害児の学童や放課後等デイサービスも近くにはなかったので、世にいう"小1の壁"に突き当たりました。そんな折、私と同じように、“働きたくても働けない”“安心して子どもを預けられる施設がほしい”という悩みを抱える在宅介護をするママたちと相談。地元の議員さんにアドバイスをもらったことをきっかけに、『自分たちで作ろう!』と立ち上がります。運よく看護師や保育士のママがいたことも、NPO法人『ソルウェイズ』開設の強い後押しになりました」(運上さん)
運上さんが運営するデイサービスの特徴は、北海道でも、さらには全国的に見ても数少ない、重症心身障がい児を対象とする「重心型」と言われる要件で運営している点だそう。看護師や保育士(児童指導員)、機能訓練士など、専門資格を有するスタッフが常駐し、医療的ケアはもちろん、24時間人工呼吸器の使用をしている子どもでも安心して利用できるよう整備されています。
「この施設があるから子どもらしく生きられる」利用者からのうれしい声
利用者側の視点も持ち合わせる運上さんだからこその気配りで、7年経った現在は事業所も増えて、運営は順調。利用者の家族からは、「ここがあるおかげで、あの子は子どもらしく生きられている」といった言葉をもらうこともあるそう。また、デイサービスの利用によりお母さんたちの就業率が高まり、次子を出産するケースも増えていると言います。
さらに2025年には、新たに医療的ケアが必要な重症心身障害児が宿泊できる短期入所施設(ショートステイ)の開設を計画中です。
「障がいのある子を施設に外泊させることに、保護者の方は罪悪感を覚えたり、ハードルの高い印象を抱いたりするかと思うのですが、お友だちやおばあちゃんの家に泊りに行く、それくらい気軽な気持ちで利用できる場所を作りたいと思い計画を進めています」(運上さん)
運上さん自身、夜間は愛夕さん、実來さんのたんの吸引や床ずれ予防のため、夫と交代して2時間おきに介護する生活を続けています。急な外出や体調不良時など、気軽に利用できる場所ができることは、多くの保護者が望んでいることです。
敷地には保育所や小児科クリニック、カフェ、遊びの広場なども併設予定で、日常の延長線にある地域の拠点として、子育て支援という意味でのサポートを強化し、地域づくりにも貢献していきたいと運上さんは語ります。
介護のない、3女と4女の育児に戸惑いながらも奮闘
そうした中、新しいパートナーとの間に生まれた三女(3歳)と四女(2歳)も、徐々にお姉ちゃんたちのことを理解するようになっているとか。入院で自宅にいないのがわかると「お姉ちゃんはどうしたの?」とたずねたり、深夜、救急車で運ばれたりするような事態にも、少しずつ応じられるようになっているそうです。
「コロナ禍での妊娠・出産、そして年子なので、周囲も突然、増えていた姉妹に驚かれることがよくあるのですが、下の2人は、言ってしまえばごく一般的な子育てで、それが私にとっては初めての体験だったので、介護のない育児が逆に怖かったというのが正直な気持ちです。
3人目、4人目だからベテランと呼ばれるにはほど遠く、ほぼ育児書通りに発育・発達する娘たちからは、驚きや感動も含めてたくさんの初めてを経験させてもらっています。介護のある育児・ない育児にかかわらず、4人とも可愛くて愛おしい、私の大切な娘たちです。
事業の立ち上げから7年、すべては私自身が薬剤師として働ける環境と支援づくりのために動き出したことがはじまりでした。重症心身障がい児と呼ばれる子どもたちだけでなく、すべての子どもたちを安心して預けられる場所を作ることはもちろん、医療的ケア児を持つお母さんたちも不安なく働ける社会の仕組みをつくることが、自分に課せられたミッションなのかもしれないですね」(運上さん)
介護が必要な上のお姉ちゃんたちと、これからますます活発になる妹さんたちの子育ては、これから先も長い道のり。運上さんにとっては、仕事と介護、そして子育てと、挑戦の日々はまだまだ続きます。
写真提供/運上佳江さん、取材・文/佐藤文子、たまひよONLINE編集部
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年9月の情報で、現在と異なる場合があります。
<プロフィール>
運上佳江さん
北海道十勝管内音更町出身。北海道医療大学を経て薬剤師として札幌市内の病院や薬局に勤務したのち、2017年にNPO法人ソルウェイズを設立。札幌市内外に5ヶ所の重症児者デイサービスを運営するほか、訪問看護、居宅介護事業も展開。「生まれ育った地域で、どんな重い障がいがあっても生きる」という法人の理念のもと、障害児者もその家族も、地域の中で安心して生活できていける社会づくりを目指し活動する。