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重症心身障がい児の姉妹を育てる母。医師からの「脳の一部がありません」の言葉に、夕日を見ながら涙した日【体験談】

更新

新生児の愛夕さん

重い障害があったり、医療的ケアが必要であっても、子どもは子どもらしく毎日を過ごしてほしい。そんな思いから、重症心身障害児のためのデイサービスを開設した運上佳江さん。自身も2人の重症心身障害児を含む、4人の姉妹を育てています。今回は、運上さんのはじめての妊娠・出産について聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

首が座らず目も合わない、笑わない…育児書と異なる娘の発育に不安な日々

愛夕さんと運上さん。
愛夕さんと運上さん。

小さい頃は体が弱く、頻繁に病院通いをしていたという運上さんは、身近な存在だった薬剤師に憧れて夢を実現。札幌市内の病院や薬局で薬剤師として勤務し、2008年に長女・愛夕(みゆ)さんを出産します。

「妊娠中は初期のつわりがひどかったくらいで、その後は出産まで順調な妊婦生活を送っていました。北海道なので、妊娠中でも雪かきをするぐらい、元気な妊婦だったと思います。出生時はへその緒が首と足にからまってしまい難産でしたが、体重も3000gを超えていました。ただ、娘はおなかの中で羊水を飲んでしまい肺炎になっていて、1週間ぐらい入院して様子を見てもらいました。」(運上さん)

その後、無事に退院した運上さんと愛夕さんは、自宅に帰り新生活をスタート。ミルクを飲むときに息が止まったり、むせたり、唇が青ざめたりといった症状は見受けられましたが、1カ月健診では発育良好と言われたそうです。

「生後60日が経ち、家族でフォトスタジオに撮影に行ってみたんです。そのときに、撮影に来ていた同じ月齢の子たちを見て、『あれ? うちの娘だけ何か変だな』と違和感を覚えました。体はしっかりしていないし、あやしても笑わない……そうした不安を抱えたまま3~4カ月健診を迎え、首が座らないことや手足を動かさないこと、目が合わないといった症状を相談しました。けれど、発育には個人差があるし、5カ月でもう一度再検査をしてみましょうという感じで、私のモヤモヤは残ったままで終わってしまったんです。

その後も小児科で予防接種を受けるときに、喉がゴロゴロするといった症状を相談しましたが、医師からは大丈夫という返答。5カ月目になって市の再検査を受けましたが、ここでももう1カ月様子をみましょうと。今回ばかりは、さすがにもう待てないなと思いましたね。5カ月になっても首が座らず、目も合わない、笑わないとなると、これはもう何かあるに違いないと強い不安感に襲われました。それで、小児科の先生にお願いして、大学病院の紹介状を書いてもらいました」(運上さん)

後日、運上さんは6カ月になる愛夕さんを連れて、大学病院を受診します。

嘘であってほしい…エイプリルフールに告げられた診断「脳の一部がありません」

生後半年ぐらいの愛夕さん。
生後半年ぐらいの愛夕さん。

大学病院では、どの科を受診すべきかを判断するため、最初に総合外来に案内されたそう。その際、愛夕さんの様子を少し見ただけで、医師は「大変だ!」と驚きの声を発したと言います。

「その時私は、『やっぱり何かあるんだ…』と心の中で思っていました。そしてすぐに、MRIを撮りましょうということになったんです。いろいろな検査を受けて、やっと夕方に診察室に呼ばれました。先生から、『残念ながら……』という言葉をかけられた時に、『どういうことだろう、残念ってなんだろう』と。そして、娘の頭部の画像を見せられたのですが、素人の私が見てもただごとじゃないとわかるほどで、大きな衝撃を受けたことは言うまでもありません。先生からははっきりと、『娘さんは、脳の一部がありません』と言われてしまいました。

その日はエイプリルフールで、これが嘘だったらいいのに……と。その日に限って、すごくきれいな夕日を見ながら泣きながら家路に着いたことは、今でもハッキリ覚えています。絶対に忘れられない1日でしたね」(運上さん)

その後行われた合併症の検査では、脳梁欠損のほかにも、髄しょう化(脳の成長に伴って神経細胞同士のつながりができ、神経の伝達速度も高まること)の遅れや視神経の異常、てんかんなどの症状があることがわかりました。でも、「娘さんには障害があります」と告げられるだけで、確定診断は得られないまま自宅での療養生活がはじまりました。

保育園探しに苦戦、生死をさまよった幼少期

愛夕さんと妹の実來さんの幼少期の頃。
愛夕さんと妹の実來さんの幼少期の頃。

愛夕さんに障害があると告げられたものの、未診断疾患のまま過ごしていました。復職を希望する運上さんは、愛夕さんの保育園探しをはじめます。近所の保育園に入園できるとばかり思っていましたが、どの園からも入園を断られてしまったのです。

「障害があっても、公的な施設であれば受け入れてもらえるものだと思っていたので、断られたことに正直、びっくりしましたね。発育具合を周りの子と比べてしまうので避けたかった10カ月健診でしたが、保健師さんにも相談したくて行きました。そうしたら、『障害のある子を持つお母さんの多くは、お仕事を辞めてずっとお子さんと一緒にいるものですよ』と言われてしまいました。

そこで、何とかして働ける方法はないかと大学病院の先生にも相談したところ、先生は『困ったねぇ』と共感してくれるだけ。病名も確定していない段階なので仕方がなかったのかもしれませんが、本当のことを伝えるのは私に酷だと思ったのか、気を遣っていてくれたのかもしれません」(運上さん)

保育園探しはなかなかうまくいかず、運上さんは育休を半年延長。食事を自分でとれるようになれば入園できるかもしれないと考え、その間、小児リハビリテーションセンターで食事をとるリハビリにもチャレンジしたそうです。

「そのとき、食事がとれているかの検査もしました。けれど、のどに飲み込んでいる様子もなければ、気管に入り誤飲していると言われてしまい……。その際、小児センターの先生からは、『娘さんのような、脳に先天的異常のあるお子さんは短命である場合が多い』と言われたのです。思いもよらないその一言に、ショックを通り越して、絶句してしまいましたね。どうしてこれまで、誰も本当のことを言ってくれなかったのかと、大学病院の先生にも不信感が募ってしまいました」(運上さん)

デイサービスでの、姉妹の様子。
デイサービスでの、姉妹の様子。

深い悲しみに沈む運上さんでしたが、「もう明日はないかもしれない」という考えもよぎり、それならば少しでも家族の思い出を作ろうという気持ちに切り替えて、旅行を計画しました。しかし、1歳の誕生日のお祝いを兼ねたその旅先で、愛夕さんがてんかんの発作を起こしてしまったのです。それをきっかけに、経鼻経管栄養から胃ろうに切り替えることを決意したと言います。

その後もさまざまな手術を経て、2歳、3歳と度重なる命の危機に立たされた愛夕さん。その度に、何とか危機を乗り越えては、胸をなでおろすという連続だったそうです。命がけで生きる愛夕さんを目の当たりにし、「娘を言い訳にしないで自分も行動を起こそう」と、訪問看護や祖母の協力も得ながら、夫の休日を利用して薬剤師にも短時間ながら復職します。

そして、病状がだんだんと落ち着きはじめた愛夕さんが4歳の年に、運上さんは第2子を授かりました。次は、愛夕さんに妹が誕生し、「重症心身障害児」のためのデイサービスを開設するまでのお話を聞きます。

写真提供/運上佳江さん、取材・文/佐藤文子、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年9月の情報で、現在と異なる場合があります。

<プロフィール>
運上佳江さん
北海道十勝管内音更町出身。北海道医療大学を経て薬剤師として札幌市内の病院や薬局に勤務したのち、2017年にNPO法人『ソルウェイズ』を設立。札幌市内外に5カ所の重症児者デイサービスを運営するほか、訪問看護、居宅介護事業も展開。「生まれ育った地域で、どんな重い障がいがあっても生きる」という法人の理念のもと、障害児者もその家族も、地域の中で安心して生活できていける社会づくりを目指し活動する。

NPO法人ソルウェイズ

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