夫は元騎手。数日前から体調が悪かった彼が、突然目の前で倒れ、そのまま帰らぬ人になるなんて…。残された妻と4歳息子の生きる道【体験談】
4歳になる男の子の母であり、モデル、インフルエンサー、そしてファスティング講師やカイロプラクターとしての顔も持つ山内菜緒さん。菜緒さんは2024年6月、夫を突然亡くしました。それでも、インスタグラムなどでは、以前と変わらぬ表情を見せてくれているように感じます。悲しみは内に秘め、前を向いて明るく生きる彼女の強さの秘密とは――。全2回インタビューの前編です。
長い友人期間を経て、結婚した夫。別居婚から始まり、移住→息子の誕生!
菜緒さんが、夫・小林徹弥さんと結婚したのは2018年のこと。当時夫は現役のジョッキー。菜緒さんは俳優やMCとしてタレント活動をしながら、カイロプラクターとしての仕事もしていました。
「元々夫とは長い期間、飲み友だちだったんです。20代半ばごろ、馬が好きだった私が、厩舎(きゅうしゃ)見学会というイベントに参加して、そこにゲストとして呼ばれていたのが夫でした。といっても、当時私は夫のことを全然知らなくて、私も夫も、そして仲間もお酒が好きというところから、飲み仲間になったという感じ。
当時は夫にも私にも別のパートナーもいましたし、純粋に飲み仲間だったんです。ただ、約10年を経て、お互いにいろいろあったあと、自然とおつき合いが始まり、結婚に至りました」(菜緒さん)
長い友人期間を経て、菜緒さん35歳、徹弥さんが45歳のときに結婚した2人。その結婚生活のスタートは、よくある形とは違っていました。
「結婚当初、夫は滋賀、私は東京で仕事をしていたので、私が東京と滋賀を行ったり来たりしながらの別居婚を続けていました。ただ、子どもを持つなら…と、その後、私が滋賀に移住することを決めたんです。
私自身は、すごく子ども好きというわけではなかったんですが、『なんでもやってみたい』という性分なので、女性として生まれたからには妊娠・出産も経験してみたいという感じでしたね。年齢も35歳を過ぎていましたし、あまりゆっくりはしていられないと思って。夫は夫で『菜緒ちゃんが子どもを欲しいのならいいよ』という感じでした」(菜緒さん)
そうして、2020年6月、2人の間に長男はっくんが生まれました。世間では、新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るい始めた時期でした。
「実際に自分の子どもが生まれたら、もうかわいくてかわいくて。私は一気に親バカになっちゃいました。
ただ、息子が生まれたのが、新型コロナウィルスの影響で外出できなくなり始めた時期だったし、しばらくして外出についての規制がゆるんできても、夫は土日も仕事、私は子どもを連れて東京に出張に行くことも増え、なかなか家族で遊びに出かけるということができなかったんです。
私と息子だけで出かけることは多かったんですけどね。今思えば、もっと家族一緒にいろんなとこ行きたかったなぁ」(菜緒さん)
そんな忙しくも幸せな結婚生活が5年目を迎え、夫は50歳、菜緒さんは40歳になった2024年6月。愛息子はっくんが、まもなく4歳の誕生日を迎えるというある日、まさかの出来事が起こったのです。
目の前で倒れた夫。応急処置をしていても、まったく現実味がなくて…
「当日、夫は朝から仕事に出かけて、いつも通り帰ってきたのですが、帰るなりすぐ部屋にこもってしまいまして。息子に『ごはんいる?』と聞いてもらったのですが、夫は『いらない』と答えて、寝こんでいました。
実は2~3日前くらいから、夫は『しんどい』と言っていました。夫はとにかくお酒が大好きな人なのですが、そんな彼が、その2~3日はお酒を抜いていたんです。なので、本当にしんどいんだろうなあと思って、私も『お酒を控えるほど体調が悪いんでしょう?ゆっくり寝てなよ』とか『風邪薬はここにあるからね』って、声をかけていたんですね。
もちろん心配でしたが、そこまで大ごとだとは思っていませんでした。だから、私と息子は翌日から金沢で行われるライブに行く予定だったこともあり、私は夜、息子を寝かしつけたあと、旅行準備をしていたんです。
すると、夫がふらっと部屋から出てきたと思ったら、私の目の前でバンッと倒れたんです。
びっくりしましたが、私は子どもの救急対処法で学んだことを思い出しながら、その場でできる対処をしなくちゃ、と思いました。けいれんを起こしていたので、吐いたりして喉に嘔吐(おうと)物が詰まったらいけないなと、夫の体を横に向けたり、タオルをかませたりして。
そしたら、夫がいびきをかきだしたので寝たのかなと思ってしまい、その場をほんのちょっと離れて戻ってきたら、いびきが止まっていたんです。なので、「ねえねえ、こんなところで寝たら風邪ひくよ」と声をかけたら、もう呼吸が止まっていて…。「これは救急車を呼ばなくちゃ…」と119番に電話。救急の人に電話口で指示してもらいながら、心臓マッサージをして、救急隊の到着を待ちました」(菜緒さん)
当日も仕事をこなしてきた夫が突然倒れるという事態にも、冷静な対処ができていた菜緒さん。でもそれは、目の前で起こっている出来事を現実のものとして受け入れられていなかったからかもしれないと、菜緒さんは言います。
「夫が倒れた直後のことは、鮮明に覚えているんですが、不思議と混乱していなくて、落ち着いて対応できた記憶があります。というのも、なんだかドラマを見ているような、まねごとをしているような感じで、現実味がなかったんです。今思えば、だからこそ混乱せずに対処できたのかもしれないなと感じています。
救急隊が到着して、寝ていた息子を抱きかかえて私も救急車に乗ったんですが、息子は翌日のライブを前々からすごく楽しみにしていたので、『もうライブに行くの?』と。そんな息子に『あぁ、これはどう説明しよう』と考えたりしていました。
その後の救急隊の方の対処を見たり、お話されていることを聞いたりして、私は『戻ってきてくれるのかな』と思っていたんですが、結局そのまま…でした」(菜緒さん)
病院で待っている間、息子さんにパパが亡くなったことを伝えたという菜緒さん。でも、3歳の息子さんが、その場で状況を理解するのはなかなか難しかったそうです。
「息子に『パパが死んじゃったんだ。明日のライブには行けないよ』と伝えましたが、息子はそのときの状況を把握できなくて。『楽しみにしていたライブに行けない』ということだけはわかったみたいで『やだやだ、ライブに行きたい!』と泣いていましたね。
そんな息子が、パパがいなくなったことをちゃんと理解したのはお葬式のときでした。実はその1年前に、息子のひいおばあちゃんが亡くなったのですが、そのときに、棺(ひつぎ)に入って寝ている人はもう起きてこなくて、お葬式をしたら体を燃やすんだということを息子は覚えてたようで、それがパパにも起きているんだ…と認識したみたいです。
まだ『悲しい』の意味をどこまで理解できているかわからないような年頃の息子でしたが、その日を境に、息子の『僕がやらなくちゃ』という気持ちがすごく強くなった気がします。『ママ、これ持ってあげる』『ぼく、お手伝いするね』と言ってくれることがすごく増えて。まだ4歳になったばかりなので、私がやったほうが早いんですけど、息子のそういう気持ちがうれしいし、『あぁ、パパがいなくなって、私を守ろうとしてくれているんだなぁ』と感じて頼もしいです。
もちろん、息子もさみしさを感じる瞬間はあって、ぽつりと『もっと3人でかくれんぼしたかったな…』と言われたときには、私もグッときました。
パパの死はとてもとても悲しい出来事だったけれど、息子をすごく成長させてくれたなとも感じているんです」(菜緒さん)
お話・写真提供/山内菜緒さん 取材・文/酒井有美、たまひよONLINE編集部
やりがいのある仕事をし、理解ある夫と結ばれ、かわいい息子さんが誕生し…と幸せな日々を過ごす中で迎えた、突然の夫の死。どんなにつらい出来事だったかと想像を絶します。でも、パパが残してくれた息子さんの存在は、菜緒さんにとって大きな支えとなっているようです。後編では、2人になった息子さんとの生活のことや将来のこと、同世代ママ・パパに伝えたいことなどを聞きます。
山内菜緒さん(やまうちなお)
PROFILE
美容カイロプラクター、ファスティング講師。子役としてデビュー後、俳優やMCなどのタレント活動を開始。出産後は、4歳の息子はっくんと親子モデルとしても活動している。2024年6月、元JRA騎手で調教助手の夫、小林徹弥さんが急逝。強く明るく前向きに生きる姿が印象的な1児のママ。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2024年12月現在のものです。