3人のママ、鈴木亜美。第1子の子育てはワンオペで、精神も不安定に。コロナ禍の経験でわが家は初めて“家族”になれた
歌手、タレントとして活躍する鈴木亜美さん。プライベートでは、2016年に7歳年下の一般男性と結婚し、7歳と4歳の男の子、2歳の女の子の子どものママに。自身のYouTubeチャンネルでは、日々の飾らないママとしての姿を発信しています。今回は、3人のママとしての日々の暮らしや子どもたちのこと、出産時のエピソードを聞きました。
全2回インタビューの前編です。
初めての子育てはなんでもやってしまったから、2人目以降は“見守る”子育てを
――子どもたちとの日々の暮らしについて教えてください。
鈴木さん(以下敬称略) 長男は7歳で小学2年生、二男は4歳の年中さん、長女は2歳になりました。下の2人は同じ保育園に通っています。下の子たちの保育園のお迎えが16時半〜17時なので、夫と協力しながら行けるほうがお迎えにいっています。
夫はコロナ禍がきっかけで、仕事のスタイルが大きく変わり、基本的には在宅勤務なんです。そのおかげで、何かあってもどちらかが対応できるようになりました。
私はイベントなどの仕事だと、どうしても週末になってしまうことも多いんです。そういうときは、ごはんだけ準備をしておいて、夫に子どもたちをお願いしています。夫の両親が家のすぐ近くに住んでいるので、週末に私がいないときは、実家に行ってみんなで遊んでいるみたいです。平日に、夫と私が対応できないときにも、義母に保育園のお迎えに行ってもらったり。食事のしたくまでしてもらうこともあって、本当に心強いですね。
――3人の子どもたちは、それぞれどんな性格でしょうか。
鈴木 3人とも、めちゃくちゃパワフルで、いつも元気があり余っている感じですね。ただ、性格はバラバラです。
長男は、小さいころから何にでも積極的にチャレンジするような子。そして、すごく優しい性格で、基本的に私のことが大好きです。なので、私とけんかになると泣いちゃうような子なんです(笑)。ママにだけは嫌われたくなくて、よく言うことも聞いてくれます。そういう面では、私も助かっていますね。
二男は、長男とは逆という感じ。人前に出るのが恥ずかしくてシャイな部分があって、そして頑固です。「これやってほしいな」と言っても、「嫌だ、なんでやらないといけないの?」というような、意思が強いところがあります。だから、ときに私とぶつかることもあります。でも、基本的にはすごく優しくて、みんなで遊ぶことが好きみたいです。あとは、お兄ちゃんが大好きなので、基本的にお兄ちゃんと一緒のことをしたがります。
長女は3番目ということもあって、覚えることも早いし、おしゃべりも早かったですね。基本的に、私のまねばかりしています。頑固なところもあって、嫌なことは絶対にしないし、やりたいと思ったことをやらせてもらえるまで泣き続けることも。きょうだいの中で、絶対的な権力をもっている感じですね(笑)
――初めての子育てのときから比べて、今は子育てに対する考え方も変わったのでしょうか?
鈴木 長男のときは、私も初めての子育てということもあって、着替えも片づけも、食べさせるのもなんでも私がやってしまっていたんです。そのせいか、長男は使ったものは出しっぱなし、脱いだ服は脱ぎっぱなしで・・・。それで、子どもが自分でやろうという意思を持たせることが大切なんだと、考えが変わりました。
そういうこともあって、二男と長女のときは、“見守る”ということを意識して子育てするようにしています。
長女は末っ子で、兄2人に甘えられて育ちましたが、すごくしっかりしている面もあって。“見守る”子育てを意識するようになったからか、長女は1歳半ぐらいから、お片づけも着替えも自分でやるし、お出かけの準備もするんです。だから私も、できるだけ手を出さないようにして、娘が納得するまでやらせるようにしています。
――娘さんとのツーショット写真を公開されたときに、鈴木さんにそっくりと話題でしたね。
鈴木 娘は私の小さいころにそっくりですね。両親も、「亜美の小さいころ、そのまんまだよ」と言っているぐらい。娘を見ていると、ある角度がすごく似ていたり、ふと見る表情が「自分を見てるみたい」と、不思議な感覚です。
私には兄と妹がいるんですけど、私が両親にとって初めての女の子ということで、すごく甘やかされて育ったようです。それと、小さいころは体がすごく小さくて、小学5年生ぐらいまではいつも列の一番前。先生にも甘えていたし、みんなに守ってもらいながら育ってきたような環境だったんです。そういうところは、長男に似ているのかなと思います。
ただ体格の面では私と全然違って、うちの子たちはみんな体が大きいんです。パパが180センチ超えているので、そこはパパに似たようです。
初めての出産は、「痛みさえ耐えれば、楽しくてうれしくて幸せなこと」と実感
――3人の妊娠中や出産時はどうでしたか?
鈴木 3人とも、妊娠中はつわりもまったくなくて、「本当に妊娠しているのかな?」と思ってしまうぐらい普通に過ごせていました。よく食べていたし、気持ちも安定していましたね。自分の中でも、妊娠中はいいホルモンが出ている感覚で、幸せを感じられていた時期でした。3人ともそんな感じだったので、出産ギリギリまで仕事もできました。
長男のときは、自然分娩を希望しました。初めての経験で、すべてが未知の世界という感じでしたね。
分娩のときも、「頭が出てきましたよ、触ってみますか?」と先生に言われたので触ってみると、髪の毛に触われたんです。そのときに、「私、今、出産してるんだ!」と一気に感情があふれてきて、涙が出てきましたね。長男もちょっとフライングだったのか、まだ頭が途中までしか出てきていない状態で泣き始めてしまったようで、泣き声が聞こえてきたんです。それで、「やばい、産まなきゃ!」という感じで、そこからまた頑張っていきんで産みました。
――初めての出産なのに、なかなか冷静ですね。
鈴木 もちろんすごく痛かったし苦しかったですけど、けっこう冷静でした。YouTubeで事前に動画を見て勉強していて、「死ぬほど痛い」というイメージで望んだので、「思ったよりもそこまでじゃないし、痛みだけ耐えれば、楽しくてうれしくて幸せだな」という、そっちの印象のほうが強かったですね。あと、自分自身も、けっこう痛みに強くて、パワフルなところがあるんです。
長男のときは夫が立ち会う予定だったんですが、仕事で間に合うかどうかという感じで・・・。もうすぐ到着しそうということで、最後のほうのいきみはパパ待ち。ギリギリダッシュで分娩室に入ってきたら、そのあとすぐにいきんで長男が生まれました。夫は、血を見るのも苦手な人なので、クラクラしながらの立ち会いだったと思います。
出産後に悩んだのが、授乳の痛みでした。私の場合、陣痛の痛みよりもずっとつらかったんです。母乳の出がよくて、数時間待たずにすぐに胸がパンパンに張ってきちゃうので、しょっちゅう搾乳していました。それがかなり大変で、睡眠不足にも・・・。産後の入院中も搾乳ばかりしていて、ストックがいっぱいになっていたのを覚えています。
ただ、二男と長女のときは、授乳でそんなに苦労はしなかったんです。おっぱいのほうも、慣れたのかもしれませんね(笑)
――3回目の出産はどうでしたか?
鈴木 長男と二男は自然分娩だったんですが、3人目は無痛分娩を選びました。もう、痛くて耐えられないと思って(笑)。年齢も40歳だったので、そこで無理しても・・・という思いもあったし、無痛分娩も経験してみたかったんです。
無痛分娩は、とにかく痛みも何もなかったですね。「もう全開ですよ。いきんでいいですよ」と言われても、「えっ、もういいんですか?」という感じ。いきむのも自然分娩のときと比べて楽で、間に休憩を取らなくても永遠にいきめそうでした。それで、一気にポーンと生まれたんです。
産後も体力が余っていたので、分娩直後はすぐにおなかがすいてしまって(笑)。まだ裸の赤ちゃんの横で、しっかりとごはんを食べました。とにかく、産後も元気でしたね。その日からスタスタ歩けたし、退院した直後からも普通に家事をしていたぐらいです。
コロナ禍で仕事のしかたや暮らし方が大きく変わり、初めて“家族”になれた
――パパとは、結婚後、子どもをもつことついて話し合っていましたか?
鈴木 結婚したとき、夫は20代後半で、私は30代半ばでした。私は子どもが欲しかったのですが、夫はまだ若かったし、まだまだそういう思いはなかったようでした。自分の子どもというのが、想像できなかったんだと思います。でも、私の妊娠がわかって、実際に子どもが生まれてきて、初めて実感したようでしたね。
――それからだんだんと、父親としての責任感みたいなものが出てきたのでしょうか。
鈴木 コロナ禍になる前までは、夫はほとんど出張で家にいなかったので、長男のときにはほぼワンオペだったんです。初めての子育てだったし、まわりにママ友もいなかったし、わからないことだらけで大変でした。私もバリバリ仕事をしている状況だったんですが、今のように夫の両親が近くにいるわけではなかったので、頼れる人もいなくて・・・。
当時は、保育園事情にもまったく知識がなかったので、3歳まで保育園に入れることができなかったんです。一時保育などを利用しながらなんとか仕事をしていました。自分で全部調べてやっていましたが、常に周囲のママたちより出遅れながらという感じで、そのころは精神状態も不安定でしたね。
――だれかに相談はできていたのでしょうか?
鈴木 長男を妊娠したタイミングで、事務所がいろいろと考慮してくれて、現場のマネージャーがお子さんのいる女性に変わったんです。それで、子育てのことをなんでも相談できたし、いろいろ教えてもらえて、本当に助かりましたね。一時保育が利用できず、長男を現場に連れて行ったときは、仕事の間はマネージャーがミルクやおむつ替えなど面倒を見てくれていました。
当時は子育てのことで気分が沈んでしまうこともあったので、逆に、仕事を入れてもらっていました。仕事場に行けばみんながいて、1人にならなくて済むというのが救いでしたね。仕事をしながらリフレッシュもできたので、それで普段の自分を取り戻していった感じでした。
――2人目、3人目と、子育ての状況は変わっていったのでしょうか?
鈴木 2人目以降は、私の子育てのしかたもずいぶん変わりました。1人目の経験もあるし、「なんでも早めにやっておこう」という感じで、子育てをするようになりました。1人目のときは出遅れてしまった保育園の入園にしても、生まれる前からここに入れようと準備しておいたりも。
二男が生まれたときが、ちょうどコロナ禍だったということもあって、暮らし方も大きく変わりました。打ち合わせなどもすべてオンラインになったので、仕事も少し落ち着いていたこともありますね。夫も在宅勤務になったので、家に家族みんながいるような生活に。長男はパパと一緒に外に遊びに行ってもらって、私と赤ちゃんだった二男は家でゆっくり過ごすなど、夫婦2人で子育ても分担できるようになりました。
コロナ禍を家で過ごせたことで、パパ自身が、子育ての大変さだったり、仕事や家事とうまく両立させないといけないことをリアルに実感してくれたと思います。そこから、家事も積極的にやってくれるようになりました。コロナ禍はもちろんとても大変な時期でしたけど、わが家にとっては、そこで初めて“家族”になれた大切な時期だったと思います。
お話・写真提供/鈴木亜美さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部
3人の子どもたちの妊娠・出産は、つわりもまったくなく、出産にも冷静に向き合えたという鈴木さん。しかし、第1子を出産後はワンオペの状況が続き、精神的に不安定になっていた時期もあったそうです。事務所のサポートもあり、仕事で仲間とつながることで、いつもの自分を取り戻していきました。また、1人目の育児の経験をいかして、2人目以降は、親が“見守る”子育てを実践したり、保活は早めに動いたりとさまざまな工夫をするようにも。また、家族にとっては、コロナ禍が大きな転機にもなったようです。
インタビューの後編は、3人になった育児のことや、気持ちのリフレッシュにもなっているという激辛料理、整理収納アドバイザー取得について聞きました。
鈴木亜美さん(すずきあみ)
PROFILE
1982年、神奈川県生まれ。テレビ東京系バラエティ番組『ASAYAN』のオーディション企画で優勝し、1998年に小室哲哉のプロデュース『love the island』で歌手デビュー。2016年に一般男性と結婚し、翌年1月には第1子を出産。2020年2月には第2子、2022年8月に第3子を出産して3児のママに。2022年度の『ベストマザー賞』を受賞している。激辛料理をペロリと食べることから「激辛女王」と言われている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年12月の情報で、現在と異なる場合があります。