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2人の娘のパパ、日本代表ミドルブロッカー・高橋健太郎。「出産の立ち会い時、僕が過呼吸になっちゃった!」

更新

長女が4カ月のころベビーカーでお散歩に。

2024年夏に開催されたパリオリンピック。バレーボール男子日本代表チームの熱い激闘は、見る人に感動を与えてくれました。そんな日本チームでミドルブロッカーとして活躍した高橋健太郎選手は、4歳と2歳の女の子のパパです。長女の出産に立ち会ったことや、二女の産後に「男性育休を取った」と報じられたことなどについて聞きました。
全2回のインタビューの前編です。

2人の娘にオリンピックでの勇姿を見せられた

――パリオリンピックは、準々決勝敗退ではありましたがすばらしい試合でした。パリはいかがでしたか?

高橋選手(以下敬称略) 試合前後も含め2週間ほど滞在しましたが、すごく楽しかったです。妻と娘たち、僕の母と義母もパリに来ていて、試合の合間にあるオフの日には家族と一緒に観光をしたり、街の雰囲気を味わうことができました。

僕自身、娘たちにオリンピックで活躍する姿を見せたいと思ってこれまで頑張ってきたので、感慨深かったです。娘たちもスポーツのすばらしさを肌で感じてくれたんじゃないかな。娘たちにとっては初めての海外で、異文化に触れてよっぽど楽しかったらしく、今でも「パリに行きたい!」と言っているくらいです。

――妻・伊織さんとの出会いについて教えてください。

高橋 出会ったのは大学4年生のときです。友人と食事に入った店にたまたま妻がいて、友人の知り合いだったので紹介してもらったときにひと目ぼれしました。同じ大学でも僕は体育学部、妻は国際学部なので、キャンパスでは見かけたことがなかったですし、妻はスポーツにそんなに興味がなかったみたいで、大学時代に日本代表に選出されていた僕のことも全然知りませんでした。

出会ってすぐ、僕にないものを持っていて、話も面白くて尊敬できる人だと感じました。連絡先を聞いて何度も食事に誘ったんですけど、ずっと断られ続けて・・・(笑)。バレーボールをしているすごく大きい人がガツガツ話しかけてくるな、と感じていたみたいです。何度もトライして、ようやく食事にこぎつけました。じっくり話してみたらすごく話が弾んで、そこから何度かデートをしてつき合いが始まった感じです。

――いつごろから結婚を考えていたんですか?

高橋 妻とつき合い始めて2~3週間くらいで「もしかしたら結婚するかも」と。何気ないことで一緒に笑え合えたり、すごくフィーリングが合って、ずっと一緒にいたいと思ったんです。大学を卒業して2年後、2019年のワールドカップの大会で活躍ができたことをきっかけに、正式にプロポーズをして結婚を決めました。

陣痛中の妻を応援したらパパが過呼吸に?!

パリオリンピックでのオフの日に家族でエッフェル塔に観光へ。

――2020年の長女の出産のとき、立ち会いましたか?

高橋 はい、立ち会いました。妻の妊娠中から「立ち会ってほしい、手を握っていてほしい」と言われていて、僕も「絶対に行くよ」と約束していました。チームにも出産時には休みをもらえるように話して、理解してもらえたのでよかったです。

妻は茨城県の実家近くの病院で里帰り出産をしたのですが、陣痛が始まったと連絡が来たときには僕はチームのある静岡県で練習中でした。夕方くらいになって義母から「娘が来てほしいと言っている」と連絡があり、すぐに車で茨城に向かいました。夜に病院に着いたけれど、その日は結局出産が進まず。妻が分娩室に入ったのは翌日の午後でした。

――出産本番、どんなふうにサポートしましたか?

高橋 分娩室で、妻の隣で僕も一緒にずっと「ひ、ひ、ふー」の呼吸法をしながら応援していたんですけど、僕がやり過ぎて過呼吸になっちゃって(笑)。看護師さんに「お父さんは休んでて」と怒られ、分娩台で妻が苦しんでいる横で、僕もぐったりしていました。過呼吸が治ってから、また妻の手を握って応援しました。

陣痛は思った以上に壮絶で、妻はあまりの痛みに取り乱していました。妻が命を削って子どもを産む瞬間に立ち会うことは、一生に1度できるかどうかという経験です。思い出すだけで今も涙が出そうなくらい、命の誕生の瞬間は感動的でした。

――初めて娘さんに会ったときはどう感じましたか?

高橋 長女が生まれてすぐに抱っこさせてもらいました。3400gくらいだったと思いますが、ずっしり重く感じました。ものすごくかわいかったし、初めて「心の底からいとおしい」という感情を知った気がします。不思議な力がわいてくるような感覚です。

月並みですけど、父親としての覚悟ができた瞬間でした。当時僕は24歳で若く、父親として子どもを養っていけるのかと少し不安もあったんですが、出産に立ち会って「絶対に頑張るんだ」と決心できました。

長女の出産に立ち会い、二女の産後は育休取得

家族で公園へ遊びに。202cmのパパの肩車は高〜い?!

――その後、赤ちゃんのお世話にはどんなふうにかかわりましたか?

高橋 毎日の練習を休むことはできなかったので、長女が生まれた日に静岡に戻り、週に1回休みの日に車で妻の実家に通う生活をしていました。

首がすわるまでは、おむつ替えをするにも抱っこするにもすごく怖くて緊張しましたね~。1週間に1回のお世話では全然慣れなくて。妻に「見よう見まねでやってみて」と言われてチャレンジするんですけど、途中で「お願い、助けて」と妻に泣きついて助けてもらいながらやっていました。

――その後、2022年に二女が生まれたとき、世界選手権の日本代表メンバーに招集されるも辞退しています。育休と報道されましたが、実際はどうでしたか?

高橋 6月の二女の出産の日、僕はネーションズリーグの予選でブラジルにいました。空港に到着してWi-Fiがつながった瞬間に、妻から「生まれたよ」というメッセージと二女の写真が届き、その写真を見て「今すぐにでも帰りたい!」という気持ちになったんです。

赤ちゃんを育てる時期は、人生の中でいちばん幸せな時間だと思います。どんな経験も代えられないほどのすばらしい時間。それを逃したくない、と強く思いました。それで、日本代表チームには7月のネーションズリーグまで帯同し、8月以降は日本代表チームに無理を言って世界選手権を辞退することに。

――どのくらいの期間、一緒に子育てできましたか?

高橋 妻は2人目を実家の茨城ではなく、僕たちが住んでいた静岡で出産し、義母の手伝いが終わってからはずっと1人で娘たちの世話をしてくれていました。代表チームを降りてから8~10月の3カ月くらいは、静岡の自宅で妻と一緒に子育てすることができました。二女の首すわりや、初めての寝返りなどの成長の1つ1つをそばで見ることができて、本当にうれしかったです。赤ちゃんのお世話にも慣れて、娘たちのおふろは僕が担当でした。長女のときはおっかなびっくりしていましたけど、二女のときはびびらずにジャブジャブ入れていたので、強い子に育ったと思います(笑)

長時間の抱っこはアスリートでも厳しい!

――子育てで大変だと感じたことは?

高橋 子どもを長時間抱っこすることの大変さは身にしみてわかりました。子どもをもつまでは、外出先で子どもが「抱っこして」と泣いているのに「まだ抱っこできないよ、歩いてね」というような親子連れの光景を目にして、「あんなに泣いてるんだから抱っこしてあげればいいのにな」とずっと思っていたんです。

でも、実際子どもの長時間抱っこはアスリートの僕でもきついです。4歳にもなると15~16kgくらいありますよね。この重さを、僕より筋肉が少ない女性が長時間抱っこするのは、本当にすごいことなんだな、と。僕は一般的な家庭に比べて子どもと一緒にいる時間は少ないですから、毎日子どもを抱っこしている世間のママ・パパたちはずっと大変だと思うし、尊敬します。

――娘さんたちの成長でとくにうれしかったことは?

高橋 全部うれしいですけど・・・いちばんは、僕のバレーボールの試合会場に来て、「パパがバレーボール選手だ」と理解して応援してくれるようになったことでしょうか。最近はスポーツに興味を持ち始めて、バレーボールをやりたいと言い始めたりするのが、僕にとってはものすごくうれしいです。

僕も妻も、娘たちにスポーツを強要するつもりはまったくなくて、自分の好きなことをして育ってほしいと思っているんです。でも、スポーツによって、人とコミュニケーションする力や、集団で何かに取り組む力がつくよさはあると思うので、娘たちがスポーツに興味を持つのはすごくうれしいです。長女は今体操教室に通って、体操が大好きです。二女はバレーボールに興味があるみたいです。

家族のために挑戦し続けたい

長女4歳、二女2歳。姉妹おそろいのリュックでお出かけです。

――高橋選手にとって家族の存在はどんな力になっていますか?

高橋 僕は家族の存在がなければ、ここまでのキャリアを築けていないと思いますし、バレーボールもやめてしまっていたかもしれません。家族と喜びをわかちあうために頑張っていると言っても過言ではないと思います。

これまで十数年間日本代表チームの練習に参加してきて、十数年間毎日トレーニングを重ねる日々を繰り返しています。その日常をずっと続けることは精神的なきつさもあります。とくにオリンピックが終わった今、‟燃えつき症候群”のような感じがあることも事実です。

でもそれでも続けられているのは、バレーボールを通して娘たちに伝えられることがあるはずだと思うからです。バレーボールで生計を立てて挑戦し続ける父親の姿が、娘たちが生きていく上でのお手本になったらいいなという思いもあります。だからこれからも家族のために、挑戦し続けたいと思っています。

お話・写真提供/高橋健太郎選手 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編 

2人の娘の成長の様子を優しい笑顔で語ってくれた高橋選手。家族の存在がプレーする上での大きな力になっているようです。
インタビュー後編では家族との過ごし方などについて聞きます。

高橋健太郎選手(たかはしけんたろう)

PROFILE
1995年生まれ、山形県出身。身長201cm、ポジションはミドルブロッカー。中学で野球に打ち込んだもののひじの故障で断念。米沢中央高校でバレーボールの道へ。筑波大学を卒業後、東レアローズをへて2024年ジェイテクトSTINGS愛知に入団。2014年から日本代表チームに参加。2022年から3年連続Vリーグブロック賞を受賞。

高橋健太郎さんのInstagram

※高橋健太郎さんの「高」は、正しくは「はしごだか」です。
●記事の内容は2024年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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