50メートル走や、プールにもぐって息を止めるのは禁止。小学校の登下校は車で送迎などの運動制限が【先天性心疾患】
塩見元康(31歳)さんは、生まれてすぐ完全大血管転位症(かんぜんだいけっかんてんいしょう)と診断されました。
完全大血管転位症とは、日本小児循環器学会の情報によると、大動脈と肺動脈の位置が完全に逆になる病気です。先天性心疾患の1.8%にあたり、約5000人に1人の頻度で起こります。
難病のある子どもとその家族を支援する認定NPO法人ラ・ファミリエの副理事長および愛媛県心臓病の子どもを守る会 事務局を務める、母親の塩見光恵さんに、1歳6カ月で受けた手術のことや元康さんの成長、ラ・ファミリエの活動について聞きました。全2回のインタビューの後編です。
自宅から遠く離れた循環器の専門病院で、1歳6カ月でフォンタン手術を
元康さんが、完全大血管転位症と診断されたのは生後20日のこと。完全大血管転位症には、3つの型があり、元康さんは肺動脈が細い特徴があるIII型で、医師からは「III型は手術をそんなに急ぐ必要はない」と説明されました。手術ができる体力がつくのを待ち、元康さんは1歳6カ月のときフォンタン手術を受けました。
――手術について教えてください。
塩見さん(以下敬称略) 元康が完全大血管転位症と診断されたのは、大学病院です。しかし、そこでは手術ができないと言われて、循環器の専門病院で手術を受けることになりました。
手術をしたのは、1歳6カ月のときです。フォンタン手術といって、上大静脈、下大静脈の両方を人工血管でつなぎ、肺動脈に血液を流す手術です。この手術によって、チアノーゼ症状も改善できるとのことでした。
当時、医師から手術で、事前準備はしているが想定以上に出血が多くなる可能性があり、輸血用に生血が必要になるかもしれないと言われて、私や夫、親せきが集まり、手術が終わるの待合室でずっと待ちました。
手術の日は、偶然にも私の誕生日で、看護師さんがバースデーカードをくれたことが本当にうれしかったです。元康が入院中、毎日、病院に通っていたのですが、看護師さんはよく「お母さん眠れている?」「食事はとれている?」と聞いて、気づかってくれたんです。看護師さんとの会話が心の支えでもありました。
術後ICUで見た元康は、チアノーゼが改善され、唇や足の裏がピンク色でした。あのときの感激は、今でも忘れられません。
紹介された循環器の病院は自宅から遠く離れていたので、私は夫や娘を残して、病院近くの賃貸マンションに住み、元康のもとに通いました。
そのマンションは、全国心臓病の子どもを守る会から紹介されたのですが、ボランティアの人が管理・運営していました。当時は、ファミリーハウスなどが少なかったんです。そのマンションでは、同じような状況のママたちが何人かで共同生活をしていました。そのマンションからで元康が入院している病院は片道40分かかりました。
退院後は、出血に注意。心臓に負担がかかる運動も禁止
手術は無事成功。元康さんは約4カ月入院をして、自宅に戻りました。
――退院後の生活について教えてください。
塩見 血栓ができないように、血液をサラサラにする薬を服用していたので、医師からは「けがをして出血しないように。出血すると血が止まりにくくなるから」と言われました。
元康の発達は順調で、歩き始めたのは1歳過ぎです。1人で歩いたり、階段を上り下りしたりするので、けがをしないように注意しながら、そばに付いて見守っていました。
また心臓に負担をかけないように、運動制限もありました。元康は、年少クラスから保育園に通い始めたのですが、水遊びはしてもいいけれど、プールにもぐって息を止めるのはダメでした。50メートル走も禁止されていました。階段を上っていいのは2階まででした。
小学校は、自宅から片道2.5kmの距離があり、医師からは「徒歩で登校しないように」と言われたので、私や夫が車を運転して送迎しました。
小学生になると1回だけ、みんなと同じように運動ができなくて悔しくて泣いたことがあります。その姿が今でも忘れられません。元康が泣いたのは、この1回だけです。車で小学校に送迎しても「みんなと一緒に歩いて登校したい」とも言いません。自分の病気を受け入れていたし、親に心配をかけないように我慢していたのだと思います。
――通院について教えてください。
塩見 1~2歳ごろは、完全大血管転位症と診断された大学病院には2カ月に1回、手術を受けた循環器専門病院には半年に1回通い、カテーテル検査を受けたりしました。今でも、2つの病院には経過観察で定期的に通っています。
6歳ごろまでは、血液をサラサラにする薬や不整脈の薬など、1回で約6~10種類服用していました。粉薬なので、水に溶かしてスポイトで飲ませるのですが、親子ともに慣れるまでが大変でした。
3歳の長女と4カ月離れた生活
元康さんには、2歳上のお姉ちゃんがいます。元康さんがフォンタン手術をしたとき、長女は3歳でした。
――上の子は、いつごろ元康さんの病気を理解したのでしょうか。
塩見 当時、元康が入院していた大学病院は、子どもも病室に入って面会が可能でした。毎日1時間かけて車で面会に行くのが日課で、長女は弟に会えるのがうれしそうでした。
またチアノーゼが強くならないように、私や夫が元康をずっと抱っこしたりしていたので、長女も物心がついたときは「弟は何か病気がある」とわかっていたと思います。
また心臓の絵を書いて、病気について長女に話したこともあります。「大きな心臓の病気がある」とわかったのは、たぶん、小学1年生ごろではないでしょうか。
ショックだったのは、元康が心臓の手術をして自宅に戻ってからです。長女に円形脱毛症ができていたんです。4カ月の入院の間、多いときは週3回、夫が長女を連れて、車で片道4時間近くかけて会いに来てくれていたのですが、それでも寂しくて、つらかったのだと思います。
その後、長女は帯状疱疹にもなりました。幼い娘に大きなストレスを与えてしまい「ごめんね」という気持ちでいっぱいでした。
――元康さんの進学について教えてください。
塩見 元康は、完全大血管転位症と診断された大学病院と、手術を受けた循環器専門病院に定期的に通いながら、県立高校に進学しました。高校は、夫の父と母が毎日車で20分かけ送迎してくれました。
高校卒業後は、本人の希望でデザインの専門学校に進学。自宅から離れた専門学校だったので、マンションでひとり暮らしをすることになりました。「親元から離れて、万一何かあったらどうしよう・・・」と本当に不安でした。緊急の場合は、マンション近くの県立病院を受診できるように手配しました。また進学を機に、外来には1人で通うようになっていました。病気を自分事としてとらえ、自分で体調や薬の管理をすることは自立の一歩。巣立っていく元康をたくましく感じました。
元康さんは、認定NPO法人ラ・ファミリエの活動に参加するように
元康さんは、現在31歳。会社員として働きながら、認定NPO法人ラ・ファミリエの活動にも参加しています。
――塩見さんが、認定NPO法人ラ・ファミリエの活動に参加するようになったきっかけを教えてください。
塩見 元康が保育園のころに、慢性疾患児家族滞在施設「ファミリーハウスあい」が主催するキャンプに、家族で参加したのがきっかけです。「ファミリーハウスあい」は、ラ・ファミリエが運営する事業です。
また、ラ・ファミリエは、「地域子どものくらし保健室」を開設し、小児慢性疾病のある子どもやその家族が相談することができる窓口や、病気のある子ども同士の交流の場を作ったりしています。また、入院・療養中の子どもたちの学習支援も盛んですし、就職に関する相談や技能訓練、きょうだい同士の交流会なども行っています。
私たち家族が参加したキャンプの目的の1つも、きょうだい児支援でした。キャンプには長女も楽しそうに参加しました。私がすでに入会していた「全国心臓病の子どもを守る会」の会員も多く参加していて、このキャンプで知り合いが増えて、しだいにラ・ファミリエの活動にも参加するようになりました。
――現在、認定NPO法人ラ・ファミリエの活動には、元康さんも参加しているのでしょうか。
塩見 ラ・ファミリエには売上の一部を、ラ・ファミリエが行っているさまざまな支援活動に使用させていただく「支援自販機」というものがあります。その自販機のボディの画のデザインをしたのが元康です。デザイン専門学校の卒業制作です。
また今では夏のキャンプなどにも、当事者の先輩として参加しています。元康は、子どもたちから寄せられる「学校の宿泊行事に参加できるかな?」「運動会で参加できない競技があるんだけど。もっくんは、どうしてた?」などの悩みや不安に答えています。
同じ心疾患の仲間は、大切な存在だと思います。
――元康さんの子育てを振り返って、思うことはありますか。
塩見 ラ・ファミリエの活動の目標の1つに、子どもの自立があります。ですが振り返ると私は、元康の自立を妨げていたのかも・・・と思うこともあります。
高校生までは、学校の先生などに病気の説明をするときは、いつも私が中心になって話していました。元康は、いつも私の横で黙って話を聞いていました。
外見ではわからない病気だからこそ、本当は小学生ぐらいから、自分で病気のことや運動制限のことなどを周囲の人に伝える力がつくようにかかわっていけばよかったというのが、私の反省点です。
こんな私の反省も、大きな病気のある子どもがいるママ・パパたちに伝えていきたいと思っています。
お話・写真提供/塩見光恵さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
塩見さんは、元康さんの病気がわかって不安を抱えていたころ、全国心臓病の子どもを守る会に入会。元康さんよりも年上の子どもたちが元気に遊ぶ様子を見て「元康も、こんなふうに大きくなれるのかも・・・」と勇気や希望をもらったと言います。
そして現在は、認定NPO法人ラ・ファミリエの活動を通して、元康さんは難病のある子どもやその家族に勇気や希望を与えています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
塩見光恵さん(しおみみつえ)
PROFILE
愛媛県在住、2人の子の母。長男が先天性心疾患とわかり、生後6カ月で「全国心臓病の子どもを守る会」に入会。愛媛県支部の事務局を長年務め、患者家族同士の交流を深めている。小児慢性特定疾病児童等自立支援事業等を行う「認定NPO法人ラ・ファミリエ」の副理事長を務める。病気を乗り越え成長し、社会的に自立していけるよう患者家族に寄り添い、支援が早い段階で届くように活動している。
認定NPO法人ラ・ファミリエ
愛媛県松山市を拠点に、2002年、難病のある子どもとそれを懸命に支える家族を支援することを目的に設立。大きな病気のある子どもと、家族に寄り添い力になるためにさまざまな活動を展開中。写真は、元康さんがボディの画をデザインした支援自販機。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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