チャラン・ポ・ランタン 小春、緊急帝王切開で生まれた長男には脳性まひが。「脳波が平坦」の診断結果に、張り詰めていた心の糸が切れた
姉妹音楽ユニット「チャラン・ポ・ランタン」の小春さんは、2025年1月に再婚と妊娠・出産を発表しました。さらに2025年10月には、長男・深音(みと)くんに脳性まひがあり、重症心身障害児であることを公表。小春さんに深音くんの妊娠・出産のこと、出産後の数カ月にも及ぶ入院のことについて聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
妊娠中のつわりも軽く、経過は順調
――小春さんは家庭や子どもをもつことについてどのように考えていましたか?
小春さん(以下敬称略) 家庭も子どももいずれは欲しいという気持ちはずっとあったんですけど、1度目の結婚では早々に離婚してしまったんです。そのあとコロナ禍になったこともあり、図らずも音楽活動をする自分と私生活の自分を見つめ直す時間が生まれ「1人で老後を過ごす未来でもいいのかも」とも考えるようになりました。1人で過ごす時期が長く続いた時期に、たまたま今の夫と巡り会った、という感じでした。
私も30代半ばになり赤ちゃんを自然に授かるには微妙な時期にさしかかっていましたから、「子どもが欲しい」と強く望まないようにしていました。もちろん子どもは欲しかったけど、そのことばかりが中心になって夫婦がうまくいかないのも嫌だな、と。だから本気で妊活するというよりは「夫婦2人でもいいけど子どももいたらいいね」くらいに考えていました。
――妊娠がわかったときは、どんな気持ちでしたか?
小春 あんまり実感がわかなくて・・・。つわりも軽いタイプで体調もよかったので、おなかの赤ちゃんの日々の成長を教えてくれるアプリを見ながら塩分を取り過ぎないようにするくらいで、あまり心配ごともなく、ただ「おなかが大きくなってきたな〜」と感じるくらいでした。「本当に赤ちゃんが生きてるのかな?」と思いながら・・・。胎動を感じたり、妊婦健診で心音を聞いたりしたけど、目に見えないものだし、得体の知れないものがおなかに宿っているような少し怖い気持ちもありました。
赤ちゃんがおなかにいることはもちろんうれしいけれど、いつ何が起こるかわからない不安もあって、あんまり期待しすぎないようにしていたのかもしれません。でも妊婦健診ではずっと順調で、何も問題はありませんでした。
――妊娠中の仕事はどうしていましたか?
小春 体調を優先していつでも活動を休めるようにスケジュールを調整しながら、妊娠後期くらいまで仕事をしていました。結婚したことも妊娠していることも、赤ちゃんが生まれてから公表しようと思っていたので、ほとんどの人に言っていなかったんです。おなかが大きくなっても、ふわっとした衣装を着ていたから気づかれていなかったと思います。
出産時、思いもよらない事態から救急搬送に
――出産はどのように進んだのでしょうか。
小春 予定日を数日過ぎて定期的に陣痛が来たので病院に行きました。入院した日は順調に陣痛が進んでいたんです。でも突然「赤ちゃんが苦しくなってきている」ということで緊急帝王切開で出産することに。まわりがざわざわとあわただしくなり始めて、私は状況がよくわからないまま麻酔で気が遠くなっていきました。
気づいたときにはもうおなかに赤ちゃんはいなくて、産んだのか、どういう状態なのかわかりません。出血も多かったみたいで、ガクガクと震えが止まりませんでした。何が起こっているのかわからない中、駆けつけてくれた妹と実母は泣いていました。
医療スタッフの方に「赤ちゃんが少し苦しかったので大きい病院に搬送します」「お母さんも赤ちゃんと同じ病院に行きますか?」と言われ、救急車で一緒に運ばれました。
――その後、赤ちゃんにはいつ会えたのでしょうか?
小春 最初に息子に会ったのは出産後10時間以上経ってからです。私はストレッチャーに寝た状態のまま、NICUへ運んでもらい息子に会いました。
そのとき息子は麻酔で眠っていたんだと思うんですが・・・目も開かないし、動かないし、たくさんの管につながれて、小さくって・・・なんだか生きている感じがしませんでした。そのときもまだ実感がわかなくて「この子が私のおなかにいたの?」とだけ感じた気がします。
――赤ちゃんの状態について、医師からはどんな説明がありましたか?
小春 1週間ほどして産後退院する前日に詳しい検査結果の説明がありました。息子はMRIの検査では脳全体にダメージがあり、脳波の検査では反応が見られず平坦で、重度の障害が残る可能性がある、とのことでした。これからどれくらいのことができるのかできないのかは今の状態ではわからないこと、断定はできないけれど寝たきりになる可能性があること、などの話がありました。
本当に衝撃的でした。一緒に聞いていた夫はショックを受けて、その場でいすから崩れ落ちていました。
でもその時点では、私はただ「そうなのか・・・」と思うしかなかったというか。息子はほとんど動かなくて目も開かない状態で、搾乳しても口から飲めるわけじゃなく、呼吸器の助けで息をしていて・・・私たちはまだ何も思い出が始まっていないのに「重度の障害が残る可能性がある」と言われても、情報を処理しきれず。なんだかピンとこない気もしました。
医師からは「こういう結果ですが、様子を見ていきましょう」と話があり、私は退院して毎日NICUの息子のもとへ通う生活が始まりました。
――息子さんの名づけの意味を教えてください。
小春 「深音(みと)」と名づけました。Mitoはイタリア語で「神話」の意味があります。夫が「みと」という響きを決め、私が漢字を決めました。夫はもともとイタリアを拠点に活動していたのですが、息子のこともあって今は日本で一緒に暮らしています。
生後1週間ぐらいで、「私はちゃんと人間の赤ちゃんを産んだんだ」と実感
――NICUに入院している深音くんの成長の様子はどんなふうに感じていましたか?
小春 生後1週間を過ぎて、治療のための麻酔が取れてきたくらいから、少しずつ動くようになって「私はちゃんと人間の赤ちゃんを産んだんだ」と実感するようになりました。私は専門的なことは全然わからないし、深音の状態がどのくらい重度なのかもわからないんですけど、呼吸器が取れたりして、深音の体調はゆっくりゆっくりよくなっているように見えました。だんだん意味があって泣くようになってきた気がしたし、抱っこすると泣きやむ、そういう少しずつの変化に気づけるようになっていきました。
私は深音の状態がなんとかいい方向にいったらいいな、と希望をもちながら、毎日搾乳して面会に行く毎日を過ごしていました。
――毎日搾乳して届けていたんですね。
小春 はい。生まれてしばらくは口からミルクを飲む力が本当に弱かったので、鼻からチューブを入れて授乳していました。素人ながら「おしゃぶりが得意になったら飲めるようになるのでは」と考えて、毎日いろんなおしゃぶりを試しました。ちょっと強引にでも深音の口につけて、口を動かす癖をつけてもらおうとしたんです。
リハビリの先生も口からミルクを飲ませることを何度もトライしてくれていました。最初にリハビリの先生から「0.1ミリリットル飲みました」と言われたときには「0.1ミリ」という少なさにびっくりしましたけど、そこから少しずつ飲めるようになって、生後2カ月を過ぎたころに10ミリリットル飲めたときには、本当に感動しました。
――少しずつ息子さんを育てている実感がわいてきていたんですね。
小春 母性が芽生えてきたんだと思います。ミルクを口から10ミリリットル飲めるようになったあと、退院後の生活を試すために院内外泊というものをしました。初めて夫と深音と3人でひと晩を過ごしたんです。まだ口からはミルクをしっかり飲めなかったので、鼻からのチューブで授乳するために聴診器で胃に管が入っているか確認しながらミルクの流量を調節する練習などもしました。
そのとき初めて24時間の子育てを経験して「普通のお母さんたちはみんなこんなことをやっていたのか!」と驚きました。脳にダメージがあるかどうかに関係なく、赤ちゃんに頻繁にミルクをあげるのがこんなに大変だとは思いませんでしたし、赤ちゃんってこんなにもか弱いんだなとも改めて感じました。
だけど同時に初めて医師や看護師さんがいないところで抱っこができて、私たち家族が、そこで初めてスタートラインに立ったような気持ちになりました。
再検査で大きなショックを受け、メンタルがボロボロに
――小春さん自身のメンタルの状況はどうでしたか?
小春 呼吸器もはずれて、ミルクも少しずつ飲めるようになっていましたし、どんどんかわいく思えるようになって、「大丈夫かもしれない」と希望をもつようになっていたと思います。
ところが、生後3カ月くらいにもう1度MRIと脳波の検査をしたら「状況は変わりません」ということでした。MRIでは脳は損傷があるまま、脳波は平坦のままでした。深音は起きるし寝るし泣くし、元気そうに見えたのに、それでも「変わらないんだ・・・」と大きなショックを受けました。
「脳波が平坦」と言われたことで「それならこの子の心はどこにあるんだろう」という気持ちになってしまいました。張り詰めてきた気持ちの糸が切れてしまった感じです。「何をしてもこの子には届かないのかもしれない」「私たちは何もしてあげられない」と、深音にどう向き合っていいかわからなくなるほどすごく落ち込みました。
――だれかに話を聞いてもらったりしたのでしょうか。
小春 病院にはメンタルケアの看護師さんもいて、いろいろと話を聞いてくださいました。今思えばとてもありがたいことですが、すごく落ち込んでいた時期には、話を聞いてもらっても「でもあなたは経験していないよね」っていう気持ちになっていました。
NICUで深音と向き合っているときはただ「かわいいな」「元気そうだな」「うんちしてる〜」とシンプルな感情でいられます。でもふと、ほかの多くの赤ちゃんたちとあまりに成長のペースが違うとわかると「赤ちゃんってものがうちの息子だけだったらこんな気持ちにならなかったのに・・・」と傷ついていました。
「なんでこうなったんだろう」と答えの出ないことを考えて苦しくなったり、「神様なんていない」と思ったりしました。深音の脳の状態のことを考えても、どんなに調べても、どうにもならないことばかりで、心が疲弊するばかりでした。
メンタルがボロボロのなかで、母や妹、夫は話を聞いてくれて、私を1人にさせないようにしてくれました。ほかにもたくさんの人が家に来てくれたり、関係ない話をして気をまぎらわせてくれたりしました。いろんな人に話を聞いてもらううちに、結局自分が立ち直らないとどうしようもないな、と気づいたんです。後ろ向きに考えても何も生まれないし、私が立ち直らないとまわりに迷惑をかけてしまいます。なので仕事に没頭することにしました。
――仕事に集中する時間をつくったんですね。
小春 ライブやツアーをたくさん組んでとにかく忙しくして、深音のことを考えない時間をつくりました。深音には申し訳ないけれど、深音だけに向き合い続けると自分が壊れてしまうと思いました。ライブをしている間は演奏に集中できます。
受け入れられなくても、立ち直れなくても、とにかく深音を育てる自分が元気でいなければ毎日をやっていけません。自分がふさぎ込んでしまわないためにも、絶対に仕事を休まないと決めました。
お話・写真提供/小春さん(チャラン・ポ・ランタン) 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
オンラインでの取材中、小春さんは何度も涙ぐんでいました。小春さんは「まだまだ前を向ききれてはいません。ネットなどで障害がある子どもを育てながら明るく頑張っていらっしゃる方の情報を目にするけれど、私はまだまだです。自分と同じような気持ちを抱える人のためにも、取材を受けようと思いました」と話します。
後編では深音くんの障害を公表したことや、第2子の妊娠について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
小春さん(こはる)
PROFILE
2009年小春(アコーディオン)ともも(唄)による姉妹ユニット「チャラン・ポ・ランタン」を結成、2014年メジャーデビュー。2016年に発売の配信シングル「進め、たまに逃げても」がTBSドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のオープニングテーマに起用される。あらゆるジャンルの音楽を取り入れた無国籍のサウンドや独特の世界観で海外にも活動範囲を広げている。2021年に独立。2025年12月に昭和歌謡カバーアルバム『唱和百年』をリリース。
アコーディオン弾きと小さい死神
姉妹ユニット「チャラン・ポ・ランタン」の姉・小春が、30年のアコーディオン人生と、大道芸や音楽活動、独立、結婚・離婚・再婚・妊娠、出産時の事故で重症心身障害児と診断された愛息への思い、そして今を赤裸々に綴るエッセイ。チャラン・ポ・ランタン 小春著/2310円(オレンジページ)
●記事の内容は2026年1月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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