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大黒摩季「人生で一番悩んだ27才当時の私」から、頑張る妹たちへ

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シンガーソングライターとして30年にわたって第一線を走り続けてきた大黒摩季さん。その活躍の裏には、子宮の病気や不妊治療との長い闘いがありました。
人生のターニングポイントで自ら決断を下し、常に前を向いて歩んできた大黒さんから、妹世代である読者のみなさんへのメッセージです。

大黒摩季さんのインタビュー<前編>では、「人生で一番悩んだ27歳当時の私」、当時のお話しを妊活たまごクラブがお聞きしました。

『妊活応援インタビュー1・大黒摩季さん「人生で一番悩んだ27歳当時の私」から、頑張る妹たちへ。』 #1
※参考:「妊活たまごクラブ 2022-2023年版」

27歳、病気の治療か歌か選択を迫られ…

「最初に『妊活たまごクラブ』から取材のオファーがあったと聞いたとき、『妊活失敗の代表みたいな私に、なぜ?』と思いました」

インタビューが始まるやいなや、大黒摩季さんはそう言いました。
たしかに、結果的には子どもを授かることができなかった。でも、私たちはどうしても聞きたかったのです。幾度となく訪れたターニングポイントにおいて、自らの意志で人生を選択してきた大黒さんの想い、その生き方を通したメッセージを―。

1992年にデビューした大黒さん。
「DA・KA・RA」「あなただけ見つめてる」「ら・ら・ら」などミリオンヒットを連発し、一躍トップアーティストとなりました。
1997年、初めてのお披露目ライブを半年後に控えていた頃のこと。多忙を極める毎日の中で、頻繁に体の不調を感じるようになりました。

「腹痛、むくみ、片頭痛。ハイトーンで歌うときに腹筋をギューッと絞ると痛かったりして、『なんだろう?』と思っていました。当時、私が生きていたのはいわゆる男社会。無理してでも男性と同じようにいなければいけない、生理で具合が悪いなんて言えないムードがありました。そんなとき、女性マネージャーから『摩季さん、もしかしたら婦人科の病気かもしれないですよ』と言われて。婦人科を受診したら、子宮の病気が見つかったんです」

子宮内膜症と子宮筋腫、子宮腺筋症を併発していました。そのためにホルモン異常を起こし、いつも出ていた高音の声が出なくなっていたことが判明したのです。

「半年後にはレインボースクエア有明に4万7000人のお客様が集まってくださるというのに…『酷な宣告だな』と思いました」

それでも万全の体調で初ライブに臨みたい。そう考えた大黒さんはホルモン治療を開始しました。

「最終兵器ともいうべき一番強い薬で黄体ホルモンとエストロゲンを上げて、体を擬似妊娠状態にするんです。でも、そうすると今度は体がむくみ、声帯もむくみ、声が上ずったり、鼻腔が詰まって歌いにくかったりして。病気の治療をすると歌に支障が出てしまい、どうしたものかと悩ましい日々が続きました。だからといって治療をやめて放置すると、『将来、子どもを産めなくなる確率が高くなるよ』と、医師から言われました。つまり、私は『将来お母さんになることを取るか、歌を取るか』という選択を迫られたんです」

このとき27歳。そして大黒さんが出した結論は…。

「単純かもしれないけれど、『4万7000人のお客様と1000人以上のスタッフの期待を裏切ってまで女の幸せを選んで、私は生きていけるか?』と思いました。『私には、みんなの期待を裏切る勇気はない』『先のことは先に行ってから考えよう』。誰にも相談せず、自分でそう決めました。それに、『人間を、医学を信じよう。きっと10年後にはもっといい新薬が生まれているはずだ』とも思った。だから今は病気の治療を中断しようと決めたんです」

覚悟を決めて臨んだライブでは最高の歌声を届けることができました。その後は毎年のように全国ツアーも敢行。ところが大黒さんの体は静かに悲鳴を上げていました。

「体に無理を強いているから痛みも増えて、症状はどんどん悪化していきました。5年後くらいには、ステージに出ているとき以外はずっとうずくまっていたほどです。歌って、意外と精密な作業。ヴォーカルはお客様の表情などを見て、後ろのミュージシャンと音を合わせ、舞台袖のスタッフの指示を聞き…1秒間に5つのことができなきゃダメというくらいのハードな仕事です。痛み止めを飲んで意識が朦朧としていたら失敗してしまう。だからツアーがないときに治療して少し回復して、またツアーに出ると病気が悪化して、を繰り返していました」

アーティスト活動を休止して病気と不妊の治療に専念

そんななか、34歳を目前に結婚。
大黒さんは最初に「私は子どもを産めないかもしれないから、子どもが欲しいなら私じゃないほうがいいよ」ときっぱり伝えたといいます。

「彼に『子どもができない確率ってどのくらい?』と聞かれたので、『95.96%できない』と答えました。そうしたら彼が『じゃあ4%あるじゃん。可能性がないわけじゃないから、やるだけやってみようよ』と言ってくれたので、不妊治療を始めました」

子宮の病気を抱えながらの不妊治療。もちろん生易しいものではありませんでした。

「不妊治療で女性ホルモン値を上げると、もし着床しても腺筋症が栄養を奪ってしまい、赤ちゃんに栄養が足りなくなって流産してしまう。不妊治療をすると腺筋症が育つので、不妊治療のタームが1回終わると腺筋症の治療をしました。今度は更年期障害以上くらいにホルモン値を下げるので、精神的にも不安定になってしまって…。しかも病気の治療をしているときはキーが下がってしまうんです。それに対して心ないバッシングがあり、遂には痛みにも耐えきれなくなりました」

「それでも歌って欲しい」と望むファンもたくさんいました。
でも、骨盤腹膜炎や腹腔内膜症などを頻繁に起こし、処置が遅れれば死にも至るというところまできていた大黒さんは「不条理な世論はもうこりごり。だったら世の中から消えよう」。
2010年、アーティスト活動を休止し、病気の治療と不妊治療に専念することを決めたのです。2011年には子宮腺筋症と子宮筋腫を取る手術を受けました。

「それでも何度か流産してしまって…。そうして、自分の子宮のせいで元気な受精卵が着床しないということに耐えられなくなったんです。『だったら、ふかふかのベッドに変えて卵を生かしてあげたい』って。2015年には子宮全摘出の手術を受けて、アメリカでの代理母出産に最後の望みをかけましたが、2回目ですべての凍結受精卵が尽きました。これで妊活は終了、自分で終えることを決めました」

大黒摩季さんのインタビュー<後編>では、妊活を終了した後の心境と、これからのアーティスト活動について、詳しくお聞きしました。
ぜひ、ご覧ください!



●大黒摩季 Profile


1969年生まれ、北海道出身。高校卒業後、アーティストを目指して上京。スタジオ・コーラスや作家活動を経て、1992年に「STOP MOTION」でデビュー。2作目のシングル「DA・KA・RA」をはじめ、「あなただけ見つめてる」「ら・ら・ら」などでミリオンヒットを連発する。その後も精力的に活動するも、2010年、病気治療のため活動休止。2016年に復帰を果たす。

「大黒摩季 公式WEB SITE」はこちらから

●撮影/関信行
●スタイリング/國本幸江
●ヘア&メイク/髙野孝喜
●構成・文/本木頼子

※記事内容、日付、監修者の肩書、年齢などは掲載当時のものです。

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