道標は常に子どもたち。「ふくいこどもホスピス」の設立を目指し、活動を続ける母の思い
いま、全国各地で「こどもホスピス」設立を目指す動きが活発になっています。福井県でその活動を進めているのが「ふくいこどもホスピス」という団体。代表の石田千尋さんは、夫の赴任先のドイツで1歳6カ月のひとり息子が小児がんのステージ4であることがわかり、わずか3カ月後に余命宣告をされ、ドイツのこどもホスピスでケアを受けた経験を持ちます。
3回にわたってお届けしてきた連載・最終回の今回は、ドイツでの体験が今も大きな支えとなっているという千尋さんに、地元・福井県でこどもホスピス設立を決意した思いと活動内容、「ふくいこどもホスピス」が目指すものなどについて聞きました。
特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
3回目の息子の命日「このままでは夕青に会えない!」その思いから活動を決意
石田千尋さんが「こどもホスピスに関わる活動をしたい」と思い始めたのは、2019年1月の終わり頃。ドイツのこどもホスピス「キンダーホスピス レーゲンボーゲンラント」でひとり息子・夕青(ゆうせい)くん(当時1歳9カ月)を見送り、帰国して夕青くんのお葬式を済ませた少し後のことでした。
「気持ちの整理がなかなかつかない中で、少しずつ『夕青と関わりがあることをしたい』という気持ちが芽生えてきました。でもその時は、7年くらい前に中断した調理師免許を取り直し、子どもホスピスのような所で調理員として働けたらいいなという程度でした」(千尋さん)
まずはこどもホスピスのことを詳しく知りたい思い、関連書籍などを片っ端から読んだ千尋さん。日本でも2016年に大阪市鶴見区にこどもホスピスが誕生したことを知り、「こどもホスピスを設立する」ことを初めて意識するようになったと言います。
「大阪にこどもホスピスができたなら、今後、福井にも必要になると思いました。ただ、福井はとても保守的な土地柄なので、こどもホスピスは受け入れられないかもしれないという思いも。
でも、こどもホスピスを体験した私が諦めていたら、ずっと福井にこどもホスピスはできないのでは……と、ずっとぐるぐると頭の中で自問自答を繰り返していました」(千尋さん)
その後、千尋さんは体調を崩し、動き出せない状態が1年以上続きました。そんな千尋さんの背中を押したのは、なんと2年前に亡くなったわが子・夕青くんの存在でした。
「1月10日は夕青の命日なんです。気付いたら亡くなってから丸2年、3回目の命日が近づいていました。
夕青は1歳9カ月で亡くなるまでの間にすごく多くのものを残してくれたのに、私はこの2年間、寝て起きての繰り返し。そう思ったら『これじゃ夕青に会えない』という気持ちが強く湧いてきたんです」(千尋さん)
しかし、福井でこどもホスピスという存在が受け入れられるか不安を感じていた千尋さんは、客観的な意見を聞くため、小児がんの患者家族の会「がんの子どもを守る会」の福井支部へメールを送りました。すると「近々総会があり、石田さんと同じく最近お子さんを亡くしたお母さんもいらっしゃるのでどうですか」との返信が。い今まで同じ経験をした方と会ったことがなかった千尋さんは「ぜひ話してみたい」と思い、総会に参加しました。
「総会からの帰り道、そのお母さんに『こどもホスピスをつくりたいと考えている』と打ち明けたら、『すごくいいと思う!』って、肯定的に受け止めてくれたんです。福井でもこういうふうに考えてくれる人がいるんだとわかり、やってみる決心がつきました」(千尋さん)
同じ思いを持つ福井の女性たちが続々と集まり、活動がスタート
「がんの子どもを守る会」の総会に参加したのが2021年3月の初めで、3月19日は折しも夕青くんの誕生日。スタートするのにこれ以上のタイミングはないと思い、2021年の3月19日にInstagramと Facebook に「ふくいこどもホスピスプロジェクト」というアカウントを立ち上げ、自身の思いを発信し始めました。
すると発信したその日に「やりたいと思ってできていない分野なので、ぜひ一緒にやらせてください」とのメッセージが。小児がんの子どもが多く入院している福井の病院で働く、現役の看護師からでした。
「すぐにプロジェクトメンバーに加わってくれました。看護師の仕事があるのでミーティングなどには参加できない時もありますが、闘病中の子どもたちと直接関わる活動や病院とのつながりを強化する活動などでは、彼女が中心で動いてくれています。団体にとって重要な役割を担ってくれて、とても心強いスタッフです」(千尋さん)
その後、地域と医療をつなぐ『コミュニティナース』をしている加藤瑞穂さん、「がんの子どもを守る会」で出会ったママ・山内こずえさんも「一緒にやりたい」と言ってくれて運営メンバーに。
さらに、子どもが在宅医療を受けていた経験を持つ吉岡ちづるさん、ダウン症の娘の闘病経験を持つ吉村友紀さん、小児がんの闘病後に重症心身障害児になった娘をもつ荒川道子さんなど、こどもホスピス誕生を強く願うママたちが続々と集まったのです。
「立ち上げて間もない頃、みんなに『一時退院の時は食べさせてはいけない物、やってはいけないことがすごく多く、不安で大変だった』という話をしたことがありました。特に私は『化学調味料NG』にとても戸惑い、何を食べさせたらいいかわからなくなって、けっきょく蒸し野菜しかあげられませんでした。
『そんな時、こどもホスピスがあったら相談できるし、こどもホスピスでご飯が出てきたらうれしい』と言うと、みんなすごく共感してくれたんです。福井にもこどもホスピスの需要はずっとあったんだと、皆に会って確信を持つことができました」(千尋さん)
目指すのは、皆が気軽に立ち寄れて一緒に過ごせる町のこどもホスピス
「ふくいこどもホスピスプロジェクト」は、設立から1年後の2022年の3月、現在の「ふくいこどもホスピス」へと名称を変更しました。あえてプロジェクトを外したのには、1年間活動して千尋さんたちがたどり着いた、ある1つの結論がありました。
「ふくいこどもホスピスプロジェクトとして設立を目指すとなると、どうしても『施設を建てる』ことが目標となりがちです。
でも、私は今日本にいますが、ドイツのこどもホスピスは私の大きな支えになっています。ということは、こどもホスピス的なケアができる・できないかは、そこに施設がある・ないで決まるものではないと思ったんです。それよりも団体としての在り方や、人々とどう関わっていくかの方がとても大切だと思います」(千尋さん)
その思いが生まれたきっかけの1つが、寄付金でした。ふくいこどもホスピスにはこれまで、県外の人も含めた多くの方々から寄付が寄せられています。
「寄付はもちろん、将来の建設費用でもあります。でも多くの人は、建設だけが目的でお金を送ってくれたのではないと思うんです。病気の子どもたちに元気になってほしい、より良く過ごしてほしいという思いを、お金という形で預けてくださっていると。
そういう方々の思いを伝えていくこと、実現していくことを、本気でやっていかなきゃいけないと思ったんです」(千尋さん)
団体名に「プロジェクト」がついていると、自分たちスタッフが『まだ準備段階だから』と甘えてしまいがちだと千尋さん。施設がなくてもプライドと誇りを持って能動的に活動していくため、自分たちへの戒めの意味を込めて『プロジェクト』を外したと言います。
そんな千尋さんたちが目指すのは、「町の中にあるスーパーのような存在のこどもホスピス」です。
「福井にこどもホスピスをつくりたいと言うと、多くの人が『福井は山も海も豊かだからいいね』と言ってくれます。ホスピスは都心から離れた避暑地のようなところにあるもの、というイメージが強いのでしょう。
でも、こどもホスピスをそうした『特別な場所』にすればするほど、利用する子どもや親を、悪い意味で『特別な存在』にしてしまうと思うんです。そしてそれは、病児と健常児を区別することにも繋がりかねません。
私たちが目指すのは町中の家やスーパー、学校などの隣にあるこどもホスピス。近所のスーパーみたいに、誰もが知っていて、フラッと気軽に入れるような場所なんです」(千尋さん)
たとえば、施設内のカフェでコーヒーやジュースを飲み、気が向いたらこどもホスピスの部分を見学できるような施設。子どもが重い病気になった時に初めて病院から紹介される場所ではなく、子どもが病気になった友を誘って一緒に行けるような場所なのです。
「こどもホスピスは子どもが亡くなる場ではなく、誰でも日常の中で利用することができ、病児も健常児も一緒に楽しく毎日を送れるような場所であること。まずは福井の人々にそれを知ってもらうための活動を、これからしていきたいと思っています。
それが皆の『当たり前』になった時が、ふくいこどもホスピスを建てるタイミングの目安だと思っています」(千尋さん)
どう進むべきか、それを教えてくれるのはいつも子どもたち
ふくいこどもホスピスでは2022年から県内の大きい病院と連携し、新たな取り組みをスタートさせています。それは、病院に入院している子どもたちに絵を描いてもらい、それを1枚のジグソーパズルにして子どもたちにプレゼントし、遊んでもらうという企画です。
「入院している子どもとたくさん写真を撮って欲しいと思い企画しました。というのも、私は闘病中の写真がほとんどないんです。なぜなら『闘病中だから何もかも我慢しなくちゃ』と思っていたから。
夕青に『治すために今は我慢しよう。よくなったらやろうね』とばかり言っていて、そのままお別れすることになってしまいました。それって、すごくもったいないことだと思うんです。
闘病中は家族と向き合える時間でもあります。きっかけさえあれば、病院にいても『今日1日楽しかったね』って笑い合えるはず。そのきっかけづくりをしたいんです」(千尋さん)
今何をしたらいいか、どういう方向に進むべきかに迷った時、「それを教えてくれるのは、いつも子どもたちなんです」と千尋さんは言います。
「ふくいこどもホスピスの出発点は、重い病気と闘いながらも、強くやさしい姿をたくさん見せてくれた子どもたちです。彼らの笑顔や思いやりの心、頑張りがこの活動に繋がっています。だから、ホームページでも彼らを名誉館長としています。
私たちは子どもたちが見せてくれるもの、残してくれるものに応じながら変わっていきたい。これから先も、今から出会う子どもたちが示してくれることを道標に、活動してきたいと思います」(千尋さん)
写真提供/石田千尋 取材・文/かきの木のりみ たまひよ編集部
ふくいこどもホスピスでは、上のジグゾーパズル企画の他にも、病気でこどもを亡くしたお母さんがこどもの話ができる「夕虹の会」や、重い病気の子どもをもつ家族の会、ピアサポーター交流会など、さまざまな活動を定期的に行っています。これらすべてが千尋さんの言う「こどもホスピス的ケア」に結びつくものであり、1つ1つを大切にしながら活動を続けています。
こうした活動がいつか、福井の町の中に建つ「ふくいこどもホスピス」へとつながってほしいと思います。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
石田千尋さん
ふくいこどもホスピス代表
2019年、第一子の夕青くんが1歳半の時にドイツで神経芽腫という小児がんを発症。ドイツのこどもホスピスを利用し、重い病気と闘いながらも家族で楽しく過ごすことのできる環境の尊さを実感。帰国後、地元福井にて「ふくいこどもホスピス」を作るべく活動を続けている。