2人目妊娠でまさかの「切迫早産」。子宮頚管縫縮術の入院と、上の子への罪悪感
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人生初めての手術入院は、気持ちとの戦いでした
息子と娘、2人の子どもを育てるママライターの”ミネキク”です。私が妊娠・出産を経験したのは、1人目が31歳、2人目は35歳の時でした。娘を妊娠したとき、「切迫早産」と診断されました。不安に負けそうになりながらも出産というゴールを目指した私の体験記を3回に分けてお伝えします。前回は、突然の異変から「切迫早産」になるまでお話しましたが、今回は、上の子を抱えながら、自宅安静から手術入院に至った当時のことを振り返ります。
妊娠26週で切迫早産。自宅安静を言い渡されて
35歳で二人目を妊娠。妊娠26週で切迫早産になってしまいました。仕事(開業したばかりの消しゴムはんこ屋)も泣く泣くお休みし、出産を最優先することにした私。
正期産まで赤ちゃんをお腹にとどめておくために、医師から言われたことは、自宅安静でした。「自宅安静ってなんですか?」と聞いたところ、「重いものを持たない、上の子を抱っこしない、階段を登らない、自転車なんてとんでもない!」という医師の返答。
張り止めの「ウテメリン」を処方され、安静、安静と呟きながらの生活。でも、なかなか自宅安静って難しいのです。普段の買い物だって意外と重いし、長男(3歳)もいます。
長男には、「赤ちゃんが早く産まれちゃうから、抱っこできないんだ、ごめんね」と話して、抱っこ以外のスキンシップを増やしました。夫も長男に寄り添ってくれました。
妊娠33週、子宮口が開かぬよう「子宮頚管縫縮術」
妊娠32週で、子宮口が1センチほど開いてきてしまい、子宮口を紐で縛る「子宮頚管縫縮術」を受けることになりました。しかも、「では明日、入院ね」という時間のなさ。(当日入院といわれたのですが、準備のために猶予をいただきました。)夫と長男(3歳)と私の3人暮らしだったので、長男をみてもらうために、急遽、母を呼び寄せました。
手術は、腰椎麻酔で行いました。痛みもなく、時間も短かったです。術後は、ウテメリンの点滴をうけました。副作用の動悸は、かなりありました。
入院したのは4人部屋で、周りはすでに出産したママばかり。切迫早産で入院しているのは、私だけでした。気持ちが落ちないように、できるだけ笑って、深く考えないようにしていました。
同室のみなさんへの出産祝いにと、赤ちゃんのお名前はんこを彫ったのですが、座り続けていると、お腹が張ってしまって。薬の副作用で手も震えました。「これは、しばらく本格的な活動はできないな…」と、思いました。
上の子を我慢させていることが辛い!
入院した日の夕方、夫と長男がお見舞いに来てくれました。当時は、インフルエンザが流行中。感染予防のため、子どもは院内に入ることができず、病院の駐車場で会いました。
息子は、下を向いてあまり喋りません。「お母さん、赤ちゃんが早く出てこないように、明日手術するからね」と話しました。何を言っても、反応が乏しくて。
後で聞いた話では、私と別れて、自転車で角を曲がった途端、ワンワン泣き出したそうです。帰宅後もずっと泣いていたそう。母の前では、泣かなかったのね。長男なりに一生懸命に気を遣ってくれていたのだと思うと、胸が締め付けられる思いでした。
入院生活を支えてくれたのは、長編マンガ!
入院中、ただ寝ているのは本当に暇で、余計なこともたくさん考えてしまいます。上の子と離れることが、とにかく心配で。「まだ3歳なのに、いっぱい我慢させてごめんね」と、毎日泣いていました。
そんな私を救ってくれたのは、長編マンガでした。病院に『ピアノの森』全17巻をどんと持ち込み、毎日じっくり読んでいました。そうすると、時間があっという間に流れました。
夢中になれるので、切迫早産という目の前の問題から逃げることもできましたし、後ろ向きになりそうな時にも、いい気分転換になりましました。こうして、9日間の入院生活を終え、自宅に帰ることになったのです。
(次回へつづく)
[ミネキク*プロフィール]
ライター×消しゴムはんこ屋。中1と小3の母。制作会社のコピーライターでしたが、出産を機に退職。長男2歳の時、消しゴムはんこ屋を開始。現在はライター業も再開し、紙・WEB媒体の取材執筆を手がけています。親子で剣道やってます!
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。