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子どもの病気をきっかけに母親は仕事を辞め、家族は二重生活に。看病の疲れと経済的な不安に襲われる親たちの現実

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※写真はイメージです

特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。

小児がん拠点病院の医師や看護師らが立ち上げた、病気の子どもと家族を地域で応援するボランティア団体「Cheer Families On!(略して“ちあふぁみ!”)」の活動について、3回にわたって取り上げる本連載。最終回にお届けするのは「再生不良性貧血」という難病を患う佐藤翔平くん(仮名)のお母さんへのインタビューです。

(記事内の病気や治療に関わる文の監修/神奈川県立こども医療センター 血液・腫瘍科 柳町昌克先生)

スポーツ万能で病気知らずだった息子が難病に

――息子さんのご病気について聞かせていただけますか。

息子が患っていたのは「再生不良性貧血」という病気です。聞きなれない病名だと思いますが、骨髄にある血液細胞の種が減ることで白血球や赤血球、血小板といった血液細胞が減少していき、新しい血液細胞がつくられなくなる難病です。

病気が発覚したのは小学6年生の秋。息子は昔からスポーツ少年で、体力には自信があるほうだったのですが、長距離走の練習でまったく走れなくなったんです。はあはあと肩を上下させながら顔面蒼白な息子を見て、これはおかしいと。すぐに近所の病院に連れて行きました。

血液検査の結果、数値に異常が見られ、総合病院で検査をすることに。息子が楽しみにしていたクリスマスイブに検査入院となり、彼のお誕生日に「再生不良性貧血」と告げられました。たまたまなんですけれどイベントごとに入院や告知が重なって、忘れられない記念日になってしまいました。

――その後は、どのような治療をされたのですか。

医師からは「今すぐにでも骨髄移植をしたほうがいい」と言われました。ただ私も、父も、きょうだいも、移植のときに重要なHLAという遺伝子のタイプが息子と合わなかったんです。そこでHLAの合うドナーを探すことになりました。

その間も、医師からは約3カ月の投薬治療を勧められました。でも息子は長期の入院を嫌がって……。当時はまだ、自覚症状がない状態でしたから。運動をしなければ、いつもとほとんど変わりがなかったんです。それなのになぜ、卒業式にも入学式にも出られずに、長期入院しなければならないのかと、納得がいかない様子でした。

そこで通院で輸血治療をすることになったのですが、当初は2週間に1回の頻度だったのが、10日に1回、1週間に1回になって。最終的に長期入院をして投薬治療をしましたが、残念ながら体の状態が悪くなり、いよいよ骨髄移植をしなければならなくなりました。幸いなことに早々にドナーが見つかり、また別の病院に転院して、骨髄移植を受けることになりました。

――その転院先が、神奈川県立こども医療センターだったのですね。

そうです。そこで最初の説明をしてくださった先生との相性が良かったんです。

実はこのとき、息子は骨髄移植に同意したものの、まだ理解できていないことや納得できていないことがたくさんありました。

担当の先生は、そんな息子の気持ちを察して、移植後の生活がどうなるのかや、骨髄移植の重要性について丁寧に説明してくださった。手術や治療についても図を描いたり、時折息子に質問をして理解できているかを確認しながら、とてもわかりやすく話してくださったんです。

親としては、涙がでるほどありがたかった。息子も、ようやく「ここで骨髄移植する」と覚悟を決められました。

――医師の説明の仕方で、子どもの気持ちが変わることもありますね。

先生がどのように関わってくれるか、その影響はとても大きいと感じます。医師にとってはたくさんの患者さんを診てこられて、骨髄移植も当然の流れなのでしょう。でも患児や私たち家族にとっては初めての経験なんです。先が見えない中で骨髄移植するのは不安ですし、誰だって怖いです。

以前の病院では、先生が子どもに「移植を受けることで、最悪死ぬかもしれないよ」と言いました。元気になるために移植をしようとしているのに、未来に希望を持てないようなことをなぜ言うのだろう。私たち親子の心は大きく揺さぶられました。リスクを伝えなければいけないことはわかりますが、子どもとのコミュニケーションはもちろんのこと、治療の説明や伝え方をもっと大事にしてほしいと感じました。

そういう意味でも、息子に誠実に向き合ってくださった担当の先生に心から感謝しています。移植前も移植後も、「どう?」と頻繁に病室に顔を出してくださって、「なにか質問はある?」と私たちの話を聞いてくださいました。先生の顔をみると、いつもほっとしたのを覚えています。

地方から都心の病院への転院 母の離職と二重生活で生まれた、経済的不安

――闘病生活での“治療以外の悩みや困りごと”について教えてください。

翔平の転院をきっかけに、「夫と次男」が地方の実家で暮らし、「私と長男」は神奈川で暮らす二重生活になりました。

私は、翔平に付き添うために仕事を辞めざるを得ず、収入が激減。親子3人の生活費に加えて医療費や交通費、宿泊費、さまざまな経費が重なり、経済的にとても苦しい状況に追い込まれてしまいました。

医療費助成の申請をしても、補助が出るのは数カ月後です。その間にも必要な支払いがあり、預金通帳が“ゼロ”を超えて、“マイナス”になってしまった。わずかな貯金を切り崩しても足りない状況に陥ってしまいました。

子どもの病気でただでさえつらいのに、お金の心配をしなければならない。子どものことだけを考えていられない状況が、つらかったです。

骨髄移植が無事に成功して、現在は地元に戻り学校にも通えていますが、体力や免疫力は戻っていませんから、公共の交通機関を使えません。登下校の送迎をはじめ親のサポートが必要で、私はまだ仕事復帰できていないんです。経済的な不安は今もあります。

子どもの病気をきっかけに知った 治療以外のケアや支援のあたたかさ

――神奈川こども医療センターのスタッフが立ち上げた病気の子と家族の闘病生活をサポートするボランティア団体「ちあふぁみ!」をご存知ですか。

はい。実は、「ちあふぁみ!」の寄付金から、神奈川こども医療センターの近隣にある付き添い家族のための宿泊滞在施設「リラのいえ」の滞在費用を補助してくださり、退院後に私もその支援を受けました。先生や看護師さん、スタッフの方々が想いを寄せてくださることはうれしいですし、病気の子どもを育てている家族にとっては、精神的な支えにもなりますよね。

「ちあふぁみ!」の活動をはじめ神奈川こども医療センターには、医師や看護師、ソーシャル―ワーカー、栄養士、理学療法士、保育士といったさまざまな職種の方々が、子どもを中心に“一つのチーム”を組んでいるような雰囲気があります。

院内にはファシリティードッグのアニーちゃんもいるんですよ。週に1度アニーちゃんに会える日は、たとえ体調が思わしくなくても、翔平は笑顔いっぱいでした。病院は治療をする場所ではありますが、治療以外のケアが心の支えになることもある。周囲のあたたかい関わりやサポートのおかげで元気がわいてくるんですよね。

私たち家族が経済的に困窮していることを心配したソーシャルワーカーさんが、再生不良性貧血でも申請できる補助金を探して、教えてくださったこともあります。おかげで、ドナーさんの骨髄を運ぶ輸送費を支払えました。親身になって調べてくださったことを、感謝しています。

――最後に、妊娠中のプレママ・プレパパや乳幼児を育てている親御さん、病気のお子さんを育てているご家族に伝えたいメッセージがありましたら、お願いします。

そうですね。翔平が病気になったからこそ気づいたことが、私にはたくさんありました。

病院の近くにある「リラのいえ」という親子のための宿泊滞在施設では、私と同じように病気のお子さんを育てている親御さんと出会えました。世の中にはいろいろな病気があるんだと知ることができました。

「リラのいえ」のように少しでも費用をおさえて、子どもの近くにいられるようにと、力を尽くしてくださる方々の存在も、これまでは知りませんでした。あたたかな支援の手を差し伸べてくれる人たちがいる。そして、その支援の手は、ある人にとっては命綱になるほど大切なものなのだと痛感しました。

献血もそうです。翔平は、骨髄移植をするまで輸血で命をつなぎました。献血をしてくださった方、そして言うまでもなく骨髄移植のドナーになってくださった方に感謝してもしきれません。一方でコロナ禍で献血をしてくださる方が減り、血液が到着するのを病院でじっと待っているときもありました。今この瞬間も、輸血を必要としている子どもたちが、たくさんいます。可能な方にはぜひ、献血へのご協力をお願いしたい。この場を借りて、伝えさせてください。

そして重い病気のお子さんを育てている親御さんには、悪夢に思えるような日々の連続でも、あきらめないでいてほしい。病院の対応に納得がいかなければセカンドオピニオンを求めていいと思います。先生に「こんなこと言っちゃ、いけないんじゃないか」と躊躇する必要はありません。自分の気持ちを正直に伝えて話し合うことが大切だと、私は思います。“もやもや”を自分だけで抱えこまず、一つひとつ疑問を解消しながら治療にあたれる道をぜひ模索してほしいと願っています。

【「ちあふぁみ!」立ち上げメンバー(柳町昌克医師、横須賀とも子医師、岡部卓也看護師)より、ひと言】
たまひよをご覧の皆様、ちあふぁみ!の記事をお読みいただき、ありがとうございます。私たちの個々の力には限界がありますが、ちあふぁみ!メンバーの一人ひとりの「いま私にできること」を合わせて「いま私たちにできること」を模索しています。皆様も、周りの困っている誰かに手を差し伸べたり、頑張っている誰かを応援してみてください。とても不安定な時代だからこそ、それぞれの時間を大切に過ごし、そして周りの方を大切にして頂けたらと思います。


取材・文/猪俣奈央子

【小児がんの子どもと家族を地域で応援するCheer Families On!(ちあふぁみ!)】
このプロジェクトは、神奈川県立こども医療センターで小児がん診療に携わる医療スタッフが中心となって行っているボランティア活動です。神奈川県立こども医療センターの組織活動ではありませんが、神奈川県立こども医療センターや、同センターに入院する患者と家族のための宿泊施設「リラのいえ」とも連携しながら活動を展開しています。(https://cheerfami.jp/)

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