重篤な食物アレルギーがある娘。カシューナッツで起こった発作にドクターカーが出動したことも…【絵本作家minchiさん体験談】
小さいころから絵を描くことが大好きだった絵本作家のminchiさん。絵本『いっさいはん』は、子どものなにげない行動を生き生きとしたイラストで描き、第10回MOE絵本屋さん大賞第2位に輝きました。自身の子育て経験も反映されている絵本が魅力ですが、娘さんはもう中学生になったんだとか。その娘さんには、乳児のころから卵や乳製品を始め、複数の食材に食物アレルギーがあったそうです。minchiさんに娘さんの食物アレルギーの話を聞きました。
おいも掘りの絵をほめられたことが、人生の転機の一つだったかも
――minchiさんは小さいころから絵を描くのが好きだったんですか?
minchiさん(以下敬称略) お絵描きや工作が好きな子どもでしたね。幼稚園でおいも掘りがあって、その絵を描いたことがありました。さつまいもって、よく見ると毛が生えているじゃないですか。私がその毛をていねいに絵に描いていたようで、先生にすごくほめられたという話を母がよくしていました。私もそのことはなんとなく覚えていて、絵を描くのはその前から好きだったんですが、そのほめられた経験が、さらに絵を好きになる大きなきっかけになったと思います。
――minchiさんの娘さんはどうですか? やっぱりお絵描きや工作が好きなんでしょうか?
minchi 娘もやっぱりお絵描きが好きですね。娘が通っていた保育園が工作に力を入れていたこともあり、物作りが好きなようです。娘の工作で印象に残っているのは、毛糸の切れ端とフリーザーバッグで「点滴ごっこ」や、毛糸の切れ端と空きびんで「酸素マスクごっこ」をしていたことですね。
私は、2018年に『ごみじゃない!』という、一見、不要に見える品々でいろいろなものを作って遊ぶ子どもの様子を描いた絵本を出版しましたが、「点滴ごっこ」や「酸素マスクごっこ」はその『ごみじゃない!』にも登場しています。
実は娘には食物アレルギーがあって、赤ちゃんのころから病院通いをしていました。そのため、幼少期にすでに点滴の経験があったんですよね。娘自身、治療のときはめちゃめちゃ嫌がるのに、家で「お医者さんごっこ」はよくしていました。苦手なはずの点滴をごっこ遊びに登場させるのがおもしろいですよね。酸素マスクは初めて経験したのが小学校高学年だったので、幼少期のごっこ遊びに登場させていたのは、病院でまわりの人の様子を見て覚えたものか、テレビなどを見て覚えたものだったんだと思います。
食物アレルギーがある娘。重篤な症状が出て、ドクターカーに乗ったことも
――娘さんに食物アレルギーがあるとわかったのはいつごろですか?
minchi 肌荒れで、アトピー性皮膚炎の可能性を指摘されたのが最初でした。生後2カ月くらいから肌が荒れ出して、乳児湿疹かなと思っていたのですが、ジュクジュクしてなかなかよくならなくて…。小児科を受診して塗り薬を処方されても、よくならず毎週病院通い。4カ月くらいたって、皮膚科で検査をしたところ、卵にアレルギーがあることがわかりました。その後、離乳食を始めてみたら、ひらめや鯛を食べてじんましんが出たり、チーズやヨーグルトを食べてせきやじんましんが出たりして、ほかの食材にも食物アレルギーがあることがわかってきました。
あとはナッツですね。小学5年生のときにカシューナッツでアナフィラキシーショック(※1)を起こして危険な状態になったことがあるんです。もともと血液検査でナッツ類にアレルギーがあることはわかっていたのですが、病院の指導で少しずつ試して、ピーナッツやアーモンド、くるみは食べられるようになっていました。それで「大丈夫かな」と思って、娘がカシューナッツを食べてみたところ、すぐに「口の中がおかしい」と言い始め、声がガラガラになってせきも出始めました。
「せきが出るなど、呼吸に異常が出たら危険信号」ということは知っていたのですが、まだ本人が立って歩くことができていたので、救急車を呼んでいいのか迷っていました。そこで、子どもの体調を相談できる窓口に電話することに。「こういう症状だけれど、どうしたらいいですか?」と話すと、「すぐに救急車を呼んでください!」と言われて、あわてて119番しました。電話してだいたい10分後くらいに救急車がきてくれて、娘は自分で歩いて乗車することができたので、私はあまり危機感なく同乗していました。
でも車内は緊迫していて、救急車のスタッフさんが途中で「ドクターカー(※2)を呼ぶのでそっちに移します」と言って、娘だけ車を乗り換えることに。娘の乗った車を、私を乗せた救急車が追いかける状況になったんです。病院について、やっと娘に面会できたときには、娘の顔は真っ赤でパンパンに腫れていて、とても起き上がれるような状態ではなく、びっくりしました。一時は本当に危険な状態だったようです。救急車とドクターカー、病院のスタッフさんや先生方の適切な処置のおかげか、翌日には退院することができました。
その後は、アナフィラキシーショックを起こすことはないのですが、ヒヤリとしたことも。海外のお菓子で、それ自体の原材料にはカシューナッツは入っていなかったんですが、同じ工場でカシューナッツを扱っているというものがあって、表示が小さくて気がつかず口にしてしまったことがあったんです。でも、娘が口に入れてすぐに「なんかおかしい」といって、口から出したので重篤な症状にはならずに済みました。
※1 アナフィラキシーショックとは、全身性のアレルギー反応が引き起こされ、血圧低下や呼吸に異常が起きるなどの重篤なアレルギー症状のこと。
※2 ドクターカーとは、医療機関に搬送しながら高度な治療も行うことができる救急車のこと。医師が同乗しており、1分1秒を争う治療が必要と判断された緊急時に出動することが多い。
小学生のころは、週に3~4日、給食のメニューの代わりを持って行っていました
――娘さんはいろいろな食材に食物アレルギーがあるようですが、家庭での食事作りではどんなことに気をつけていますか?
minchi 娘の食物アレルギーが判明するまで、食物アレルギーがある人は身近にはいませんでした。そのため、最初はキッチンの環境をどう整えていいかすらわからなくて戸惑いました。
娘が離乳食を卒業して大人と同じ形状のものが食べられるようになっても、私たちはアレルギー対応ではないメニューが食べられますし、食べたいときもあるじゃないですか。となると、娘用と大人用と別々に作ることになって、そうしていたときもありました。でも、調理器具が共有になりやすいとか、食品の取り違いが起きやすいとか、そういった不安があって、もう自宅で作るのは娘も食べられるアレルギーに対応したメニューのみにしました。
もし、大人がアレルギー対応じゃないものが食べたければ、「作らずに買ってきて食べる」というのをわが家ルールにしたんです。
――小学校の給食はどうしていたのでしょうか?
minchi 自治体や学校によっても対応が異なるかもしれませんし、うちの娘はもう中学生なので、今はもう変わっていることもあるかもしれませんが、小学校入学前に面談をして、食物アレルギーがあることをしっかり話しました。食べられないものを全部書いて提出して、病院の先生にも診断書を書いてもらって、それも提出。
給食がスタートしたら、献立表を事前に確認します。娘の食べられないものはすでに伝えてあるので、給食担当の先生が、食べられるものと食べられないものを先にチェックしてくれて、献立ごとにこまかく印を入れた献立表をくれるんです。そのチェックに誤りがないかを、家庭でも確認して学校に戻し、さらに先生が再確認してくれるという形でした。
その日の献立によっては、わりと食べられるものもあって、まったく食べられるものがないという日はほぼなかったです。食べられないメニューがある日は代わりのものを自宅から持っていく必要があって、週に3~4日は何かしら持って行っていました。
娘に願うことは「できるだけ健康的に過ごしてほしい」ということだけ
――minchiさんが子育てで大切にしているのはどんなことですか?
minchi 大切にしていることは「無理しない」ですかね~。親も完璧じゃないので、できないことはできないでいいじゃないかみたいな感じです。
子どもが小さいときって親がいろいろやってあげないといけないから、「わが子が自分の一部」みたいな感覚が芽生えてくることがあるじゃないですか。お絵描きや工作が好きだったり、娘は私に似ているところもたくさんあります。でも、成長してくると「やっぱり私の一部じゃなくて別の人間なんだなぁ」というのがはっきりしてきますよね。子どもには子どもの人格があることを尊重して大切にしたいと思っています。なかなかうまくいかないことも多いですけど。
食物アレルギーがあることと関係しているかはわかりませんが、娘は体格が小さめ。いろいろ大変な思いをしたこともあったので、これからはただただできるだけ健康的に成長していってほしいなと願っています。
お話/minchiさん 取材協力/PHP研究所 取材・文/たまひよONLINE編集部
「食物アレルギーがあると、外食のハードルが高くなるので、旅行などに行くときに少し大変ですね」とminchiさん。ただ、以前よりもファミリーレストランや、テーマパークのレストランなどで、アレルギー対応のメニューが増えてきたことも感じているそうです。また、最近は植物性の原材料のみを使った加工食品も人気。とくに食物アレルギーのある人向けのものばかりではないですが、食べられる食品の幅が広がりそうなんだとか。世の中がいい方向に変わっていって、食物アレルギーのある人がもっと暮らしやすくなるといいですね。
●記事の内容は2023年8月の情報であり、現在と異なる場合があります。
minchiさん(みんち)
PROFILE
画家、イラストレーター、絵本作家。
アクリルガッシュを使用した幻想的な作品を国内外の展示で発表。。2016年、フランス人映画監督Aude dansetと3Dショートフィルム『Mishimasaiko』を共同制作。原作とアートディレクションを担当。絵本に『いっさいはん』(岩崎書店)、『ごみじゃない!』『はけたよ ずぼんぼん』(ともにPHP研究所)などがある。
『ごみじゃない!』
「ごみみたいだけど、ごみじゃない、たからものコンテストをかいさいします!」という女の子のセリフからお話が始まります。消しゴムの消しカスや折れた鉛筆の芯だってまだまだ「ごみじゃない!」。子どもたちの大事なたからものを、1~85まで紹介。minchi著/1430円(PHP研究所)