「ベイリーにそばにいてほしい」病気と闘う子どもたちが院長に直訴。日本初のファシリティドッグ誕生ストーリー
日本にファシリティドッグが初めて導入されたのは2010年。静岡県立こども病院で、臨床経験のある看護師であるハンドラーの森田優子さんとベイリーという男の子のファシリティドッグのペアが活動を開始しました。しかし導入当初は、「小児がんや重い病気の子どもたちを精神面から支える」というファシリティドッグの使命はまだ理解されておらず、活動できたのは外科病棟だけだったそうです。しかし病院の廊下を歩くファシリティドッグの姿に勇気づけられた子どもたちは院長に直訴。子どもと保護者の熱意に動かされ、病院内での活動の場が広がっていったといいます。それから14年、現在、全国の4つの病院でファシリティドッグはたくさんの子どもたちに寄り添っています。また、2019年からは日本国内でファシリティドッグの育成も開始、今も2頭の子犬がトレーニングしています。
日本初のハンドラー(ファシリティドッグとペアになり、病気の子どもをサポートする看護師)として、現在神奈川県立こども医療センターに勤務する森田優子さんと、ドッグトレーナーとしてファシリティドッグを育成する平沢佳奈さんに話を聞きました。
苦労の連続だったファシリティドッグのトライアル。手を差し伸べてくれたのは子どもたち
――― ハンドラーである森田さんは看護師さんでもあるのですね。
森田優子(以下森田、敬称略):はい。大学の卒論の指導教授から、「『小児科経験のある看護師で、ハンドラーになりそうな人はいないか』という話があるけど、やってみない?」と声をかけられたのがきっかけです。
何も前例もないなかで、ベイリーという男の子のファシリティドッグとペアになってスタートしました。
――― 日本初のハンドラーとファシリティドッグだそうですね。認知も理解もないなか、ご苦労されたのではないでしょうか?
森田:2019年、静岡県立こども病院で1週間のトライアル後、2010年から正式に活動を開始しました。しかし当初、中まで入れたのは外科病棟のみ、週3日、半日のみしか勤務ができず、私自身もジレンマを感じる毎日でした。
しかし、子どもたちの「ベイリーに会いたい」という気持ちも日に日に膨らんで、導入から半年ほど経ったある日、二人の女の子が院長室を突撃訪問、「ベイリーが来るのを毎日にしてください」と訴えました。その願いが叶い、翌月からは毎日の勤務が認められたのです。
子どもたちや親御さんたちの声もどんどん大きくなり、腫瘍科の病棟でも、プレイルームから始まり、病室、検査の処置室とどんどん入れる場所が増えていきました。
また、がんで目が見えなくて、検査のときにいつもパニックになってしまう子がいたのですが、看護師さんが「ベイリーが大好きだから、一緒にいれば落ち着いて検査ができるんじゃない?」と提案してくれました。実際に隣に座ったベイリーの頭をずっと撫でながら採血をすると、泣くこともパニックになることもありませんでした。そしてその話が別の病棟にも伝わっていったことも、活動範囲を広げるきっかけになりました。
――― まさに利用者の声ですね。
森田:トライアル期間内は、直接触れ合わない約束でしたから、ベイリーが廊下を歩く姿を子どもたちに見せるだけでした。
しかし、胸郭の手術後、痛くて起き上がれなかった子が、ベイリーを見たい一心で起き上がれるようになったんです。廊下を歩いているところを見ただけなのにこんなにも子どもたちの力になれるんだということを、先生や看護師さんが理解してくれたことは大きかったかもしれません。
そして2010年1月、正式に日本初のファシリティドッグ・チームとしての活動が開始となりました。
――― そして2012年には、神奈川県立こども医療センターに異動しました。現在、森田さんは神奈川県立こども医療センターで、ファシリティドックのアニーと一緒に働いています。
森田:神奈川県立こども医療センターに転任したのは、2012年7月です。こちらではありがたいことに、最初からファシリティドッグの役割を理解したうえで受け入れてもらえました。
とはいえ、静岡県立こども病院の次のファシリティドッグ、ベイリーの次の犬が育つまでの1年半は、活動は基本静岡で、月に1回、導入準備のため訪問するかたちでした。
イライラしているときはまず気持ちを落ち着かせてから大好きなアニーに向き合う
―――どんな犬種、どのくらいの年齢の犬がファシリティドッグになるのでしょう?
平沢佳奈:(以下平沢、敬称略):現在、日本で活動しているファシリティドッグは、ゴールデンレトリバー、ラブラドールレトリバーまたはそのミックスで、オーストラリアの働く犬専門のブリーダーのところから来ています。「家系に病気のないこと」「系統に遺伝性の疾患がないこと」そして「穏やかな性格であること」が重要で、記録として血統を遡れることも重要だと考えています。
現在、日本でトレーニング中のミコともう一頭トレーニング中のトミーは同じ血筋、きょうだいです。
トレーニング開始は生後8週、2カ月過ぎたころから。実際に働き出すのが1歳半から2歳くらいです。
――― ファシリティドッグのトレーニングは日本で行っているのですか?
平沢:日本でファシリティドッグのトレーニングをするようになったのは2019年からです。現在、国立成育医療研究センターで働いているマサと静岡県立こども病院のタイは、子犬の頃にオーストラリアからやってきて、東京でトレーニングを受けました。
一方、神奈川県立こども医療センターのアニーはオーストラリア、東京都立小児総合医療センターのアイビーはアメリカで生まれ、その後ハワイでトレーニングを受けてから日本に来ました。
――― どんな性格の子がファシリティドッグに向いているのでしょうか?
森田:病院で働くファシリティドッグは、子どもから大人まで対応しなくてはなりませんから、人が好きであることが大前提です。
注射のときに泣く子もいれば、心の病棟もあるので、なかにはちょっと大きな声を出してしまうような子もいます。だから、どこの場所でもどんな場面でも、どっしりと構えていられることが求められます。
イライラしているときにたまたま病室を訪問すると、アニーには落ち着いて接したいと思っているのか、アニーには見せられないと思ってなのか、 壁の方を向いて「ちょっと待ってね」と気持ちを落ち着かせてからアニーのほうを向く子もいます。どの子もアニーが大好きだから、アニーに会うことで心が落ち着くのだと思います。
もうひとつは、言葉がいらないということが大きいかもしれません。人間同士だと、何かしらしゃべらないといけないと思いがちですから。
ハンドラーとファシリティドッグは仕事のパートナーであり、大切な家族でもある
――― ハンドラーとファシリティドッグにも相性はあるのでしょうか?
森田:ペアになるときに、ファシリティドッグとハンドラーとのマッチングを大切にします。一緒にいる時間が長いので、相性が良いことも重要です。
ハンドラーとファシリティドッグは、病院ではお仕事のパートナーとして一緒に働いていますが、一歩病院を離れれば家族として生活しています。病院以外では、犬らしく過ごせる時間作りも大切なので、週末にハイキングや海に出かけるなど、思いっきり遊ばせるようにしています。
病院でファシリティドッグが仕事をするのは基本3時間です。国際的な基準に沿って、1時間仕事をしたら1時間の休憩を取っています。
――― ファシリティドッグと活動するうえで、ハンドラーとしての森田さんが特に気をつけていることはありますか?
森田:私たちハンドラーの不注意で起きる可能性のある事故はいくらでもあり得るので、それをいかに防ぐということでしょうか。
人工呼吸器やECMO(エクモ)を使っている子もいますし、何本もの点滴の管に繋がれている子もいます。
そういう状態でアニーを添い寝させるわけですから、ハンドラーである私がまずはその管がどんな管で、どこにどのように入っているのか、外れたらどれだけ大変なことになるのかを全て把握しなければなりません。そのうえで、体の大きなアニーをどこにどうしたら安全に添い寝させられるか、戻せるかの動線を考えています。
骨が折れやすい子もいますから、怪我や事故にならないように慎重に添い寝をさせています。
もうひとつ、アニーと関わることで、いかに子どものやる気、ポジティブな気持ちを引き出せるかを考えるようにしています。アニーと子どもが関わる様子を見ている私の方が励まされてばかりです。
写真提供/森田優子 取材協力/神奈川県立こども医療センター、認定 特定非営利活動法人 シャイン・オン・キッズ 取材・文・写真/米谷美恵、たまひよONLINE編集部
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年9月の情報で、現在と異なる場合があります。
森田優子さんプロフィール
ファシリティドッグ・ハンドラー。現在、神奈川県立こども医療センターにペアであるアニーと勤務。2004年、静岡県立大学看護学部看護学科卒業後、国立成育医療センター(現国立成育医療研究センター)看護部入職。2009年、『シャイン・オン!キッズ』のファシリティドッグ・ハンドラーに就任。2010年、ファシリティドッグベイリーとともに日本初のファシリティドッグ・チームとして静岡県立こども病院で活動を開始。2012年、ベイリーとともに神奈川県立こども医療センターに転任。2017年、ベイリーの後任犬であるアニーを迎え、活動を継続中。