「僕にしかできないことを仕事にしたい」、筋緊張が続く重度脳性まひの長男と母の挑戦は続く【体験談】
生後9カ月で脳性まひと診断された畠山亮夏さん(24歳)。19歳で母親の織恵さん(44歳)と法人を設立し、講師として仕事をしています。亮夏さんは脳性まひのため、自分の意思とは関係なく体が動いてしまったり声を出しにくい状態で、車椅子で生活しています。今は大阪の実家で家族と暮らす亮夏さん、25歳までに一人暮らしをするチャレンジをしているのだとか。現在の亮夏さんの活動や、織恵さんが子育てのことをまとめた本を出版したことについて、織恵さんに話を聞きました。全3回のインタビューの最終回です。
話せないからこそ、できることを仕事に
――亮夏さんは現在法人を設立し、講師として仕事をしているそうです。その事業の一つ「⽣きる教科書プロジェクト=イキプロ。」について教えてください。
織恵さん(以下敬称略) 高校3年生の夏、卒業後のことを考えるタイミングで、亮夏は「僕にしかできないことを仕事にしたい」と考えていました。でも亮夏は基本的には自分一人では何もできません。声を出そうとすると体が緊張してしまうので、話すことも難しい状態。私たちは「話せなくてもできること、亮夏にしかできないこと・・・」をどう仕事にするか考え続けました。
私は現在療育支援の仕事もしているのですが、その中で現場スタッフから「話せない障害当事者とのコミュニケーションやかかわりに不安を感じている」と悩む声を聞いたことがありました。そこで、障害児支援者向けの「体験型研修」をしてはどうか、とひらめきました。亮夏に提案してみたところ、彼も「やりたい」と言ったことが始まりです。
亮夏が高校3年生の冬、初めて児童支援施設関係者の方たちに研修をした際、受講した言語聴覚士の方から「こんなすばらしい学びを得たことは今までにない。あなたは生きた教科書ですね」という言葉をいただいたことがきっかけで、「⽣きる教科書プロジェクト=イキプロ。」が生まれました。そして、亮夏と私は2018 年6 ⽉、亮夏の19歳の誕生日の翌日に⼀般社団法⼈HI FIVE を設⽴しました。
「イキプロ。=⽣きる教科書プロジェクト」事業、では、福祉や介護の大学や専門学校へ講演や実習という形で⾃分⾃⾝を教科書として提供したり、一般企業や社会福祉法人向けの研修を行っています。亮夏自身が「生きる教科書」となって、服の着脱の練習台になったり、コミュニケーションの取り方を実務に役立ててもらうことを目的としています。また、活動の認知を広げるために、亮夏自身の生活や治療の様子をYouTubeやSNSで発信もしています。最近では、「イキプロ。HERO」というボランティアメンバーのすすめでTikTokも始めました。
「助けてもらう」のではない。お互いにチャレンジする
―― イキプロ。HEROの活動について教えてください。
織恵 2023年の4月に、亮夏の一人暮らしの練習をしようという企画が上がり、一緒に手伝ってくれるボランティアを募集してみたところ、1人も集まらなかったんです。考えてみれば、「一人暮らしの練習をしたいから助けてください」という発信に少し違和感もあって、考え直すことに。そこで亮夏に、ボランティアで参加してもらう人の条件を確認したら、支援経験がない人、障害のある人にまったくかかわったことがない人にもぜひ来てほしい、と言うんです。
それを聞いて、視点を変えてみれば、亮夏の一人暮らしの練習を一緒にしてくれるということは、その人にとっても大きなチャレンジになるはずだ、と気づきました。車椅子を押したことがない人が勇気を出してチャレンジしてくれるとしたら、その人はきっとだれかのヒーローになれるんじゃないか、と。そしてそのチャレンジを発信すれば、さらにだれかの刺激になったり、勇気になったりするはず。そう考え直し、「イキプロ。HEROになりませんか?」と募集をしてみたところ、とても多くの応募が集まりました。
――イキプロ。HEROへの参加は亮夏さんの手助け、ではなく、亮夏さんと参加者のお互いにとってチャレンジになるんですね。
織恵 そうですね。「助けてください」ではなく「お互いに成長し合える場でありたい」という目的がすごく大事だと思いました。現在はイキプロ。HEROのメンバーは、小学生から50代まで20人弱います。介護専門職の人もいれば、町で車椅子ユーザーへの声のかけ方がわからなかった人、障害児を育てているから将来の支援の勉強をしたいという人、ボランティアをすると就活に役立つからという人、いろんな背景の人が参加してくれています。
みんな違う人同士が、その違いをお互いにいかしてチャレンジすることで、新たな発見が生まれる。これこそWin-Winの関係性だなと思います。それに、人と人とが違うからこそ平等だと思うんです。最近よく「ボーダレス社会」という言葉を耳にするけれど、言葉だけではなくそれを体現しているのがイキプロ。HEROの活動です。
――TikTokではどんな反響がありますか?
織恵 TikTokを始める前は、知名度を上げるにはいいかもしれないけど、批判的なコメントが多いかもしれないな、というこわさがありました。でも、新たに入ってくれたイキプロHEROのリーダーになってくれている人が、「今はTikTokです!」と力強く担当を引き受けてくれたので、始めたところ、1カ月たたないうちにフォロワーさんが1万人以上になりました。
TikTokでは、亮夏が支援者の人と出かけたりおふろに入ったり、言葉でやりとりする様子をアップしているんですが、「この仕事って何?」「こんなかっこいい仕事、私もやってみたい」「障害のある人って、ジュースを飲み始めたら途中で止められないんだね」と、新しい発見をしてくれたり、介護職に興味を持ってくれる人がいたことが、とてもうれしいことでした。
私たち当事者からしたら、介護や支援の人がいてくださらないと、家族も本人もそれぞれ自分らしい人生を歩むことができません。けれど、福祉や介護従事者は残念ながら、あまり人気がなく携わる人が減少しています。それが、TikTokで発信したことで、支援や介護の仕事のすてきさをいい形で知ってもらう発信ができたと気づきました。
子育てと自分の成長を本に。生きることに悩む人に届けたい
――織恵さんは、障害のある子の子育てと自分自身の成長について、著書『ピンヒールで車椅子を押す』にまとめています。出版までに大変だったことは?
織恵 この本を書くにあたって大変だったことはあんまりないんですが・・・気がかりだったのは母のことです。私は19歳で親の反対を押しきって、家出をするようにして結婚・出産をしたので、実家の両親との関係がずっとぎくしゃくしたままでした。父は10年ほど前に他界したんですが、この本を出版するにあたって母はどう思っているのかを、ずっと聞けずにいました。
本が出来上がり、母に手渡すとき「ここには今までの私と両親とのことを包み隠さず書いています。でも、最後はお父さん、お母さんへの感謝を書いたつもりなので、よかったら出版記念パーティにきてくれたらうれしいです」と伝えました。本を受け取って母は「どうせお父さんとお母さんの文句ばっかり書いてんやろ、どんな顔してパーティに行ったらいいかわからへん」と言いました。私は1000人の人に生きる力を届けたくてこの本を書いたのに、そのために1人の人を悲しませていいのかな、と迷いが生まれました。
――お母さんは、織恵さんの本を読んでくれたのでしょうか?
織恵 本を手渡した夜に、母から「読みました。いい本だと思います」とだけ、スマートフォンにメッセージがきました。そして数日後に「出版記念パーティに来ていく服を選んでくれる?」って連絡が来たんです。私と一緒に選んだ服を着て、母はパーティに来てくれました。
パーティの最後に、司会者が母にコメントを求めると母は「みなさまのおかげで出版させていただくことができました」と私に代わって参加者のみなさんにお礼を伝えてくれました。すると、さらに司会者から「お父さんがここにいたらなんて言ってるだろうね」との質問が。私は何も言えなくて黙ってしまっていたんですが、そこで母がひと言「ほめてる」って言ったんです。父はきっとほめてくれている、母のその言葉を聞いて初めて、「この本を出せてよかった」と心から思えました。
――読者からの反響は?
織恵 本を出版した何週間後かに、まったく知らない16歳の男の子からインスタにダイレクトメッセージが来ました。「自分は家に引きこもっています。母の寝室でこの本を見つけました。母にこの本を読む選択をさせてしまったのは自分だ、と落ち込んだけれど、ちょっと読んでみたら、一気に全部読んでしまいました。本を読むくらいで気持ちが楽になることなんてないと思っていたけど、読み終わったとき自分も頑張りたいと思いました。実は自殺を考えてロープを買っていたけど捨てました」というような内容でした。
私は生きることに悩む10代の人や、子育てに悩むママたちに届けたいと思ってこの本を書いたので、届けたい人に届いた!ことが本当にうれしかったです。ほかには、支援学校のPTA会長からメッセージをもらい、支援学校で講演させていただくこともできました。支援学校の保護者の方々は、シェアして大切に読んでくださっているそうです。手に取ってくれた人の人生の伴走者として、何かあったときにそっと応援できるような本であったらいいなと思っています。
お話・写真提供/畠山織恵さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
子育てでのどんなピンチもチャンスに変える強さを持った織恵さん。その秘けつを聞くと「できないとあきらめるのは簡単。でも、亮夏と出会ったからこそ、どうしたら諦めないですむか、自分もみんなも幸せに笑顔になれるかを考えられるようになりました」とキラキラした笑顔で答えてくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
畠山織恵さん(はたけやまおりえ)
PROFILE
1979 年大阪府堺市生まれ。重度脳性まひの長男との暮らしと、能力開発事業に12 年間携わった経験を踏まえ、2014 年障害児ゆえに不足する「体験・経験」を五感で習得する【GOKAN 療育プログラム】を独自監修。障害児支援施設を中心に20 施設500 名以上へ療育を提供。地方自治体、教育機関などでの講演活動も行う。
『ピンヒールで車椅子を押す』
「人と違う自分を好きになってほしい」と挑んだ重度脳性まひの長男の子育てや、周囲の人、家族とのかかわりを見つめた23年間にわたる親子と家族の成長記録。自分らしく生きる勇気がわく一冊。畠山織恵著/1540 円(すばる舎)