小6で難病の副腎白質ジストロフィーと診断された息子。治療したものの車いすの生活に。「もっと早く発見できていたら」と後悔する日々【体験談・医師監修】
松本佳代さん(仮名)の長男・智也さん(26歳・仮名)は、小学6年生のときに難病の副腎白質ジストロフィー(adrenoleukodystrophy以下ALD)と診断されました。ALDは、男の子(男性)に多くみられる、まれな疾患です。佳代さんに、診断がついたあとの治療について聞きました。全3回インタビューの2回目です。
小学6年生の夏休みにALDと診断され、すぐに臍帯血による造血幹細胞移植の治療を
ALDは、遺伝性疾患です。米国では出生男児2万1000人に1人が患者と報告されていて、日本でも同程度と考えられている、まれな病気です。
智也さんが、こども病院で大脳型ALDと診断されたのは、小学6年生の夏休みの初めです。
「医師は、とにかく早く治療をしたほうがいいと言いました。大脳型ALDに有効な唯一の治療法は、大脳型発症早期の造血幹細胞移植です。医師は、私たち夫婦と娘が骨髄移植のドナーになれるか、血液検査をして調べました。ドナーになるには、HLAという白血球の血液型がある程度以上、合わなくてはいけません。
しかし残念ながら、私たち3人はみな合わずドナーになれませんでした。医師は、次に臍帯血(さいたいけつ)移植を提案してくれました。小学6年生なら、量の少ない臍帯血でもいいという説明でした。診断から約1カ月後に臍帯血による造血幹細胞移植をすることになりました」(佳代さん)
臍帯血移植をするには、約5日間、抗がん剤を投与する前処置が必要です。
「抗がん剤の副作用で吐くし、食欲はなくなって本当につらそうなんです。無菌室に入るので、私と夫以外の家族とも会えません。時々、スマホで話す妹からの励ましに救われていたようです。
小学6年生の子には、耐えられないほどのつらさですが、智也は治りたい一心でよく頑張っていました。
しかし大変な思いをして受けた治療でしたが、残念ながら生着しませんでした。うまくいかなかったんです」(佳代さん)
移植した臍帯血は血液に乗って骨髄にたどり着き、増殖して白血球を増やすことが期待されました。それを「生着(せいちゃく)」と言いますが、智也さんには生着しなかったのです。
悩みに悩んだ末、骨髄による造血幹細胞移植を決意
医師からの次の提案は、骨髄による造血幹細胞移植です。しかし骨髄移植は、HLAという白血球の血液型をある程度以上合わせる必要があります。合うドナーが見つかりにくいのがデメリットです。
「臍帯血移植のときの抗がん剤使用で、智也は本当に苦しみました。見ている私が何回代わってあげたいと思ったかしれません。
小学6年生の、しかも弱っている子にまたあの苦しい思いをさせるのかと思うと、私はすぐに決断できませんでした。
しかし夫は『助けるには、この治療しかない。この治療をしなくては助からない』という決意がとてもかたかったです。何度も話し合いを持ちながら、私も夫に説得され、これが最後の治療、きっと回復すると祈るような気持ちで、移植に賭けることにしました」(佳代さん)
骨髄移植のドナーが見つかるまでは、一時退院となりました。智也さんにとっては、久しぶりのわが家です。
「難病と闘う子の夢をかなえてくれる“メイク・ア・ウィッシュ”というボランティア団体があることを病院で教えてもらいました。看護師さんのすすめで申し込んだところ、ボランティアスタッフが自宅に智也の夢を聞きに来てくれて、動物園でペンギンのえさやり体験ができることになりました。その日は、ホテルにも泊まって久しぶりに家族でゆっくり楽しく過ごせました」(佳代さん)
智也さんは車いすに。「もっと早く発見できていたら」と後悔する日々
どうにかドナーが見つかり、骨髄による造血幹細胞移植が行われたのは、智也さんが小学6年生の2月のことです。
「造血幹細胞移植をすると免疫力が低下します。智也は全身の皮がむけて、口の中などの粘膜もただれて、痛がって見ているのが本当につらかったです。あまりにもつらいのでモルヒネが入った痛み止めの点滴を使うのですが、使いすぎるわけにはいきません。
あまりにつらそうなときには、つき添っている私が点滴の操作をすることが許されていたのですが、一定時間間隔が空かないと点滴は出てきません。激痛で次の点滴が待てないなか『もうちょっとだから我慢してね』と必死で声をかけながら、智也に見えないところで、私は泣いていました。智也は、そのあとは1カ月ぐらい意識がもうろうとしていました」(佳代さん)
つらい移植を2回も経験した智也さん。しかしそれからしばらくして智也さんは、自立歩行が困難になり、車いすを使うことになります。
「小学校の卒業式には出られなかったので、担任の先生が病室に卒業証書を届けてくれました。病院で、みなさんに卒業を祝ってもらいました。
ALDは、早期発見・早期治療が肝心です。智也に初期症状が見られたのは小学4年生です。最初は急に落ち着きがなくなり、学力の低下が見られました。それがALDのサインだとは、私自身知らなかったし、あちこちの病院や療育に通いながらも、だれからも『大きな病院で診てもらったほうがいいのでは?』と言われたことはありません。早期発見できなかったことが、今でも悔やまれてなりません」(佳代さん)
【松川先生から】大脳型ALDは、大脳型発症早期の造血幹細胞移植が有効
大脳型ALDにおいて、大脳型発症早期の造血幹細胞移植が症状の進行停止には有効です。移植を行うことで施行後1年以内に脳の白質の病変の進行が停止すると言われています。そのため大脳型であることがわかり、病変の拡大が認められる場合は、速やかに造血幹細胞移植を行うことが重要です。
お話・写真提供/松本佳代さん 監修/松川敬志先生 協力/認定NPO法人ALDの未来を考える会 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
佳代さんは、智也さんがALDと診断されてすぐに認定NPO法人ALDの未来を考える会に入会しました。ALDは早期発見が重要ですが、日本ではALDの新生児マススクリーニングはオプション検査として一部の自治体でしか行っていません。同会では新生児マススクリーニングを含めた、早期発見の重要性を呼びかけています。
インタビューの3回目は、現在の智也さんの暮らしや長女の遺伝子検査について紹介します。
松川敬志先生(まつかわたかし)
PROFILE
医学博士。東京大学大学院医学系研究科 神経内科学助教。神経内科、神経遺伝学の診療、研究に従事。内科認定医、総合内科専門医、内科指導医、神経内科専門医、神経内科指導医、臨床遺伝専門医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年12月の情報であり、現在と異なる場合があります。