「僕みたいな子が増えないといいね」の言葉に「ママのせいでごめん・・・」と思い続けた母が行動を起こす【ALD体験談・医師監修】
松本佳代さん(仮名)の長男・智也さん(26歳・仮名)は、小学6年生の夏休みに難病の副腎白質ジストロフィー(adrenoleukodystrophy以下ALD)と診断されました。ALDは、男の子(男性)に多くみられる、まれな遺伝性疾患です。発症頻度は米国で出生男児2万1000人に1人が患者と報告されていて、日本も同程度と考えられています。症状が進行すると、寝たきりになってしまうこともあります。
智也さんの骨髄移植後の様子と、現在26歳になった生活について佳代さんに聞きました。全3回インタビューの3回目です。
中学校は特別支援学校へ。現実を受け入れられなかったときも
智也さんは小学6年生の夏休みに、大脳型ALDと診断され、臍帯血(さいたいけつ)移植と骨髄移植の2回の造血幹細胞移植の治療をしています。
大脳型ALDは早期に発見して速やかに造血幹細胞移植をすると、症状の進行を抑えるという報告があります。智也さんに、急な学力低下などの初期症状が見られたのは小学4年生のとき。症状の進行が早かったのか、造血幹細胞移植をしても自分で歩くことが困難となり、小学6年生の終わりには車いす生活となりました。
「中学校は、こども病院に併設されている特別支援学校に入学しました。『造血幹細胞移植をすれば絶対元気になる!』と智也も私も信じていました。しかし症状が進行して、2度目の移植後歩けなくなり、車いす生活になりました。
12歳の智也には、現実を受け入れられなかったと思います。治療すれば、小学校のお友だちとまた会えると信じていたはずです。特別支援学校に通うと告げたときは、ショックで泣いていました」(佳代さん)
退院後は、病院に併設された特別支援学校は転校しなくてはいけませんでした。
「退院後、自宅から通いやすい範囲の特別支援学校になかなか入れなくて。体調が優れなかったこともあり、次の特別支援学校が見つかったのは中学1年生の秋でした。転校が決まり『智也、ここからまた始めようね』と励ましたのですが、登校すると悔しくて泣いてしまうんです。わずか1年前までは、ALDを発症していても自分で歩けていたし、家族と動物園に行ったりもしていたんです。智也も『なぜ?』という思いでいっぱいだったと思います。
智也は、元気なときは中学受験をするために勉強を頑張っていた時期もあります。でも特別支援学校では教科書がないので悲しんでいました。智也の気持ちを考えるといたたまれなくなり、先生に教科書を使って勉強を教えてあげてほしいとお願いしたこともあります。
また中学・高校時代は、けいれんが止まらなくなったり、肺炎になって年に1~2回は入院していました。肺炎になりやすかったのは、私のたんの取り方に原因があったようです。たんの吸引のしかたは試行錯誤しながらも、だいぶうまくなりました。また医師からのすすめで、せきをしてたんを出しやすくするカフアシストという機器を取り入れて、入院することは減りました」(佳代さん)
症状が進行して、会話ができないけれどまばたきで意思疎通
中学2年生のときには、中枢神経の障害で起きるのどのジストニアによって、自宅で呼吸が止まってしまったことがありました。
「呼吸が止まったときは、あわてて私が心肺蘇生を行って、一命を取り留めました。入院中に、気道の閉塞を防ぐため気管内にチューブを挿入する気管挿管となったのですが、医師と今後のことを相談して、のどから気道までを切開して呼吸をしやすくする気管切開をすることにしました。しかし声は失いました。
大脳型ALDの症状も進行して智也は、だんだん会話ができなくなりました。でも耳は聞こえて、話しかけられると理解できます。私が話しかけて「YES」のときは1回まばたきをします。「NO」のときはまばたきをしません。そのため「NO」のときは「じゃあ、〇〇かな?」と質問の内容を変えて質問を繰り返しながら意思疎通をしています」(佳代さん)
26歳の現在の智也さんは、ほぼ寝たきりの状態です。
佳代さんはどうにか少しでも、みんなと同じような経験をさせてあげたいと思い、いろいろなことをしています。
「最近では、家族でいちょう並木を見に行ったりしました。また生涯学習を支援する訪問カレッジを利用して、自宅に学習支援員さんが来てくれて、英語や音楽、歴史、世界遺産や宇宙のことなど智也が興味のあることを教えてもらっています。智也は、生活全般に介助が必要ですが、興味のあることだと目がイキイキと輝くんです」(佳代さん)
ALDは遺伝性疾患のため、長女も念のため検査を
智也さんには3歳下の妹・春香さん(仮名)がいます。
「春香の帰りが遅いとき“まだ帰って来ないのかな。心配だよね”と話しかけると、智也は1回まばたきをします。幼いころは春香とけんかをしながらもよく遊ぶ、仲のいいきょうだいでした」(佳代さん)
佳代さんは、春香さんに智也さんの病気について詳しく話してはいませんでした。
「ALDは遺伝性疾患です。発症は男の子(男性)に多く、女性は保因者のことが多いです。いつか春香に話そうとは思っていたのですが、医師に相談したところ“慎重に”と言われて、話すタイミングを見ていました」(佳代さん)
しかし春香さんが高校3年生の終わりに、打ち明けたほうがいいなと思うタイミングが来ます。
「春香は貧血だったのか高校で倒れてしまったことがありました。保健室の先生に『お母さんに連絡して、迎えに来てもらおうか?』と聞かれたときに、春香が『お母さんは、訪問看護さんが来ているときしか外に出られないから』と言って先生の提案を断ったそうです。
保健室の先生は事情を知らなかったので、春香から話を聞いて『我慢していたんだね』と言葉をかけてくれたそうです。すると春香は、泣き出してしまったと先生から連絡を受けました。
『お兄ちゃんがいるからといって我慢させずに、やりたいことはやらせてあげよう!』と思って、春香のことは育ててきたつもりでした。でも、春香もさまざまな葛藤を抱えて、悩んでいたのだと気づかされた出来事でした」(佳代さん)
前述のとおりALDは、遺伝性疾患です。女性は歳をとると足がつっぱるなどの症状が出る人もいますが、一生保因者のまま、症状が出ない人もいます。しかし出産すると、子どもがALDを発症する可能性があります。佳代さんは、春香さんが大学1年生になったころに説明をしました。
「春香にALDの説明をしたとき、春香は『お兄ちゃんは、男の子だから発症したんだね。そんなのかわいそう』と言ってぽろぽろ泣きました。『智也が通っている大学病院で遺伝子検査を受けてみる?』と聞くと『受ける』と言うので、医師に遺伝子検査を受けたいと伝えました。
医師からは『デリケートな問題だから、何回かカウンセリングが必要です』と説明され、コロナ禍でカウンセリングが一時、中断したりもしたのですが、大学4年生のときに遺伝子検査をしてALDの保因者でないということがわかりました。親として安心しました」(佳代さん)
「お母さんのせいだね。ごめんね」と謝ったときの、息子の悲しそうな表情が忘れられない
佳代さんは、ALDと診断がついてすぐに親の会の「ALDの未来を考える会」に入会して、活動しています。
「診断がついたとき、副腎白質ジストロフィー(ALD)というのは初めて聞く病名でした。同じ病気と闘う人に相談したり、勉強会などに参加したいと思い『ALDの未来を考える会』に入会しました。
遺伝性疾患ということを知ったときは『お母さんのせいだね。ごめんね』と智也に謝りました。智也は、黙ったままでした。あのときの悲しそうな表情が、今でも忘れられません。
ALDという病気のことを知っていたら、もっと状況は変わっていたと思います。智也も『僕みたいにつらい思いをする子を1人でも減らしたい』と思っています。
ALDは早期発見が必要です。家族歴がカギになりますが、ママ・パパが家族歴を把握しきれていないこともあります。
そのためALDの新生児スクリーニングの普及に期待したいところですが、すべての自治体で受けられるわけではありません。でも機会があれば、ぜひ受けてほしいと思います。元気だった子が急に発症するALDという難病を、けしてひとごとと思わないでほしいです」(佳代さん)
【松川先生から】ALDの早期発見のためにも、社会の認知を高めていくことが大切
これまで佳代さんと夫さんが、智也さん、春香さんのことを懸命に考えながら、行動されていたことが強く伝わりました。現在の智也さんは、智也さんの興味のあることを学んでいるとのこと。できることを行っていくことは大切なことだと思います。ALDは早期発見が大切な病気で、ALDの社会の認知を高めていくこと必要と考えています。
お話・写真提供/松本佳代さん 監修/松川敬志先生 協力/認定NPO法人ALDの未来を考える会 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
ALDにはいくつかのタイプがありますが、智也さんのような大脳型は、発症早期の造血幹細胞移植が、現在唯一の有効な治療法です。できるだけ早期に診断し、早期に治療する必要がありますが、まれな疾患のため診断がなかなかつかないという課題があります。そのため認定NPO法人ALDの未来を考える会では、ALDの新生児マススクリーニングの普及に向けて活動をしています。
松川敬志先生(まつかわたかし)
PROFILE
医学博士。東京大学大学院医学系研究科 神経内科学助教。神経内科、神経遺伝学の診療、研究に従事。内科認定医、総合内科専門医、内科指導医、神経内科専門医、神経内科指導医、臨床遺伝専門医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年12月の情報であり、現在と異なる場合があります。