育てやすいと思っていたのに。1カ月健診で‟手足の力が弱い”と言われて、「何もしなければ、1歳までに95%が亡くなる」難病のSMAと判明【医師監修・体験談】
脊髄性筋萎縮症(以下SMA・エスエムエー)は、出生2万人に対して1人前後の発症率といわれる難病です。SMAは、遺伝子の病的変異によって起きるまれな病気で、しだいに筋力が低下していきます。以前は治療薬がなく、立つことも歩くこともできない病気でした。生後6カ月までに発症した場合、人工呼吸器などをつけなければ、1歳半までに95%の子が亡くなるともいわれていました。
しかしここ数年で、SMAの治療は飛躍的に進歩して、早期発見・早期治療をすると歩けるように。3歳になる一人娘の鈴(りん)ちゃんが、生後1カ月半のときにSMAと診断された、平井茜さんに話を聞きました。
妊娠経過は順調。生まれたときは産声も聞こえて、ひと安心
平井茜さん(以下茜さん)が、夫と出会ったのは趣味で入っていたバレーボールチームです。
「夫も私もバレーボールが大好きで意気投合し、夫が35歳、私が36歳のときに結婚しました。鈴を出産したのは39歳のときです」(茜さん)
妊娠経過は順調で、妊婦健診ではとくに気になることは言われませんでした。夫は仕事の関係で中国に赴任中だったので、茜さんは、臨月に入ると自宅近くの実家で過ごしていました。
「出産予定日の4日前に突然破水して、夜11時30分ごろにタクシーを呼んで、すぐに産院に行きました。
自然分娩で、生まれたのは翌日の午後1時ごろでした。産声(うぶごえ)もちゃんと聞こえて『無事に生まれてくれてよかった』と安心しました。
夫も急なことで飛行機のチケットがとれずに出産には間に合わなかったし、母も仕事で付き添えなかったので、1人で出産するのが正直、不安でした」(茜さん)
鈴ちゃんが誕生したのは2020年1月。出生体重は2918gでした。
1カ月健診のとき、小児科医からわずか30秒で手足の動きが弱いことを指摘される
鈴ちゃんの名前は、夫婦で決めました。
「将来、海外に行ったときに、外国人でも呼びやすい名前にしたくて、鈴(りん)と名づけました」(茜さん)
鈴ちゃんと茜さんは5日で退院。その後産院で生後2週目のころ健診を受けましたが、そのときは気になることは、何も言われませでした。
しかし生後1カ月の乳幼児健診で、状況は一変します。
「小児科の先生が鈴の体を診察し始めて30秒もしないうちに『今日、パパも来ている? 来ていたら呼んでもらえますか?』と言うのです。その日はたまたま夫も一緒で、待合室にいた夫を呼びました。
医師は夫が診察室に入ってくると『手足の動きが弱くて、だらんとしているのが気になります。生後1カ月の赤ちゃんだと、もっと手足を動かします。紹介状を書くから大きな病院で診てもらってください』と言われました。
先生に『手足の動きが弱い』と言われても、鈴は初めての子どもでしたし、まだ同じ月齢の子と会う機会もなかったので、ほかの子がどれぐらい手足を動かすのかわかりません。正直、先生にそんなことを言われてもピンと来ませんでした」(茜さん)
SMAの赤ちゃんは、筋力が弱いために泣き声が小さい特徴もあります。
「鈴も泣き声が小さくて、たとえば電車の中で泣かれたとしても気にならないぐらいでした。抱っこすればすぐに泣きやみます。活発に動くこともなかったので、私は育てやすいな~と思っていました。しかし、それがSMAのサインの一つだということを後から知りました」(茜さん)
都立病院で、遺伝子検査などを受けて、女子医大のゲノム診療科へ
2日後、紹介された都立病院に夫婦で行きました。
最初は小児科の先生に診てもらったのですが、その先生は「何とも言えないな・・・。一応、神経科の先生にも診てもらいましょう」と言い、8日後に神経科の予約をとりました。
8日後、夫婦で都立病院の神経科に行くと、医師から『すぐに入院して検査しましょう』と言われて、考えられる病名をいくつか上げられました。その中にSMAが入っていました。
鈴ちゃんが検査入院をしたのは生後1カ月半のときのことです。遺伝子検査や脳のMRI検査などをしました。
「検査入院は3日間の予定でしたが、2日目でSMAとわかったようで、医師から『東京女子医科大学のゲノム診療科を紹介するから、すぐに行ってください』と言われました。
都立病院の医師からは、SMAの説明も受けたのですが、私は頭が真っ白になって、医師の言葉が何も頭に入ってきませんでした。
ただこの時点では、SMAと確定診断されなかったので、帰り道、夫と『まだSMAと確定したわけではないから、希望を持とう』と話しました」(茜さん)
医師から「SMAは、今、治療ができる病気」と言われ、希望の光が
翌日、茜さん夫婦は東京女子医科大学のゲノム診療科へ。SMAの第一人者である齋藤加代子先生の診察を受けます。
「齋藤先生は、都立病院で行った検査の結果に目を通し、鈴を診察して『SMAですね』と診断名を言いました。
帰宅後、夫とインターネットでSMAについて調べましたが『何もしなければ生涯、歩けない』『何もしなければ1歳半までに95%の子が亡くなる』などショッキングな言葉ばかりが並んでいます。いろいろなサイトを見たのですが、どのサイトを見ても同じような言葉が並んでいます。目の前が真っ暗になりました。
実は39歳での出産だったので、妊娠中におなかの赤ちゃんがダウン症でないかを調べる新型出生前診断を受けていました。検査結果は、陰性だったのに・・・。なぜ? なぜ? という思いが頭から離れませんでした」(茜さん)
しかし齋藤先生の言葉が救いになったと茜さんは言います。
「齋藤先生から『SMAは、今、治療ができる病気だから』と言われて、治療薬の説明を受けました。齋藤先生の診察を受けたのは2020年3月ですが、近々、遺伝子治療薬『ゾルゲンスマ®』の製造・販売が承認されるとも教えてもらいました。『ゾルゲンスマ®』は1人で歩ける可能性が高くなる夢の薬だとのこと。私たち夫婦は、SMAの治療に望みを託すことにしました」(茜さん)
【齋藤先生から】動きが少なくおとなしい、乳首への吸いつきが弱いなど、気になることは早めに医師に相談を
鈴ちゃんを初めて拝見したのは、鈴ちゃんが生後1カ月半のときでした。1カ月健診で「様子を見ましょう」ではなく「大きな病院で診てもらいましょう」という適切な指示と、都立病院で「SMAかな?」との判断で検査を進めたことが、早い診断と早い治療開始につながりました。SMAでは早期発見は、治療効果につながるためとても重要です。早期発見のポイントは、動きが少なくおとなしくなってきたこと、両足を開いた姿勢で動かさないこと、乳首への吸いつきが弱いこと、ミルクの飲みが悪いことなどです。専門の医師の診察を受けてSMAと診断されたら、一刻も早い治療開始が重要です。
お話/平井茜さん 協力/SMA(脊髄性筋萎縮症)家族の会 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
SMAは早期発見・早期治療がカギとなる病気です。鈴ちゃんにSMAが見つかるきっかけとなったのは1カ月健診でした。
茜さんは「もし1カ月健診のときに見逃されたり、『経過観察』と言われて様子を見ていたら、鈴の症状はどんどん進行していたと思います。1カ月健診のとき異変に気づいてくれた小児科の先生に、本当に感謝しています」と言います。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年4月の情報であり、現在と異なる場合があります。