「おうちかえろ?」と泣きながら何度も…。神経芽腫と診断されたちーちゃんと両親の闘い【体験談】
埼玉県に住む久保田ちひろちゃん。2014年5月19日生まれの小学3年生の女の子です。実はちーちゃんは、3歳のときに「神経芽腫」(※1 小児がんの一種)、治療をしても5年生存率は3〜4割という厳しい診断を受けました。
パパとママの「ちーちゃんの命を救いたい」という強い想いと懸命な祈りのもと、幼いちーちゃんは必死に闘い、何度か訪れた命の危機を乗り越え、平穏な日常を取り戻したかに見えました。しかし2023年8月。定期検診でがんが再発していることがわかりました。そして、必死に治療法を探し、イタリアの小児病院で治療することを決めました。
前編では、ちーちゃんの発病から治療、そして再発に至るまでの経緯、イタリアでの治療を決めるまでの胸の内をご両親に聞きました。
何もないことを確認するために病院へ行ったのに……
久保田将さん、祐香子さんがひとり娘ちひろさん(以下ちーちゃん)の病気に気づいたのは、2018年1月末のこと。ちーちゃんが通っていた保育園の看護師さんの「最近、ちーちゃんの様子がいつもとちょっと違うから、念のためにお医者さんに診てもらったら?」という言葉でした。「検査しておけば安心だね」と、翌朝、将さんはちーちゃんを病院に連れて行きました。
その日、外せない会議があって一緒に病院に行けなかった祐香子さん。職場と病院が近かったので、昼休みには検査結果を待つ将さんとちーちゃんに会って「なんともないといいね」と話したそうです。しかし職場に戻ると、「もしかしたら白血病かもしれない」と将さんからメールが届きました。
「何もないことを確認するために病院に行ったのに……。頭の中は真っ白、涙が止まりませんでした」(祐香子さん)
「何かの間違いではないかと思いました。でも正直なところ、そのときのことはあまり記憶にないんです」(将さん)
診断は小児がんのひとつである神経芽腫でした。そこからちーちゃんのつらく苦しい治療、入院生活が始まりました。
生活の拠点を名古屋に移してちーちゃんに付き添う
検査を進めるうちに、ちーちゃんの神経芽腫は副腎が原発のステージ4の高リスクで、手術や抗がん剤、放射線治療を組み合わせた標準治療をしても5年生存率は3、4割であることもわかりました。
将さん、祐香子さんは、なんとか「ちーちゃんを救いたい」と、わらにもすがる思いで治療法を探しました。しかしなかなかこれといった情報は見つかりません。そんな中、祐香子さんは同じ病気の子どもをもつかたたちが発信するブログを見つけては、「どこの病院でどんな治療をしているか」を聞いたそうです。
「同じ病気の子どもをもつ皆さんはどんな質問をしてもとても親切に答えてくださり、本当にありがたかったです」(祐香子さん)
そうして見つけた名古屋大学医学部附属病院に同年5月に転院、抗がん剤治療や手術による副腎摘出手術などの治療は続きました。
「名古屋の病院では未就学児は24時間家族の付き添いが必要だったので、仕事は辞めざるを得ませんでした」(祐香子さん)
当時はまだコロナ禍前、今のようにリモートワークは一般的ではありませんでした。しかし幸いなことに、将さんの勤務する会社が久保田さん一家の置かれた状況を理解し、名古屋に新たに働く場所を用意してくれたといいます。それを機に東京の家を処分、生活の拠点を名古屋に移しました。
「会社にも同僚にもとても恵まれていたと思います。当時、名古屋にワンルームを借りていたのですが、東京の家が売れるまではローンと家賃の両方を支払わなくてはなりませんでしたから、生活は決して楽ではありませんでした」(将さん)
鉛に囲まれた部屋で過酷な治療を乗り越えた4歳のちーちゃん
翌2019年1月には、より効果の高い治療をするために金沢大学附属病院に転院。ちーちゃんはより効果が高いといわれる治療に臨むことになりました。
「この治療中の5日間は、大きなモニター画面で私たちの姿は見えるにせよ、鉛で囲まれた部屋でちひろはひとりで過ごさなくてはなりませんでした。まだ4歳なのにトイレや食事はもちろん自分で血圧も測らなくてはならず、昼間だけ、次は泊まりでと練習を重ねて治療に臨みました」(祐香子さん)
治療後は再度、名古屋大学医学部附属病院に戻り、さい帯血移植と陽子線治療と、当時考えられる治療は全て行なったといいます。将さん、祐香子さんの懸命の祈りと全霊を傾けた看病に支えられながら、ちーちゃんは小さい身体で病気と闘い、何度か訪れた命の危機を乗り越えました。
日常を取り戻したかのように見えた矢先に再発。新たな闘いが始まった
そして2019年11月には退院。輸血や再発予防薬を服用しながらではありましたが、幼稚園、そして小学校に通えるまでになり、髪も伸ばし、お友だちと楽しい時間を過ごす平穏な毎日を取り戻したかに見えました。
しかし移植治療から4年経った2023年8月。3カ月に1度の検査で、ちーちゃんに再びがんが見つかりました。再発です。
「初発のときに、『再発したら助からないだろう』と言われていたので、『再発』の診断はあまりにもショックでした」(祐香子さん)
初発の診断から6年、治療終了から4年。再びちーちゃんに訪れた過酷な運命に、将さんも祐香子さんも立ちすくむしかありませんでした。医療の進歩で初発のときよりは、命が救われる可能性は増えているとはいえ、ちーちゃんを救える治療方法が見つかるとは限りません。
ちーちゃんの命を救うため、ようやく見つけた治療に立ちふさがる高い壁
それでも将さんと祐香子さんは、ちーちゃんの命を救うため、ありとあらゆる方法を駆使して、治療法を探し続けました。そして出合ったのが、イタリアの小児病院で行っている「再発および治療抵抗性神経芽腫に対するGD2-CAR-T療法」というものです。
「この治療の臨床試験を行った27人の子どもの3分の2に効果が見られ、3分の1は腫瘍が消えたそうです。何より亡くなった子も重い副作用が現れた子もいないと聞いて、そんな治療があるならちひろにもぜひ受けさせたい。すぐに主治医を通じてイタリアの病院に問い合わせました」(祐香子さん)
やっと見つけた治療法。イタリアの病院からも受け入れ内諾の連絡がありました。しかし、そこに難題が立ちふさがりました。治療を受けるためには治療費や滞在費を含めて、4,000万円という莫大(ばくだい)な費用がかかるというのです。
しかしちーちゃんの命とお金をてんびんにかけることはできません。後半では、ちーちゃんの命を救いたい、その一心で奔走する将さん、祐香子さんの姿をお伝えします。
お話・写真提供 / 久保田将、祐香子さん 取材・文 / 米谷美恵、たまひよONLINE編集部
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年1月の情報で、現在と異なる場合があります。
久保田ちひろさんプロフィール
名前 : 久保田 ちひろ
生年月日 : 2014年5月19日
習い事 : 習字 ピアノ 日本舞踊
好きな食べ物 : 生のニンジンとイチゴ
好きな芸能人 : YOASOBI NiziU
好きなYoutuber : フィッシャーズ ヒカキン からぴち ドズル社
〈治療の経過〉
2018年 1月 3歳 8ヶ月 副腎原発の神経芽腫の診断
2018年 5月 4歳 0ヶ月 名古屋大学医学部附属病院転院
2018年10月 4歳 5ヶ月 右副腎全摘出
2019年 1月 4歳 8ヶ月 金沢大学医学部附属病院転院
2019年 3月 4歳10ヶ月 131 I-MIBG内照射
2019年 3月 4歳10ヶ月 大量化学療法、自家造血幹細胞移植
2019年 5月 5歳 0ヶ月 名古屋大学医学部附属病院転院
2019年 7月 5歳 2ヶ月 KIRリガンド不一致同種臍帯血移植
2019年 9月 5歳 4ヶ月 陽子線照射
2019年11月 5歳 6ヶ月 退院、レチノイン酸内服
2023年 8月 9歳 3ヶ月 第9番ろっ骨に再発(局所)
2023年 9月 9歳 4ヶ月 名古屋大学医学部附属病院転院
2023年12月 9歳 7ヶ月 放射線照射
2024年 1月 9歳 8ヶ月 渡欧予定
※2024年1月現在、目標金額を達成したため、クラウドファンディングは終了しています。