4歳のころ右手がプルプルと震えるなと思ったら、何回も嘔吐を。医師からは「ほとんどの子が1年以内に亡くなる」と説明され・・・【小児がん体験談】
看護師の島田理絵さんには、2人の子どもがいます。第2子沙紀ちゃんは、4歳のとき小児がんの小児脳幹グリオーマと診断され、入院して放射線治療などの治療が続きました。上の子は、男の子で沙紀ちゃんと2歳違いです。母親の理絵さんに、沙紀ちゃんが生まれたときのことや診断、治療について聞きました。
全2回インタビューの前編です。
妊婦健診は異常なし。元気に生まれてすくすく育ってくれた
沙紀ちゃんは、理絵さんが32歳のときに誕生しました。
「妊娠経過は順調で、妊婦健診で『多分、女の子だろう』と言われていて、会えるのを楽しみに待っていました。予定日は、12月24日のクリスマスイブ。その日は私たち夫婦の結婚記念日だったので、予定日に生まれてくれたらうれしいなと思っていました」(理絵さん)
沙紀ちゃんが生まれたのは、予定日から3日過ぎた12月27日でした。
「その日は午前中、長男と公園で遊び、お昼過ぎに『そろそろ、生まれるかも・・・』と思って病院に行きました。年末で夫も会社が休みだったので、長男を私の実家に預けて、夫と一緒に病院に向かいました。夫も出産に立ち会うことができて、出生体重3065g、身長48.5cmの元気な女の子が生まれました。
『無事に元気に生まれてきてくれて、ありがとう』という気持ちでいっぱいでした。
沙紀の名前は、夫の名前の漢字にある“さんずい”から沙という字を選び、私の名前の漢字の“いとへん”から紀を選んでつけました。上の子も同じような考え方で命名しています。家族みんなでつながっていたいという意味を込めました」(理絵さん)
しかられたお兄ちゃんをなぐさめる優しい子に成長
沙紀ちゃんは、優しくて豊かな感性をもつ子に育ったと理絵さんは言います。
「家族でキャンプに行ったとき虫さんとお話をしているような子でした。『虫さん、このお花あげるね』『一緒に遊ぼう』などと、話しているんです。よく絵本を読んであげていたので、感性豊かに育ったのかもしれません。
私が息子を強くしかったときも、沙紀が『お兄ちゃんは、ちゃーちゃん(沙紀ちゃんのこと)の自慢のお兄ちゃんだよ! お兄ちゃんは虹色のバラを咲かせられるよ! 大丈夫だよ』と息子をなぐさめているんです。
『虹色のバラなんて言葉どこから出てきたんだろう? 虹色のバラって何だろう?』と思って調べてみたら、花言葉が”無限の可能性”なんです。どこで覚えてきたのかはわかりませんが、そういうことをさらっと言う子なんです」(理絵さん)
かかりつけの小児科で「風邪」と診断されたけど、なぜか不安に
理絵さんが沙紀ちゃんの様子に違和感を感じ始めたのは、4歳の秋です。
「最初は、転びやすくなった? 少し太ってきたかな?と思ったのですが、まさか病気だとは思いませんでした。風邪っぽくて元気がなく、『頭が痛い』と言うこともあり、かかりつけの小児科を受診しました。小児科では『風邪』と診断されました。でも、『本当に風邪かな?』と気になって不安がぬぐえませんでした。
そのうちコップを持ったりすると右手がプルプルと小きざみに震えるようになりました。運動後に、異常に汗をかくのも気になって『大きな病院で診てもらったほうがいいかも・・・』と考えていた矢先、朝方、繰り返し嘔吐をしたんです。
看護師の仕事をしていたこともあり『もしかしたら脳の病気かもしれない。すぐにCT検査ができる病院に行ったほうがいい』と思い、家から近い大きな病院に電話をしました。『すぐに来てください』と言われて、夫に車で病院に連れて行ってもらいました。『脳の病気?』と疑いながらも思い過ごしかもしれないため、夫には『もしかして脳の大きな病気かもしれない』とは、怖くて言えませんでした。
CT検査と脳のMRI検査をしたところ、医師から『脳幹に何かあるから、すぐにこども専門の大きな病院(以下こども病院)に行ってほしい』と言われて、紹介状を書いてもらい、その日のうちにこども病院に行きました」(理絵さん)
小児脳幹グリオーマと判明。医師からは「ほとんどの子が1年以内に亡くなる」との説明が
こども病院で再び検査をしたところ、沙紀ちゃんは脳腫瘍の疑いがあると言われて、病変の一部をとって、顕微鏡で詳しく調べるために生検手術をすることに。また髄液の循環がうまくいかず、脳室内に髄液がたまり、脳を圧迫する水頭症ということもわかり、生検手術の前に第三脳室底開窓術という水頭症の手術も行うことになりました。
「水頭症は、頭が大きくなる特徴がありますが、私は気づきませんでした。先天性ではなかったので、症状が顕著でなかったのかもしれません。思い返すと、自転車用のヘルメットがきついかな? と思ったことはありましたが、まさか水頭症になっているとは思いませんでした。
また生検の結果が出るまで1カ月ぐらいかかるとの説明でしたが、結果にかかわらず治療を始めたほうがいいと言われて、別の大学病院で副作用が少ない陽子線治療を受けるように医師からすすめられました。
陽子線治療は、放射線療法の1種で、がん細胞のみを狙い撃ちして放射線を照射するため副作用が少ないと説明されました。しかし行える医療機関は少なく、順番を待たなくてはいけないとのことでした。でも陽子線治療を希望して待つことにしました」(理絵さん)
陽子線治療があと1週間ほどで受けられると決まったときに、生検の結果が出ました。
「医師からは、『小児脳幹グリオーマ』と言われました。小児がんです。
『治療法が確立されておらず、陽子線治療を受けても一時的な延命にしかならない。ほとんどの子が1年以内に亡くなってしまう』と告げられました。
看護師をしていることもあり、脳幹と聞いたときに手術は無理だろうな・・・と思いました。一緒に医師からの説明を聞いて夫もたいへんショックを受けていましたが、夫婦で話し合いました。ほとんどの子が1年以内に亡くなってしまうと言われたけど、奇跡を信じたかったし、最善の治療をしてあげたくて、陽子線治療を受けることにしました。
治療が受けられることになったので、私が付き添い、週末に夫と長男が面会に来るという生活が始まりました。
夫は、病気のことをいろいろ調べて、グリオーマの患者会にも入会して情報収集をしてくれていました」(理絵さん)
『頭の中に白いばい菌が入っちゃったんでしょ?』と治療を頑張る
沙紀ちゃんの陽子線治療は3カ月ほど続きました。
「病巣のみにピンポイントで放射線を照射するため、治療中、沙紀は1mmも動けません。そのため放射線治療装置に入るときには、体と頭部をしっかり固定します。頭を固定するお面には、放射線技師さんが沙紀が好きなキャラクターの絵を描いてくれました。そして治療の前には一緒に遊んでくれたり、大好きな音楽を流すなど、皆さんが一生懸命サポートしてくれました。おかげで沙紀は陽子線チームの皆さんが大好きになりました。
MRI画像を見た沙紀は、腫瘍が『白いばい菌』だと思ったようで、『頭の中に白いばい菌が入っちゃったんでしょ?』と言い、泣き言1つ言わずに頑張ってくれました。いつも笑顔を絶やさずに頑張る沙紀を見ると、つらくて涙が止まらないこともありました。
また医師からは沙紀の陽子線治療は、一時的な延命にしかならないということを説明されていました。
陽子線治療を受けて、腫瘍が大きくなるスピードを緩やかにすることはできましたが、すでに髄液にがん細胞が広がり、脳室や脊髄にもがん細胞がバラバラと広がってしまっていました」(理絵さん)
沙紀の経過を見た医師からは『沙紀ちゃんとご家族で1日、1日を大切に過ごしてはどうでしょうか』と言われました。
「夫とも残された時間を有意義に過ごそうと話し合っていて、自宅で訪問看護を受けることにしました。そして闘病から8カ月後、わずか5歳6カ月という短い命でしたが沙紀はお空に旅立ちました」(理絵さん)
お話・写真提供/島田理絵さん 協力/一般社団法人 日本グリーフ専門士協会 グリーフサポートIERUBA(イエルバ) 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
小児脳幹部グリオーマは小児がんです。国立がん研究センターが運営する公式サイト「がん情報サービス」によると、日本では年間2000~2300人の子どもが小児がんと診断されています。なかでも小児脳幹グリオーマは、治療法が確立されておらず、診断と同時に余命宣告される厳しい小児がんと言われています。
インタビュー後編は、理絵さんの心を救ったグリーフケアについて紹介します。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月の情報であり、現在と異なる場合があります。