小児がんの治療のため、自宅から遠く離れた病院で1年6カ月もの入院治療。「ましろは絶対に治る」と信じ続けて寄り添った母と父【神経芽腫体験談】
小田ましろちゃん(6歳)は3歳2カ月のとき、神経芽腫の治療のために、自宅から900キロ離れた名古屋大学医学部附属病院に転院。その4カ月後、新型コロナウイルス感染症の感染予防のために、患者はもちろん、付き添う母親も病院の外に出られなくなりました。
そんな厳しい状況で、ゆりさん(42歳)はましろちゃんを支え続け、弟の千蒼くんと長崎で生活している夫の哲(さとし)さん(43歳)とはテレビ電話がつながることが唯一の手段でした、ましろちゃんの病気と闘病の日々のことを聞いた4回シリーズの3回目です。
新型コロナ感染予防のため外出禁止に。娘は病院内のコンビニにも行けなくなる
ましろちゃんが名古屋大学医学部附属病院に転院して4カ月後の2020年4月、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、全国に緊急事態宣言が出されました。それに伴い、病棟のすべての患者の外出・外泊が禁止となりました。
「それまでは調子のいいときは、患者本人も病院内のコンビニには行ってよく、ましろも買い物に行くのを楽しみにしていました。でも4月以降は禁止となり、完全に病棟から出られなくなりました。
付き添う母親は病院内のコンビニには行けたけれど、病院の外に出るのは禁止。一度病院から出たら、戻ってくることはできなくなったんです」(ゆりさん)
「面会禁止になったので、私はましろと妻に会えなくなりました。ましろのことは妻に任せるしかありませんでした」(哲さん)
ましろちゃんがパパと会話をできるのは、スマホのテレビ電話だけになりました。
「仕事から帰宅後、病院が消灯する9時まで、ほぼ毎日テレビ電話をしていました。私はましろとおしゃべりし、妻は千蒼の姿を見て、話しかける。テレビ電話は、離れている子どもとコミュニケーションを取る、ただ一つの手段でした」(哲さん)
「夫婦間のコミュニケーションは、夫の出勤・帰宅途中など、ちょっとしたすき間時間に電話で。といっても、子どものことを報告し合うのがメインで、自分たちのことを話す時間はほぼありませんでした」(ゆりさん)
コロナ禍で面会も一時退院もできなくなり、ゆりさんは千蒼くんに会う手だてがなくなりました。
「テレビ電話で話すとき、夫が『ほら、ママだよ、ママだよ』って促してくれ、千蒼も『ママ~』と言ってはくれるんですが、子どもが心から『ママ!』と呼ぶのと明らかに違うんですよね。私がだれなのかわかっていなかったと思います。それを感じてしまうのはとてもつらく、切ないことでしたが、送られてくる動画や写真を見ると、千蒼がみんなにかわいがられて、楽しく過ごしてるのがわかります。それで十分だと思うようにしていました」(ゆりさん)
外出できなくなり、ゆりさんの食事は病院で買えるコンビニ食ばかりになってしまいました。眠るときはましろちゃんのベッドでの添い寝。心身共にかなりハードな環境にありました。
「ましろのことで精いっぱいで、自分の健康を意識したことはなかったですが、風邪ひとつひきませんでした。まわりにいたママたちも、体調を崩した人ははいなかったように思います。みんな気が張っていたからでしょうね。
また、看護師さんが『お母さん、眠れていますか。ごはんはちゃんと食べてますか』『無理せず何かあったら言ってくださいね』って、折に触れて声をかけてくれました。そういう心づかいをしてもらえるだけで安心できました」(ゆりさん)
付き添うママたちと共同でネットスーパーを利用。子どもが欲しがるものを調達
面会はできないものの、近隣に家族がいる人は、必要なものを持ってきてもらうことはできました。でも、ましろちゃんのように遠方から入院しているケースは、それが望めません。
「外に買い物に行くのがNGになってからは、同じ環境のママたちと共同でネットスーパーを利用し、配達してもらっていました。調子がいいときは好きなものを食べていいので、ましろが食べたがるものの材料を注文していました。
病棟内に簡易キッチンがあるから、しゃぶしゃぶを食べたがったときは肉と野菜を注文し、しゃぶしゃぶを作りました」(ゆりさん)
「私からは缶詰とか常温保存できるものは送ったのですが、日持ちしないものは届けられません。ネットスーパーが利用できると聞いて安心しました」(哲さん)
家族が近くに住んでいる付き添いママにお願いして、必要なものを買ってきてもらうこともありました。
「ましろがいちばん喜んだのはハンバーガーです。ネットスーパーでは買えないので。付き添いのママたち用に、できたてのお弁当を買ってきてくれたりもして、本当にありがたかったです。
ただ、新型コロナの感染が拡大してからは手作りのものは持ち込めなくなったので、お弁当屋さんの手作りお弁当は食べられなくなりました」(ゆりさん)
移植前に念願の一時帰宅。でも公共交通機関は使えず、車で13時間かけて移動
抗がん剤の投与量を増量して行う大量化学療法の一貫として、ましろちゃんは2020年7月に自家造血幹細胞移植(自家移植※1)を受けました。
「コロナ禍でしたが、移植前は家族の元に帰っていいことになりました。『おうちに帰れる!』とましろが大喜びしていました。
でも、新型コロナの感染予防のために、移動に公共交通機関を使うことは禁止。長崎に帰るには自家用車を使うしかなく、夫が13時間運転して迎えに来てくれました。夫は往復で26時間運転しました」(ゆりさん)
「ましろが起きている時間帯に13時間を車の中で過ごすのは難しいから、寝ている時間帯に移動。夜9時ごろ出発し、朝10時ごろ到着するような感じです。新型コロナの感染リスクがあるので、サービスエリアで休憩するときも、トイレ以外は車の中で過ごしました」(哲さん)
「ましろを公衆トイレに連れていくのはこわいので、『病気がうつらないようにするために、家に帰るまではおしっこ・うんちはおむつにしてね』と説明し、紙おむつをはかせていました。4歳になる前で、まだ寝るときのおむつは取れていなかったし、抗がん剤などの治療中もおむつをしていたので、おむつにあまり抵抗がなくて助かりました」(ゆりさん)
一時退院した際、千蒼くんは1歳2カ月。ゆりさんと対面したとき人見知りをしたそうです。
「千蒼に会えたのがうれしすぎて、『ママだよ!!』といきなり抱きしめてしまい、びっくりさせたのも悪かったのですが、ずっとお世話をしてくれている義姉にくっついて離れませんでした。
そんな様子を見て夫が、『ほら!ママだよ!!ママだよ!!』と何度も働きかけてくれたのも裏目に出て、余計に嫌がられてしまいました・・・。
それでも一緒に過ごすうちに徐々に心を開いてくれ、千蒼のほうから寄ってきてくれるようになった、と思ったら病院に戻る日に。つらいけれど、いずれは4人で暮らせるんだから、今はましろの看病に全力を注ごうと、気持ちを切り替えました」(ゆりさん)
※1患者自身の造血幹細胞をあらかじめ採取・保存しておいて、大量化学療法のあとに投与する方法。
口の中が痛くて薬が飲めない。2人で泣きながら毎回3時間かけて薬を飲む
一時退院から戻ってあと、ましろちゃんは自分の造血細胞を採取して保存したうえで、大量化学療法を受けました。
「大量化学療法を行ったあと、自家移植の1週間前からましろと私は無菌室へ入りました。移植後2日くらいして口内炎ができ、のどの痛みも訴えるように。毎日朝昼晩にたくさんの薬を飲まないといけなかったのですが、水さえ飲めないほど口の中が痛いので、薬を飲ませるのが本当に大変でした。1回に3時間以上かかり、ようやく飲み終えたと思ったらもう次の薬の時間。ひたすら薬と格闘する日々でした。
ましろはこのとき4歳前。口の中が痛すぎて口から薬を飲めず、鼻管を入れて薬を投与する子が多い中、ましろは『口から絶対飲むから鼻管はしたくない!!』って。でも、飲むのがつらくて口をふさいで泣いてしまい・・・、2人で毎日泣きながら頑張りました。そして、ましろは言葉どおり、最後まで口から薬を飲んだんです。『3歳代で鼻管なしで薬を飲める子はなかなかいないよ』って先生方から言われました」(ゆりさん)
嘔吐、高熱、下痢、腹痛も現れ、ましろちゃんもゆりさんもつらく、眠れない日々が続きました。
「ましろはパパが大好きなので、『この治療を頑張ったらパパが会いに来てくれる?』と、パパに会えることを心の支えにして、つらい治療を乗り越えてくれました。移植した幹細胞が骨髄で増え始め、白血球が増えてくることを『生着(せいちゃく)』というのですが、移植から14日後に生着!その瞬間からビックリするくらい元気になりました」(ゆりさん)
さらに自家造血細胞移植から約3カ月後の2021年1月に、さい帯血移植(※2)も受けました。
「二つの移植がセットになったこの治療法の可能性に、私たちはかけていました。この治療を受けるために名古屋大学医学部附属病院に転院したんです」(哲さん)
「自家移植がとてもつらかったから、もう一度移植をしないといけないと伝えたとき、ましろは泣いて嫌がりました。『もうしたくない!どうしてまーちゃんばっかり!体の中のバイ菌はいつになったらいなくなるの!』って。なんて説明したらいいのかわからず、『ごめんね。ごめんね。これが最後だよ!だからその前に長崎に帰ろう。そして戻ってきたら頑張ろう!』と伝えました。ふたたび夫の運転する車で往復26時間かけて一時退院しました」(ゆりさん)
「自宅でみんなと楽しく過ごしたあと名古屋に戻らなければいけない日、大泣きするだろうと覚悟していたのですが、ましろは私の両親や兄家族に『また頑張ってくるよ!』と笑顔で言い、車に乗り込みました。いつの間にかましろが強くなっていて、びっくりしました」(哲さん)
ましろちゃんとゆりさんは年末から無菌室に入り、2021年の年明けは無菌室で迎えました。
「ましろは絶対に大丈夫!と信じていましたが、生着して無菌室を出るまではずっと不安でした。
移植の2日後くらいから嘔吐、腹痛、下痢が始まり、ましろは毎日イライラしていました。たぶん体中が痛くてつらかったんだと思います。さらに、口内炎が痛くて口を開けるのも難しいのに、薬は朝昼晩飲まなければならず、今回も薬との闘いでした。また、移植から10日後に肺に水がたまり、酸素マスクを付けた生活に。別人のように顔がむくみました。
でも移植から2週間後、白血球の数値が100に増え、その6日後に生着!ただ、その後も肺に水がたまっていたので、定期的にレントゲンを撮って観察。2月7日に行ったレントゲン、採血、心臓のエコーの結果、問題ないとのことで無事、無菌室を出ることができました」(ゆりさん)
※2「さい帯」はへその緒のことで、さい帯と胎盤の中に含まれる血液が「さい帯血」。血液を作る源となる造血幹細胞がたくさん含まれているさい帯血を移植する治療法。
病気と闘う子どもと家族を支援するNPO団体に、金銭的・精神的に助けられる
自宅から遠く離れた病院での入院生活は金銭的にも大きな負担がありそうです。
「面会禁止になるまでは月1回ましろに会いに行っていたので、飛行機代や新幹線代、名古屋での滞在費がかかりました。また、コロナ禍の一時退院で自家用車を使ったときの高速道路代やガソリン代もかなりの金額でした。1年6カ月の入院で90万円近くかかったと思います」(哲さん)
小田さん夫婦は、名古屋大学医学部附属病院のソーシャルワーカーさんから、病気の子どもと家族を支援するNPO団体があることを教えてもらいました。
「自宅から遠く離れた病院で治療する家庭の交通費と宿泊費を支援してくれるNPO法人ゴールドリボン・ネットワークに申請し、交通費を助成してもらいました。宿泊費については、マクドナルド・ハウスが併設されていたので、1人1泊1000円(入院している子どもは無料)で利用でき、とても助かりました」(哲さん)
「夫とのテレビ電話で毎日使っていたスマホは、入院中の子どもに付き添う母親を支援してくれるNPO法人キープ・ママ・スマイリングが提供してくれたもの。しかも通話料も支援してくれるので、料金を気にせず、ましろとパパは会話を楽しむことができました。本当にありがたかったですね。また、化粧品や大人向けの缶詰なども送ってくれ、『ママのために』という心づかいがとてもうれしかったです。
こうしたボランティア団体のサポートもあったから、コロナ禍での入院生活を何とか乗りきることができました。私も夫もそしてましろも、とても感謝しています」(ゆりさん)
【高橋義行先生より】2回連続して移植する「タンデム移植」を行いました
ましろちゃんが受けた治療は「タンデム移植」といって、移植を2回連続して行う治療法です。1回目は大量の抗がん剤を投与したあとに、あらかじめ凍結保存しておいた、ましろちゃん自身の末梢血幹細胞(血液のもとになる細胞)を移植します。大量の抗がん剤のために口腔粘膜や、胃腸の粘膜が荒れてしまい、口が痛くて唾液を飲みこむこともつらいほどです。体が回復してからの2回目の移植は、神経芽腫を攻撃できるナチュラルキラー細胞を持った特別なさい帯血を移植して、全身の血液が入れ替わります。状態が落ち着くのは2回目の移植から2カ月以上経過してからです。
お話・写真提供/小田ゆりさん・哲さん 監修/高橋義行先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
病院内すら自由に歩けない厳しい環境の中、神経芽腫のつらい治療を続けたましろちゃん。1年6カ月間、ゆりさんと哲さんは、「ましろは絶対に治る」という強い気持ちをもって寄り添い、愛情を注ぎ続けました。
高橋義行先生(たかはしよしゆき)
PROFILE
名古屋大学大学院医学研究科 健康社会医学専攻 発育・加齢医学講座 小児科学/成長発達医学教授。名古屋大学医学部附属病院小児がん治療センター センター長。専門分野は血液・腫瘍。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。NPO法人の支援の内容は体験当時のものです。
●記事の内容は2023年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。