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小学2年生のころ、急に自分は汚いと思うようになり、何分も手をガシガシと洗うように【強迫性障害体験談】

更新

手の汚れが気になって何度も、何度も、ひじまで洗うことも。(映画『悠優の君へ』より)

福原野乃花さん(22歳)は、YouTube『ののはらちゃんねる』で自身の強迫性障害について発信しています。強迫性障害とは、実際にはあり得ないことに不安感を抱き、その不安を解消するために過剰な行動を繰り返す心の病です。10~20代での発症が多いようですが、福原さんは、小学2年生のころに頻繁に手を洗うようになったと言います。
全2回インタビューの1回目です。

幼稚園のころから汚れたり、危険なものに人一倍敏感だった

おとなしくて恥ずかしがり屋さんだった、3歳のころの福原さん。

福原野乃花さん(22歳)は、父、母、3歳上の兄の4人家族。幼いころは、おとなしくて甘えん坊だったと言います。

「幼稚園のころは、恥ずかしがり屋で甘えん坊でした。『幼稚園に行きたくない』と駄々をこねることもありました。すると母が教室までついてきてくれました。今、思うと幼稚園の先生やお友だちとかかわるのが苦手で駄々をこねていたのかもしれません。母を含めてとてもやさしい家族に囲まれて穏やかな時間を過ごしていたので、外の人とかかわることが怖かったのかも、と今となっては思っています」(福原さん)

また幼稚園のころから、汚れたりすることや危険なものに人一倍敏感だったと言います。

「幼稚園で粘土遊びをするたびに、先生から『粘土を触ったら手を洗いましょう』と言われました。その言葉がとても気になって、粘土を触った手は汚いから、洗うまではほかのものを触らないように気をつけていました。『粘土=体に悪いもの』と思ってしまい、粘土遊びに集中できませんでした。

ほかにも、園庭に引かれた白線が怖くて絶対に触らないように気をつけていました。先生から『粉を触った手で目をこすったりしたらダメですよ』と結構強めに言われていたので、『すごく危険なものなんだ!』という意識が強くなり、『絶対触らないようにしないと』と思っていました。

また、幼稚園のときのお泊まり会でも怖かったことがあります。お泊まり会では、川で魚を釣ってみんなで焼いて食べたのですが、魚に刺すくしがすごくとがっていて、先生が『お友だちに当たると危険だから、絶対振り回したりしないで!』と注意したときも、すごく不安になったんです。お友だちに傷つけられるのではないかという不安よりも、私がお友だちを傷つけてしまったらどうしようという不安が大きかったです。
自分が傷ついたり、汚れたりするのが怖いのではなくて、自分が傷つけてしまうのではないかと思い、それが怖かったです。人を傷つけてしまうのが、とにかく怖かったんです」(福原さん)

まわりの人を「うっとうしい」と思うのは、自分の心が汚れているから

大好きなお兄ちゃんと。

福原さんは小学2年生のときに、まわりの人のことを「うっとうしい」と思ってしまったことで自分を責めて、自己嫌悪に陥ったことがあります。

「今、思うとなんでそんなことで、あんなに悩んでいたのだろう? と思うのですが、当時の私は、『うっとうしい』なんて負の感情を抱くことは絶対いけないことだと思っていたんです。少しでも『うっとうしい』と思ってしまったことで、取り返しのつかないことしてしまったような気持ちになり、自分を責めました。

さっきまではきれいな心だったのに、今の自分は汚れてしまった。まわりの人と私は違う! 自分は汚れている。もう元には戻れない・・・。そんな気持ちでした。ものすごく大げさに言うと、人を殺してしまったときのような感覚じゃないかと思うほどです。これは想像なのですが・・・。
今、思えば、まわりの人たちはすごく心がきれいで完璧なのに、自分だけ汚れていると思い込み、みんなと違うことが怖かったのだと思います」(福原さん)

手洗いの回数が増えるなど症状が進行。でもだれにも知られたくない

幼いころから、汚い、危ないという言葉に敏感だった。

強迫性障害の中には、不潔恐怖によって過剰な手洗いをする人がいます。福原さんも小学2年生から頻繁に手を洗うようになりました。

「そのころはまだ回数もそんなに多くはなかったので、家族はきれい好きな子と思っていたようです。母や父から『そんなに洗わなくてもいいよ』と言われましたが、家族全員が私の行動について重くは考えてはいませんでした」(福原さん)

福原さんが小学生のとき最も恐れたのは、家族やお友だちに「野乃花、ちょっとおかしいんじゃない?」と思われることでした。

「小学3年生の誕生日のとき、兄が私にプレゼントを用意していてくれていたんです。小学校から帰ってきてプレゼントがある!と知ったとき、すごくうれしくて、すぐにプレゼントを受け取って、兄にお礼が言いたかったのですが、その日は体育の授業があり、校庭の白線が手や洋服についているかもしれないと思いました。まずはおふろに入って、体を洗ってからでないとプレゼントが受け取れないと思い、『あとで見るから、プレゼントはそこに置いといて』と言ってしまいました。おふろに入りながら、兄に不快な思いをさせたかも・・・と思って、すごく落ち込みました。

私の強迫性障害の症状は、少しずつ進んでいました。しかし家族や友だちに気づかれるのが怖くて、なるべく気づかれないようにしていました。
私はバレないようにするのがうまかったのだと思います。不潔が恐怖でしたが、友だちと普通に遊びに行ったりもしました。友だちといるときは、手につく汚れのことなどを考えないようにしていたので、友だちは気づかなかったと思います。

恥ずかしいからだれにも相談したくない、バレたくない! もし知られて家族や友だちに引かれるのが本当に恐怖でした。だからだれにも相談できませんでした」(福原さん)

加害恐怖から「自分は犯罪者なのではないか?」と思うように

小学生になると、友だちと比べて苦しくなることも。

福原さんは友だちと自分を比べて、友だちの感覚がうらやましかったと言います。

「トイレのあとに、手をパパっと洗う子がいて、自分とは見えてる世界が違うんだなと思うと、死ぬほどうらやましかったです。私にはのどから手が出るほど欲しい感覚でした。私も、それくらい気にせず生きれたら・・・と思いました。そのころの私は、トイレから出るとひじまで洗っていました。手だけが汚れているとは思えなかったんです」(福原さん)

福原さんは、強迫性障害から加害恐怖もひどかったと言います。加害恐怖とは、だれかに危害を加えるかもしれないという不安のことです。

「小学生のころから、自分がだれかを傷つけてしまうのではないか? 自分は犯罪者なのではないか? と気にしながら学校生活を送っていました。自分以外にこんなことを考えながら学校に来ている人は絶対いないだろうな・・・と思うと、孤独感に襲われたりしていました。
たとえば集会とかで、みんなが集まっているとき、私は自分の気が急におかしくなって、近くにいる子の首を絞めてしまったらどうしよう・・・ということばかり考えていて、私はこの中にいていいのかな?と思ったりしていました」(福原さん)

また福原さんは、小学生のときからずっと生の肉を触ることができません。

「私はとにかく生肉についている菌が怖いんです。小学校の野外活動で、友だちは生肉を切ったりしてカレー作りを楽しんでいるのに、私は怖くて怖くて。
振り返ると、すごく苦しい子ども時代でした。もっと早くだれかに相談していれば状況は変わったかも・・・と思います」(福原さん)

お話・写真提供/福原野乃花さん 取材・文/麻生珠恵 たまひよONLINE編集部

強迫性障害は、50人に1人の割合でいると言われています。けっして珍しくない心の病です。福原さんは「強迫性障害はサインが見られても、私のように隠し続けようとする人がいます。でも早く、専門医を受診することが重症化を防ぐためには必要です。まわりの人の助けが必要な病気なので、この病気のことを、1人でも多くの人に理解してほしい」と言います。

2回目のインタビューは、症状が悪化していく高校生からのことと治療について紹介します。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年4月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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