原因不明で世界でも100例ほど。知られざる難病と言われる希少疾患。何度も命の危機を乗り越えた娘を尊敬【希少難病ローハッド症候群・体験談】
渡辺瑚々(ここ)ちゃん(4歳)は、症例がとても少ないと言われるROHHAD症候群です。
ROHHADは、主な症状の頭文字をとった病名でRO=Rapid onset Obesity(急性発症肥満)、H=Hypoventilation(低換気)、H=Hypothalamic(視床下部)、AD=Autonomic Dysfunction(自律神経機能不全)です。
ROHHAD症候群(以下、ローハッド症候群)の原因は不明で、治療法はまだ見つかっていません。希少疾患で、世界でも100例ほどしか診断に至っていないと言われています。
母親の未来(みく)さん(35歳)に、瑚々ちゃんがローハッド症候群と診断されたときのことや症状について聞きました。全2回インタビューの2回目です。
怒りっぽくなったり、幻覚が見える娘の姿に戸惑う
ローハッド症候群は、小児の急激な肥満が症状の一つです。瑚々ちゃんも、2歳ごろから体重が急激に増加。細めだったのにぽっちゃり体型になっていきました。
またローハッド症候群の症状には呼吸不全があります。瑚々ちゃんも3歳になってすぐ血中酸素濃度が大幅に下がり、大学病院に入院しました。こうした症状に加え、先天性中枢性低換気症候群の遺伝学的検査で陰性の場合、ローハッド症候群が疑われます。瑚々ちゃんも医師から「ローハッド症候群の疑いが強い」と言われました。
「2歳10カ月で重度の肺炎になり、救急搬送されて大学病院に入院したのですが、状態が安定したので退院しました。しかし退院から数日後、血中酸素濃度が大幅に下がり、大学病院に再入院することになりました。3歳の誕生日を迎えたばかりでした。
再入院は、約1年間も続きました。当初はまさかこんなに長く入院するとは思いませんでした」(未来さん)
ローハッド症候群には、さまざまな症状があり急激な体重増加や呼吸不全のほか、心への影響もあります。
「そのころの瑚々はとにかく怒りっぽくて。イヤイヤ期の影響や入院によるストレスもあったのかもしれませんが、カメラを向けただけで『写さないで~』とヒステリックに怒ったりします。これまで穏やかで明るい性格だったのが、まるで人が変わってしまったようで悲しかったです。
また人見知りで恥ずかしがり屋な性格だったのですが、血中酸素濃度が下がるからなのかハイテンションになり、笑いながら廊下に飛び出したり、初対面の看護師さんに抱きついたりすることもありました。
幻覚が見えることもあったようで、病室のベッドにいるのに『パトカーが来た~』と言ったこともあります。病気のせいとはわかっていても、私が知っている瑚々ではなくなっていくようでとても不安でした」(未来さん)
体内に二酸化炭素が蓄積して意識障害に。気管切開を決意
入院から2日後、瑚々ちゃんの状態が急変します。
「朝から熱があって、様子がおかしかったのですが、午後に意識障害を起こして倒れてしまい、すぐに小児集中治療室に運ばれました。医師の説明では、呼吸に問題があって体内に二酸化炭素が蓄積しているということでした」(未来さん)
瑚々ちゃんはマスク式の呼吸器をつけて、翌日には意識が戻ります。そして、医師から「積極的な呼吸管理が必要だと思います」と言われました。
「積極的な呼吸管理、という意味がわからず『どういうことですか?』と聞くと『気管切開を考えたほうがいいということです』と言われました。
突然のことで、私はショックで目の前が真っ暗になりました。私はシングルマザーで、瑚々のことは同居する私の両親に相談していました。でも、気管切開という言葉を聞いたばかりのころは、それがどのようなものなのか私自身わからず、『声が出なくなるの?』『食べられなくなるの?』と思い、あまりのショックに両親にすぐに相談することができませんでした。
そしてSNSで、気管切開した子どもたちのことを1人で調べていました。
まだ疑いの段階だったローハッド症候群のことや今後の治療などについて、東京の大学病院にセカンドオピニオンを受けに行きましたが、その際に気管切開のことも相談しました。
これまでの経緯を話すと東京の大学病院の医師からも『ローハッド症候群が疑われる』と言われ、気管切開をすすめられました。
そのころは、体内に二酸化炭素が慢性的にたまり、顔がむくんだり、日中も眠けに襲われたり、ときには意識障害を起こすこともありました。ひどいときは正常値の倍以上も体内に二酸化炭素がたまっているときもありました。気管切開をすればこれがラクになる、どうにかラクにしてあげたいという思いから、気管切開を決意しました」(未来さん)
気管切開の手術は成功。しかし手術から2週間後、急変
瑚々ちゃんは3歳3カ月のときに気管切開の手術をしました。
「気管切開の手術は成功しました。手術が終わってしばらく、切開した穴が安定するまでは安静を保つために鎮静薬で眠っているような状態が2週間ぐらい続いたと思います。鎮静薬をやめたら、意識がはっきりして、呼吸状態もすごくよくなりました」(未来さん)
その後、退院に向けて小児病棟に移り、未来さんは付き添い入院をします。
「小児病棟に移った日に、朝からすごい発汗があり、夜になると、発熱と異常な心拍数の増加が見られ、鎮静剤と解熱剤の投与がされました。でも、心拍数の増加はおさまらず手足がとても冷たいんです。
深夜2時過ぎに急に心拍数が低下して呼吸状態が悪化し意識不明に。小児集中治療室に運ばれました。
そのとき解熱剤でアナフィラキシーショックを起こして、生死をさまようような状態になりました。
翌日、状態は一応落ち着きましたが、ショック状態により脳に血液がいかない時間があったようです」(未来さん)
瑚々ちゃんは、この日以来、言葉を発せなくなりました。
「アナフィラキシーショックを起こしたのは解熱剤が原因だったようですが、解熱剤は、それまでも使ったことがある一般的な薬です。
娘の命は助かりましたが、医師からは『アナフィラキシーショックによって一時的に脳に血流がいかなくなり、脳がダメージを負っています。何かがきっかけで、血液が異常にかたまりやすくなるDIC(播種性血管内凝固症候群)という状態になっています』と説明されました。アナフィラキシーショックからDICが起こるような急激な悪化とローハッド症候群との関係はわからないとも言われました。
あんなにおしゃべりだった瑚々とのコミュニケーションは、娘の表情を読み取ったり、アイコンタクトで意思疎通をするだけに変わってしまいました」(未来さん)
瑚々ちゃんは、ローハッド症候群の疑いがある中で、脳機能にも障害も負うことになりました。
3歳5カ月でローハッド症候群と診断される
瑚々ちゃんの急変の後、未来さんは「ローハッド症候群抗体検査」にたどり着きます。
「ローハッド症候群は、症例が少ない難病です。そのため主治医の先生は、病院と提携している大きな小児の医療機関に、瑚々の急変についての助言や治療の方針などを確認してくれました。そして、ようやく『ローハッド症候群抗体検査』にたどり着きました。血清解析による自己抗体価から調べる検査です。その検査で、瑚々はローハッド症候群と診断されました。3歳5カ月のときです」(未来さん)
この検査は、瑚々ちゃんが検査をした当時は、希望したからといって医療機関ですぐに受けられるものではありませんでした。
「瑚々が抗体検査を行ったのは、2022年12月です。このころはローハッド症候群を研究している大学の先生に、直接病院から依頼して抗体検査をしてもらう以外、検査方法はありませんでした」(未来さん)
その後2024年4月から日本でも、製薬会社を介した検査が新たに導入され、血清解析による自己抗体価から診断ができるようになりました。検査で症状の重さもある程度、確認できるようになりました。
言葉でのコミュニケーションはとれなくても、表情一つで娘の気持ち・伝えたいことがわかる
瑚々ちゃんは、もうすぐ5歳です。重度心身障害で、1日の大半を自宅のベッドで過ごしています。
「瑚々が退院するときに、家族みんなが瑚々をあたたかく迎え入れて『家族みんなでサポートしよう』と言ってくれたことが本当にうれしかったです。
通院は2週間に1回ですが、外来がかなり混むため、1泊入院で気管に挿入している管の交換やホルモン検査、脳のMRI検査などを受けています。
自宅では毎日、検温や1日3回薬を服用させたり、2~3時間おきに体位を変えたり、おむつを交換する合間に、瑚々が好きな絵本を読み聞かせたり、歌を歌ったり、手遊びをしたりして、瑚々とコミュニケーションを深めています。言葉でのやりとりはできないけれど、表情がすごく豊かな子なので、表情や目の動きを見るだけで瑚々の気持ちや伝えたいことが手に取るようにわかります。瑚々は何度も命の危機を乗り越えてきた強い子です。そんな娘を私は尊敬しています」(未来さん)
未来さんは「ROHHAD症候群日本事務局・患者家族会」に入会して活動しています。
「ローハッド症候群は、知られざる難病と言われています。診断がつきにくく、症状はさまざまです。瑚々は、ローハッド症候群と診断を受ける前に、ローハッド症候群が影響しているのかはわかりませんが、脳障害を負うことになりました。なかにはローハッド症候群とわからないまま、突然亡くなってしまった子もいると思われます。
現在、ローハッド症候群は原因不明、治療法がない難病ですが、早期発見・早期対処が命を救うカギになります。少しでも医療の研究が進むことに期待したいです」(未来)
【鈴木雄一先生から】ローハッド症候群は、小児科医が一生に一度経験するかどうかの希少疾患
ローハッド症候群は、その希少さゆえに小児科医が一生に一度経験するかどうかというほどの病気です。また、確定診断のための検査方法も確立していません。今回の記事が多くの人の目に触れ、この疾患の存在が広く知られるきっかけとなればうれしいです。
病気の発症から現在まで、瑚々さんの病状や環境は目まぐるしく変化してきました。お母さまは、わが子の病気を受け入れようと懸命に努力されてきたと思いますし、前に進むために何が大切かを考え、行動されてきたと思います。病気は残酷ですが、この経験を通じて瑚々さんとお母さまが新たな親子関係を築いていかれることを切に願っています。医療の立場からもお2人を応援していきたいと思います。
お話・写真提供/渡辺未来さん 監修/鈴木雄一先生 取材・文/麻生珠恵 たまひよONLINE編集部
ローハッド症候群は、2024年5月現在、日本では指定難病に指定されていません。しかし2023年度から厚生労働省の難病に関する研究班の研究対象として、新たに取り扱われることになりました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
鈴木雄一先生(すずきゆういち)
PROFILE
福島県立医科大学附属病院 小児科。専門は小児神経学、小児心身医学。日本小児科学会専門医・指導医。日本小児神経学会専門医。福島県指導責任医。子どものこころ専門医・指導医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年5月の情報であり、現在と異なる場合があります。