待望の妊娠と同時期に進行性の乳がんが判明。子どものいない人生か、手遅れになっても子どもを産むか…選択を迫られて【妊娠期がん経験談】
待望の妊娠が判明してすぐ、進行性の乳がんを患っていることがわかった福田ゆう子さん。その病状は、最初に受診した医師に「成長を見られなくても子どもを優先するか、今後も含めて子どもをあきらめるか」の選択を迫られるほどでした。そんな福田さんが治療を受けながら無事に出産したお子さんは今年でもう10歳。がんと向き合いながらどんな妊娠生活を送り、産後はどう過ごしたのかを聞きました。全2回のインタビューの前編です。
妊娠判明と同時期に判明した進行性の乳がん。だけど、自分も赤ちゃんもあきらめたくなかった
当時アパレルECサイトでライターをしていた34歳の福田さんには、気になることがありました。それは、右乳房上部にあったかたいしこり。痛みはありませんでした。そんなとき、妊娠が判明したのです。
「数カ月前に流産を経験していたので、今度こそは!という思いがあった妊娠でした。
右胸のしこりに気づいたのは妊娠判明前。ただ、痛みもなく、あまり深く考えていませんでした。それが少し痛くなってきたなと感じたころに、妊娠が判明。いろいろなサイトを見ると、妊娠すると胸が痛むと書いてあったこともあり、私の痛みもきっと妊娠して乳腺が発達し始めたからだろうなと、勝手に思いこんで安心していたんです。
でも、痛みはどんどん強くなる一方。夫には『そんなに痛いなら受診しなさいよ』って言われていたんですが、ちょうど保険組合の健康診断がまもなくというころだったので、『健診で相談してみるよ』と言って、1カ月くらいは受診せずにいました」(福田さん)
そして迎えた健康診断。乳腺エコーのときに、福田さんは「ここが痛いんです」と相談したそうです。すると、検査技師の方がじっくりと見てくれたそうなのですが…。
「エコーで診てくれていた方たちの雰囲気があまりよくなくて。その方だけでなく、医師を呼んできて、『これ、どう?』みたいな話をし始めたので、なんかやばいかも…みたいな雰囲気でした。妊娠中で通っている産婦人科があると伝えたら、『じゃあ、産科の先生宛てにエコーの結果をまとめるから、すぐに産科の先生に診てもらって』と言われて、渡された画像を持って、その足で産婦人科に行ったんです。
産科の先生が『どれどれ?』って見た途端、『うわ、これ大きいじゃんか!』とびっくりしていて…。『これは乳腺外科がある病院で診てもらったほうがいい、すぐに紹介状を書くから』って、紹介状を書いてもらい、近くの大きな病院を受診しました。
そこでは、乳房に針を刺して、組織の一部をとって検査をする針生検という検査をしたんですが、そのときに先生が『良性だと思う。がんの確率は高くないでしょう』と言っていたので、それを信じていたんですが…。
検査後、検査結果を聞きに来てくださいと言われていた日があったのですが、その日よりも早く病院から電話があり『なるべく早く、ご家族と一緒に、結果を聞きに来てください』とのこと。それでも私は、『良性だけど、妊娠中だから手術をどうするか、みたいな話なんだろうな』と思って、悪性を疑っていませんでした」(福田さん)
しかし、夫と実母と一緒に向かった病院で医師から告げられたのは、福田さんの想像とは違うものでした。
「医師には『残念ながら、がんでした』と、割とあっさりと言われましたね。しかも、進行の早いトリプルネガティブという乳がんで、2㎝くらいのがんが真横に2つ並んでいる、と。
その先生には2つの選択肢を伝えられ、『次の受診までにこれからどうするかを決めてきてほしい』と言われたんです。
1つ目の選択肢は、子どもを優先し出産後に治療を行うということ。ただ、進行の早いがんなので手遅れになる可能性が高く、その方法を選んだら子どもの成長を見ることはできないだろう、と言われました。
2つ目の選択肢は、子どもをあきらめてがん治療に専念するということ。ただし、この方法を選んだ場合、今後も子どもを持つことは難しいだろう、と。
突然のことすぎて、私はもう訳がわかりませんでした。当時(10年前)、妊婦に抗がん剤を使う治療というのはまだ臨床試験段階で、情報が少なかったこともありますが、この医師の見立てでは、おなかの中の子どもと一緒に暮らすという未来の選択肢はもらえなかったんです」(福田さん)
医師の見立てを聞き、夫も実母も福田さんに「子どもはあきらめて、自分の命を守る治療に専念してほしい」と伝えたそう。とくに、夫は、福田さんと同じタイプの乳がんを患った人のブログを調べても、途中で記述が終わっているか、亡くなった旨を家族が記しているかのどちらかで、完治した経験談を見つけられなかったと言い、とにかく治療をしてほしいと懇願したと言います。
それでも、福田さんはあきらめませんでした。
「夫と実母に子どもをあきらめるように言われても、私の中ではまだなんとかなるんじゃないかっていう気持ちがあったんです。とにかく進行性の早いがんだったので、時間はありませんでしたが、限られた時間で調べるだけ調べて。SNSを使って、私は今こういう状態なんだけど、何か情報ない?と呼びかけたりもしました。取れるだけセカンドオピニオンを取ってから今後を考えようと思っていたとき、1つのブログに出会ったんです。
私のがんとは違うタイプの違う乳がん経験者のブログだったんですが、その方も妊娠中に抗がん剤治療して出産されていて、治療の様子や病院のことを明るいマンガ仕立てで書かれていたんですね。
ブログには病院名も記述されていたので同じ病院にすぐ予約を取り、同時に話を聞いてくれる別の病院を含め、2つの施設からセカンドオピニンをとることにしました」(福田さん)
そして、訪れた2軒の病院。ここで、未来への希望が開けます。
「ほぼ同時にセカンドオピニオンの予約を取ったんですが、診察日の都合で、1軒目は自分で見つけた病院でした。
その病院の医師から『妊娠中でも使える抗がん剤はあります。出産できますよ』と言われたんです。ただ、治療法はあるんだけど、この病院は産科との連携が弱いので、産科との連携が強い病院に行ったほうがいい、と言われました。
そして、2軒目。ここは、ブログで見つけた方が治療して出産された病院です。この病院の診察室で初めて医師に会ったとき、医師は最初に『おめでとうございます!あなたは妊娠しているのよね。これから一緒に赤ちゃんを助けるために頑張っていかなければいけないんだけど、あなたはそれができますか?』と声をかけてくれて。私が『頑張ります!』と伝えると、『大丈夫! これから一緒に頑張りましょう』と言ってくれました。
がんがわかってからそれまで、本当につらいことばかりだったんです。だから、この先生の言葉で、本当に未来への希望の光が差したような気がして…。その先生が神様のように思えて、涙が出ました。
自分も赤ちゃんもあきらめなくていい、この先生と頑張ろう、助けてもらおうという一心でした。夫も、治療しながら妊娠を継続できると聞き、安心してくれたようです。夫は毎日の暮らしで悲壮感がでないように、なるべく普通にしていようと努めてくれました」(福田さん)
セカンドオピニオンのあと、すぐに転院を決めたという福田さん。転院後、安定期に入ったところで、抗がん剤治療がスタートします。抗がん剤治療はつらいものと聞きますが…。
「仕事を続けながら、週3回の抗がん剤の点滴を、妊娠8カ月まで3クール行いました。抗がん剤の治療中も吐きけがありましたが、私の場合は吐きづわりがものすごくひどかったんで、つわりのときのほうがよっぽどつらかったんです。抗がん剤治療では、吐きけ止めも一緒に使うのですが、抗がん剤の副作用を止める薬はすごく進化しているらしくて。吐きけ止めが使える分、私はつわりより抗がん剤治療を楽に感じたのかもしれません。
また、抗がん剤治療では脱毛してしまいましたが、ウィッグや帽子を使って、おしゃれを楽しむことを心がけていました。アパレル関係の職場だったので、服装もみんな自由で個性的。いろんなウィッグや帽子をかぶっていても、変に思われないんですよね。
ミニのワンピを着て、ウィッグかぶって、普通に仕事をしている私を見て、知らない人はきっと私ががん治療しているなんて思ってないだろうな、元気な妊婦だって思っているんだろうな、なんて考えていました」(福田さん)
帝王切開の手術直後に、がん手術!抗がん剤治療をしながら守ってきた小さな命を無事に出産
妊娠8カ月まで、抗がん剤治療を続けた福田さん。1カ月ほどの抗がん剤治療のお休みを経て、出産を迎えます。
「病院からは、出産の手術とがんの切除手術を合同で行うと言われました。妊娠37週に入ったところで、予定帝王切開で出産し、そのまま同じ手術台の上で、がん切除の手術をする、と。予定帝王切開の日までに陣痛が来ちゃったら、頑張って産んでから、手術するしかないね~と言われていましたが、とりあえず無事に予定帝王切開の日を迎えられました。
最初は部分麻酔をして、帝王切開で出産。生まれた息子を一瞬だけですが、見ることができました。『無事に生まれましたよ。じゃあ、次はがんの手術に入りますね』と言われて、先生たちがバトンタッチ。私も全身麻酔になり、がんの手術が始まりました。
幸い私の場合、妊娠中に行った抗がん剤がよく効いてくれて、がん細胞が画像では見えないくらい小さくなっていたので、がんがあった部分を切除するだけの手術でした。見た目にもあまりわからないくらいきれいに縫合をしてもらいました。時間もそんなにかからず、朝9時に帝王切開が始まって、午前中には手術が終了。病室に戻り、ようやくゆっくり赤ちゃんと対面することができたんです」(福田さん)
生まれてきた息子さんは、体重こそ約2500gと小さめだったものの、保育器にも入らず、元気なお子さんでした。無事に赤ちゃんを出産し、喜びいっぱいの福田さんでしたが、これで終わりではありません。産後は、これまでよりも強い抗がん剤を使いながら、新生児のお世話をするという怒涛の日々が始まるのです。
お話・写真・イラスト提供/福田ゆう子さん 取材・文/酒井有美、たまひよONLINE編集部
妊娠判明という喜びの時期に、進行性のがんが判明し、つらい日々を送った福田さん。でも、福田さんのあきらめない心が、治療をしながら妊娠を継続するという道を開き、無事に新しい命を生み出すことができました。インタビュー後編では、新生児育児と並行しながら行った産後の治療や現在の活動について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。
福田ゆう子さん (ふくだゆうこ)
PROFILE
1978年生まれ。静岡県出身。2013年、34歳で妊娠中に、若年性乳がんを患っていることが判明。妊娠を継続しながらがん治療を行い、出産。その後、自身の経験から、若年性がんのボランティア活動などに携わり、2017年SNSコミュニティ「PeerRing(ピアリング)」の創立に参画。2020年神奈川県がん患者団体連合会監事に就任。現在は、フリーライターとして活動しつつ、がん患者のサポート、小・中・高校などでのがん教育授業、患者支援・啓発などの活動を行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2024年10月現在のものです。