SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 赤ちゃん・育児
  3. 赤ちゃんの病気・トラブル
  4. 4歳の夏のある日、右腕を痛がり出した二男。整形外科でのX線写真には、広範囲に「白いもやもや」が【小児がん・骨肉腫】

4歳の夏のある日、右腕を痛がり出した二男。整形外科でのX線写真には、広範囲に「白いもやもや」が【小児がん・骨肉腫】

更新

15時間の手術後、自発呼吸が弱くICUで経過を観察しました。

9月は世界小児がん啓発月間です。世界中で、希少がんである小児がんへの理解と支援を広げるためのキャンペーンがさまざまに行われます。
舟山玲子さんの二男、真弘(まひろ)さん(21歳・大学3年生)は、4歳のときに右上腕骨骨肉腫(みぎじょうわんこつこつにくしゅ)と診断されました。抗がん剤治療と手術を受け、小学校2年生のとき温泉宿で卓球をしたのがきっかけで卓球に熱中。2024年のパリパラリンピックでは5位に入賞しました。
真弘さんが右腕を痛がるようになった4歳のときから現在までのことについて、母親の玲子さんに聞きました。全2回のインタビューの前編です。

接骨院で治してもらった後も、右腕を引っ張ると「痛い!!」と言う息子

真弘さんは舟山ファミリーの二男として誕生。妊娠・出産はとても順調でした。

玲子さんは職場で夫と知り合い、26歳で結婚。4年後に第1子の長男が生まれ、そして長男が2歳のとき2人目となる真弘さんが生まれました。2004年7月のことでした。

「長男は活発でじっとしていられないタイプで、二男の真弘はどちらかというと大人しく、1人遊びが大好き。よくミニカーを並べて遊んでいました。きょうだいで同じように育てているのに違うんだな、と思ったことを覚えています」(玲子さん)

真弘さんが4歳になった2008年8月下旬、親せきの人が真弘さんの両腕を持ち上げたとき、真弘さんは激しく痛がりました。

「親せきの結婚式に出席していたときのことでした。帰宅後もとても痛がるので、肩を脱臼したのかなと考えて、翌日、近所の接骨院を受診しました。ひじの関節が少しずれたようだという診断で、手技で治療してくれました。

ところがそのあと、手をつないでいるときに右腕を引っ張ると、『痛いっ!!』って言うんです。また、着替えのとき右腕をそでから出そうと引っ張ったら、『痛いって言っているでしょ!!』って真弘は怒りながら言いました。こんなに痛がるということは、治っていないのでは?と心配になりました」(玲子さん)

「右ひじから肩にかけて腫瘍が広がっている」と言われ、頭の中が真っ白に

3歳の真弘さん。自宅の前で遊んでいるところ。

約2週間後の9月中旬、子ども2人が通う幼稚園は、運動会後の振り替え休日でした。

「幼稚園が休みになるので、私と息子2人でお出かけする予定にしていました。ところが雨が降ってしまって、お出かけは中止に。いい機会だから、真弘を近所の整形外科で診てもらおうと思い立ち、長男も連れて3人で行きました。

先生に症状を話し、ひじのX線写真を撮りました。結果を待っていたら、『肩も撮りましょう』と言われ、再度検査室へ。そのあと、いつまでたっても呼ばれなくて、幼い息子たちは飽きてぐずり始めて困っていました。ようやく名前を呼ばれ、3人で診察室に入ったんです」(玲子さん)

「掲示されていたX線写真を見ると、右ひじから肩にかけて『白いもやもやしたもの』が全体的に広がっていた」と、玲子さんはそのときのことを振り返ります。

「先生はX線写真を示しながら、『このもやもやはすべて腫瘍です』って言うんです。『腫瘍』という言葉を聞いた途端、私の頭の中は真っ白になりました。疑問で混乱している状態です。
先生は『東京の大学病院に連絡済みだから至急受診してほしい。その際は夫も一緒に行ってほしい』と続けました。
腫瘍の影響で骨が弱くなっていて骨折寸前の状態のため、電車に乗せるのは非常に危険だから、できる限り車で受診してほしいという説明でした。この病院では、良性なのか悪性なのかという話は出なかったように記憶しています。

あとから知ったことなのですが、骨折をしてしまうと、がん細胞が体中に転移する危険性がありました」(玲子さん)

玲子さんは紹介された大学病院に持っていくX線写真などを渡され、子ども2人を連れて帰路に着きました。

「歩きながらどうにも我慢できなくなり、長男を抱きしめ、『真弘が大変な病気になっちゃった。どうしよう・・・』と言ってしまいました。今でもあのときのことを思い出すと、長男には申し訳ない気持ちでいっぱいになります。頭が混乱状態で、たった6歳の長男にすがってしまったんです」(玲子さん)

翌日は祝日で、大学病院には翌々日に行くことになりました。

「その日勤務だった夫に連絡がついたのは夕方になってからでした。その前に東京に住んでいる実母に電話して事情を説明。あさっては長男をみていてもらえないかとお願いしました。母はフルタイムで仕事をしていましたが、仕事を休んで、大宮のわが家に来てくれることになりました」(玲子さん)

「99%悪性の腫瘍で、予後が悪い」との診断

4歳のときの幼稚園の運動会。右手をあげて演技している真弘さん。骨肉腫を患っていることがわかる少し前です。

大学病院に行くまでの1日で、玲子さんは該当する病気のことをネットでたくさん調べたそうです。

「肩を痛がるなど真弘の症状から調べると、『骨肉腫』というものに行き着きました。骨肉腫という病名は知っていましたが、こんな小さな子どももなる病気だとは思ってもいませんでしたし、調べたネットの情報も、小児がんでも10歳以降に多いと書かれていました。でも、真弘の様子のさまざまなことが当てはまります。
真弘の骨にできている腫瘍は骨肉腫なんだと、ものすごい衝撃を受けました。なぜうちの子がそんな病気になるのかと、悲しくてつらくて絶望的な気持ちになりました。

でも、このとき悲しみにうちひしがれてしまったからか、翌日、大学病院に向かうときには覚悟ができていて、『99%悪性腫瘍です。骨肉腫だと思われます』と医師から告げられたときは、自分でも意外なほど冷静に受け止められました。とにかく少しでも早く治療を始めてほしい、そのことだけを考えていました」(玲子さん)

ところが、医師が次に告げたのは、玲子さんの願いに反するものでした。

「年齢が低すぎるので、この病院では治療ができないって言うんです。そして小児の腫瘍に強いという日本大学医学部附属板橋病院(以下、日大板橋病院)を紹介されました。
悪性腫瘍と言われた以上、一刻も早く治療してほしい、頭の中にはそれしかありません。今すぐにでも受診したい気持ちをこらえ、翌日、夫と真弘の3人で日大板橋病院に行きました」(玲子さん)

しかし日大板橋病院の医師からも、厳しいことを告げられます。

「年齢が低すぎて、そして腫瘍が大きすぎることなどから、治療を行っても予後は極めて悪いとの診断でした。さらに、この病院でも治療は厳しいという話が出たんです。ネットで調べて『骨肉腫』に行き当たったところから、そして99%悪性の腫瘍と言われたので、少しでも早い治療が必要だと強く感じていました。
『もうこれ以上ほかの病院を回る時間的な余裕はないんです。どうかこちらで診てください』と懇願しました。先生方は承諾してくださり、ベッドの空きが出る1週間後に入院することに。9月下旬のことです」(玲子さん)

日大板橋病院では当時、未就学児は24時間保護者が付き添う必要がありました。そのため、玲子さんは病院に泊まり込むことになりました。

「最初の大学病院に行った日からずっと、母はわが家で長男の面倒をみてくれていました。日大板橋病院で真弘の治療について相談してからの帰宅後、1週間後から長期入院することになり、私は付き添いで病院に泊まり込むことになると母に話しました。すると母は、その場で勤め先に電話し、退職させてほしいとお願いしてくれたんです。母はわが家で長男の世話を続けてくれることになりました。
入院までの1週間は、長男の幼稚園のことや身のまわりのことなど、家事と育児のすべてを母に託すために、必死に引き継ぎをしたことを覚えています。

真弘の入院は1年2カ月に及びましたが、実家の父はその間、実家で1人で暮らしになりました。母と父の協力がなかったら、長男の世話をしながら入院生活を乗り切ることはできなかったと思います」(玲子さん)

ひじから下を残す難しい手術を行うことに。でも肩から切断する可能性もあると

手術を受ける前の真弘さん。病院でクリスマスを迎えました。

入院後、日大板橋病院で生検を行い、「右上腕骨骨肉腫」と確定診断されました。

「抗がん剤で腫瘍を小さくしたあと、手術で腫瘍を取り除くという段取りになると説明を受けました。
真弘の腫瘍は、肩関節だけではなく右ひじの手前まであり、上腕の筋肉全体に広がっている状態でした。このようなケースでは、肩から切断するのが通常の選択となっていたそうです。しかし、真弘の主治医の考えは違っていました。手のひらがあるのとないのとでは、これから先の生活に大きな違いが出るというのです。
そのため、右肩関節、右上腕骨、そのまわりの筋肉と多少の血管を切除して、右脚の腓骨(ひこつ)と血管を移植し、ひじから先を残す手術をする、と説明されました。

でも、とても難しい手術になるので、チャレンジしてみて不可能と判断したら、手術中に肩から切断する方法に切り替える、とも言われました。
腫瘍を取り除くことが何よりも重要ですが、これから先の真弘の不自由さが減らせるなら減らしたい。難しい手術にチャレンジしてくれようとする主治医に、感謝の気持ちでいっぱいになりました」(玲子さん)

まず、抗がん剤治療が始まりました。

「予想はしていましたが、抗がん剤治療はかなり過酷でした。点滴を始めると1~2時間で吐き始め、何も食べられなくなります。でも真弘は既定の治療を耐え抜きました。そしていよいよ、手術を受ける日がやって来ました」(玲子さん)

真弘さんが手術を受けたのは1月下旬、入院して4カ月後のこと。それは15時間にも及ぶ大手術でした。

【真弘さんより】退院後も数年間は黄色を見るだけで吐きけがするほど、黄色い点滴はつらかった

手術後の容態が落ち着き、ベッドの上でゲームを楽しんでいる真弘さん。

入院したときは4歳でしたが、「イトリゾール」という薬がおいしくなかったことは、今も鮮明に覚えています。また、名前は覚えていない真っ黄色の点滴を打たれると、すごく気分が悪くなりました。退院後も数年間は、黄色を見ると吐きけがするほどつらい経験でした。
でも、入院生活には楽しいこともありました。付き添っている保護者の人たちと 看護師さんたちが協力して、クリスマスパーティーやハロウィンパーティーを企画してくれ、皆で仮装をして遊んだことを覚えています。長期入院中の子どもにとっては、病院が家庭のようなもの。調子がいいときに同じ病室の子とゲームを楽しむのも、家で友だちと遊んでいるような感覚でした。

【平井先生より】近年は幼児期の骨肉腫の予後も改善傾向に。患者さんに必要なすべての診療科が協力して治療します

骨肉腫は主に10代に発症する骨の悪性腫瘍で、真弘くんのように幼児期に発症することは非常にまれです。患部の痛みが主な症状で、なかなか治らないため病院を受診し、レントゲン検査で発見されることが多いです。中には骨折をして見つかることもあります。幼児期に発症する骨肉腫は、10代発症の骨肉腫と比べて予後が悪いと報告されていますが、真弘くんが入院した当時と比べると、近年は改善傾向にあります。

骨肉腫の標準的治療は、外科的切除と術前・術後の化学療法を組み合わせて行います。骨肉腫は手術で腫瘍の完全切除ができたかどうかが予後を左右するため、真弘くんのように患肢が温存できるか切断になるかの判断は重要で、整形外科との密な連携が必要です。このように、小児がんでは集学的治療といって、小児科だけでなく患者さんに必要なすべての診療科で協力して治療を行います。

お話・写真提供/舟山玲子さん・真弘さん 写真提供/Butterfly 監修/平井麻衣子先生 取材協力/公益財団法人ゴールドリボン・ネットワーク 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

「右腕を痛がる原因が骨肉腫だったとは考えもしなかった」と言う玲子さん。「予後は悪い」と最初に医師に告げられての治療スタートでしたが、玲子さんはよくなることを信じて真弘さんを支え続けました。
インタビューの後編は、手術後のことや退院後の生活、卓球との出合いなどについてです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

舟山真弘さん(ふなやままひろ)

(写真提供/Butterfly)

PROFILE
2004年7月生まれ(21歳・大学3年生)。4歳のとき小児がんの一種「右上腕骨骨肉腫」となり、右腕の肩関節と上腕骨を切除し、足の細い骨を移植。小学校2年生のとき熱海の旅館で卓球と出合い、6年生のときに埼玉県のパラ卓球強化指定選手に。現在は早稲田大学卓球部に所属。2024年パリパラリンピック男子シングルス5位入賞。2028年ロサンゼルスパラリンピックでの金メダル獲得を目指している。

パラ卓球舟山真弘後援会のHP

平井麻衣子先生(ひらいまいこ)

PROFILE
日本大学医学部卒業。医学博士。赤羽中央総合病院小児科 部長。日本大学医学部附属板橋病院小児科 兼任講師・臨床准教授。専門分野は小児血液腫瘍、一般小児。小児科学会専門医・指導医。小児血液がん専門医・指導医。日本血液学会専門医・指導医。がん治療認定医。造血細胞移植認定医。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。

赤ちゃん・育児の人気記事ランキング
関連記事
赤ちゃん・育児の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。