妊娠28週で生まれた男の子の三つ子。「ほかの2人よりはいはいが遅い!?」と感じていた二男に病気の診断が【脳室周囲白質軟化症】
神奈川県在住の関澤なつきさんは、夫の亮さんと、8歳の三つ子の男の子たちと暮らす5人家族です。なつきさんは結婚1年目に3人の息子たちを授かりました。多胎というハイリスクの妊娠・出産を経て、二男の陽斗くんがほかの2人より発達がゆっくりなことが気になり始めたのは1歳半ごろのこと。そして陽斗くんは2歳のときに脳室周囲白質軟化症(のうしつしゅういはくしつなんかしょう)による脳性まひと診断されます。
なつきさんに、三つ子の妊娠・出産のこと、二男の病気のことを聞きました。全2回のインタビューの前編です。
待望の赤ちゃんは、まさかの三つ子!
なつきさんは、入社してまもなく会社が開催したバス旅行で、同僚の亮さんと知り合いました。亮さんの誠実な人柄にひかれ、なつきさんから食事に誘い交際がスタート、2人は2年後に結婚します。
「結婚するころから、夫とは『早く子どもがほしいね』と話していました。ただ、私が結婚式の準備のストレスで体重が激減し、生理が止まってしまったんです。その治療のために、不妊治療クリニックで排卵誘発剤を使った薬を服用し始めたら、まもなく妊娠しました。
クリニックの診察で『双子、もしかするともう1人いるかもしれないので来週また来てください』と言われ、翌週の診察で三つ子だと判明しました。子どもがほしいとは思っていたけれど、まさか三つ子を妊娠するとは! 喜びよりも、驚きと不安でいっぱいでした。動揺して泣きながら夫に電話すると、会食中だった夫は急いで帰宅して話を聞いてくれました。三つ子の妊娠について調べてみると、早産のリスクなどがあることがわかり、さらに不安になりました」(なつきさん)
多胎妊娠はNICU(新生児集中治療室)のある病院でしか対応できないということで、紹介を受けて都内の病院に転院することになったなつきさん。“自分の妊娠によって仕事に影響が出ることへの不安が大きかった”と言います。
「妊娠初期だった2016年末、勤務中に突然ひどい腹痛に襲われました。ちょうど夫が社内にいたので付き添ってもらい、出産予定の病院を受診することに。幸いにも会社が病院の近くだったんです。診察の結果、子宮頸管が非常に短くなって切迫早産のリスクがあるため『自宅安静』との指示が出て、数週間会社を休まなくてはならなくなりました。
さらに年明けには、切迫早産を予防するために子宮口を糸で縛るシロッカー手術を受ける必要があり、数日間入院することに。会社には、後任者を早めに決めてもらったり、時短勤務を認めてもらったりと配慮してもらったのですが、『育休後、この職場に復帰できるのか』と不安が募り、体調の管理だけでなく精神的にも大きな負担を抱えながら仕事を続けていました」(なつきさん)
妊娠28週で、急激におなかに強い痛みが
仕事が多忙な中、おなかが張らないようにと体調管理に細心の注意を払って過ごしていたなつきさん。妊娠6カ月を迎えた2017年2月から産休に入りました。
「妊婦健診では、医師から『早産のリスクが非常に高いため、できる限り赤ちゃんの肺が完成に近くなる32週までは妊娠を継続させたい』と言われ、できるだけ安静に過ごしていました。ですが、妊娠後期に入る少し前からおなかが張ることが多くなり、4月から管理入院になりました。
管理入院中は24時間張り止めの点滴をする治療方針だったのですが、点滴が私の体質に合わず、やむなく錠剤の張り止めを飲んでいました」(なつきさん)
管理入院中の病院で妊娠28週を過ぎたある日、なつきさんは急激な腹痛に襲われます。
「病院の昼食を食べ終わったあと、今までに経験したことのないような強い痛みがあり、ナースコールで看護師さんを呼んで先生に診てもらいました。おなかの痛みは陣痛だったようです。いったん、張り止めの点滴をして陣痛は治まったのですが、もう、もたない、との判断で、翌日に帝王切開出産することになりました」(なつきさん)
「私に育てられるのか・・・」産後は不安ばかりだった
その病院では帝王切開出産でも家族の立ち会いが可能だったため、亮さんも手術室で出産の様子を見守りました。
「下半身麻酔だったので意識はありましたが、私は眼が悪く手術室に眼鏡を持ち込まなかったので、取り上げられた赤ちゃんも何も見えず状況がまったくわかりませんでした。
立ち会った夫の話では、手術室には医師や看護師、実習生などたくさんの人がいたそうです。三つ子の場合はそれぞれに新生児科の医師がついてくれるから、ということもあったようです。
もうろうとしてあまり記憶もないんですが、『3人とも男の子ですよ!』と言われたことは覚えています。妊婦健診で男の子3人だとわかっていたけれど、『もしかしたら1人女の子だったりして・・・』と考えていたんですが、みんな『男の子!』でした(笑)。3人の体重は、長男は1038g、二男は1042g、三男は900g。とても小さくはありましたが、無事に生まれてくれて少しほっとしました」(なつきさん)
出産翌日、なつきさん夫婦はNICUに入院した三つ子たちの健康状態について医師から説明を受けます。
「3人とも『新生児呼吸窮迫症候群(しんせいじこきゅうきゅうはくしょうこうぐん)』と診断されました。小さく生まれたために肺が未成熟で呼吸がうまくできない状態とのことで、人工呼吸器のマスクをつけていました。さらに、二男と三男には『動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)』があるとの説明も。動脈管開存症は、おなかの中で開いている肺動脈と大動脈をつなぐ血管(動脈管)が、生まれた後も閉鎖せず開いたままの状態になる病気だそうです。
また、早産の子は脳内出血の可能性があるため、注意深く経過を見ていく必要があると説明されました。
とても小さい3人の赤ちゃんに面会するたびに、『私にこの子たちを育てられるのか・・・』と不安になりました。また、出産翌日からは3時間おきの搾乳も始まったのですが、3人分には全然たりなくて・・・産後入院中はベッドでずっと搾乳していて、それも精神的にかなり負担でした。そんなとき、夫が『この子たちなら、きっと大丈夫!』と前向きな言葉をかけ続けてくれ、夫の言葉に支えられていたと思います」(なつきさん)
二男だけ様子が違う・・・検査で脳室周囲白質軟化症と診断
三つ子たちはNICUに約2カ月、GCU(回復治療室)に約1カ月入院。その間に少しずつ成長して肺の状態も落ち着き、二男と三男の『動脈管開存症』も投薬治療で改善しました。退院時には医療的ケアも必要なく、帰宅後はゆっくりのペースで成長していきました。
「三つ子を夫婦2人で育てるより、実家の手を借りたほうがいい、と夫と相談し、退院後しばらくは私の実家がある茨城で暮らすことにしました。産後1年ほどで私も仕事に復帰し、三つ子たちは保育園に入園。バタバタしてあまり記憶もないくらい忙しい日々でしたが、両親の手を借りてなんとか育児していました」(なつきさん)
しかし1歳半を過ぎるころから、なつきさんは二男の発達にほかの2人との違いを感じるようになります。
「3人は妊娠28週で生まれたので、ある程度の発達のゆっくりさは想定していましたし、あせりもありませんでした。ただ、二男だけがほかの2人と少し様子が違ったんです。はいはいのしかたが少しぎこちないことや、抱き上げたときにいつも脚がクロスしていることも気になっていました。さらに1歳半を過ぎて長男と三男が歩き始めても、二男だけはなかなか歩けるようになりませんでした。同じ28週で生まれた長男と三男よりもさらにゆっくりなことが気になっていました。
そこで3人のフォローアップに通っていた病院で相談し、MRI検査をすると、その結果『脳室周囲白質軟化症(のうしつしゅういはくしつなんかしょう)』と診断されました。脳室周囲白質軟化症は、赤ちゃんが小さく生まれたときなどに、脳の血管が未熟なことから、運動神経の集まる脳の『白質』への血流が低下して起こるもので、脳性まひや運動発達の遅れなどの運動機能障害を起こすのだそうです」(なつきさん)
その診断を受け、当時2歳だった陽斗くんは、治療のためのボトックス注射と1〜2週に1回の理学療法のリハビリを開始しました。
「陽斗は脳室周囲白質軟化症の影響で、痙性(けいせい)まひといって脚の筋肉が常に緊張してかたくなる症状があったため、2歳を過ぎても自力で歩くことが難しい状態でした。だれかと手をつなげば歩けはしましたが、脚の筋緊張が強く、かかとが浮くような歩き方をしていました。
診断後、定期的に受けていたボトックス治療は、神経の信号をブロックして筋肉を一時的にリラックスさせる治療です。ボトックスを打った直後は筋肉がリラックスして、かかとが地面につきやすくなり、歩きやすくなるようでした。ただ、注射がかなり痛いようで、毎回大泣きする様子を見るのはとてもつらかったです」(なつきさん)
【井原 哲先生より】在胎32週以下で生まれた赤ちゃんの場合、脳の障害を避けられないことがある
日本の新生児医療のレベルは世界でもトップレベルです。そのおかげで関澤さんのように多胎、早期産で生まれた赤ちゃんも救命できることが多くなっています。日本の高い医療水準をもってしても、とくに在胎32週以下で生まれた赤ちゃんの場合には、脳室周囲白質軟化症という脳性まひの原因となる脳の障害を避けられないことがあります。脳性まひの症状は下肢に現われやすく、陽斗くんようにかかとが浮いてしまう痙性が特徴的です。
お話・写真提供/関澤なつきさん 監修/井原 哲先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
思いもかけない三つ子の妊娠に、育てられるか不安に感じたことなどを言葉にしてくれたなつきさん。実家の両親のサポートも受けながら職場復帰もし育児にも向き合う中、2歳で二男が脳性まひと診断されました。
後編では、ドナルドマクドナルドハウスを利用しての二男の脳性麻まひの治療について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
井原 哲先生(いはらさとし)

ドナルド・マクドナルド・ハウス ふちゅう
病気と向き合う子どもとその家族を支える滞在施設「ドナルド・マクドナルド・ハウス」は、全国に12施設あり、いずれも小児病院のすぐ近くに位置していて1日1人1000円で利用することができます。
ふちゅうハウスは東京都立小児医療センターの隣接地にあり、12家族が滞在可能。運営はすべて寄付・募金とボランティアの活動によって支えられています。詳細は財団ホームページから確認できます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。