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生後20日にわかった心臓病。 眠っている息子を見て「もう目が覚めないかも・・・」と不安になったことも【先天性心疾患】

更新

生後5日の元康さん。

難病のある子どもとその家族を支援する認定NPO法人ラ・ファミリエの副理事長および愛媛県心臓病の子どもを守る会事務局を務める、塩見光恵さん(57歳)には、2人の子どもがいます。長男・元康さん(31歳)は、生まれてすぐに心臓に異常が見つかり、完全大血管転位症(かんぜんだいけっかんてんいしょう)と診断されました。
日本小児循環器学会の情報によると、完全大血管転位症とは、大動脈と肺動脈の位置が完全に逆になっている病気。先天性心疾患の1.8%にあたり、約5000人に1人の頻度で起こります。

元康さんが生まれたときのことや、完全大血管転位症と診断されたときのことについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。

妊婦健診では何も言われず、元気な産声も聞こえたのに

生後3日。搾乳して届けた母乳を飲んでいるところ。

元康さんが生まれたのは、1994年6月。妊婦健診では、赤ちゃんの心臓のことは何も言われていなかったと塩見さんは言います。

――元康さんの妊娠経過や出産について教えてください。

塩見さん(以下敬称略) 妊婦健診は、自宅近くの総合病院で受けていました。2歳上の長女も、その病院で出産しています。
妊娠8カ月のときに切迫早産と診断されて1カ月ほど入院しましたが、その後の妊婦健診でも、赤ちゃんの心臓に何かあるとは言われませんでした。

元康は、妊娠39週で経腟分娩で生まれました。出生体重は3346g、身長は50cm。長女は初産で丸1日かかって出産したのですが、元康は5時間40分で生まれました。元気な産声も聞こえて、ほっとひと安心しました。「2人目だから早いな~」とも思いました。

心雑音があり、出産の翌朝、急きょ大学病院に搬送

生後13日の元康さんに授乳するママ・パパ。

元気な男の子が生まれて、ほっとひと安心していた塩見さん。しかし翌朝、事態が急変します。

――元康さんの心臓に異常が見つかったのはいつごろでしょうか。

塩見 生まれて間もなくです。元康が生まれたのは夜8時半ごろで、産院に来てくれた夫や長女、夫と私の両親は「母子ともに元気だから」と安心して帰って行きました。

私は、産後すぐだったのでナースセンターの前にある回復室で横になっていました。すると翌朝、ナースセンターから「塩見ベビーが・・・」という会話が聞こえてきました。会話の内容は聞き取れないのですが、「塩見ベビーが」というフレーズが何回か出てきて、「何があったんだろう・・・」と不安でした。

その後、すぐに夫が呼ばれて、医師から「赤ちゃんに心雑音がある。どこかの血管が細いようだから、大学病院に搬送します」と言われて、元康は救急車で大学病院に搬送されました。私は産後すぐで付き添うことができず、夫が自分で車を運転して救急車の後を追って大学病院まで行きました。

――大学病院で、すぐに完全大血管転位症と診断されたのでしょうか。

塩見 大学病院では重症部屋に入院して、心エコー検査をしたりしましたが、生後20日で行った心臓カテーテル検査で、完全大血管転位症と診断されました。
完全大血管転位症には、3つの型があり、元康は肺動脈が細い特徴があるIII型と言われました。
医師からは「III型は手術をそんなに急ぐ必要はない」と説明されました。また生まれつき心臓に異常な電気刺激回路があり、不整脈を引き起こすWPW症候群と、憎帽弁騎乗(そうぼうべんきじょう)といって心臓の左心房と左心室の間にある弁に異常があることもわかりました。

私が大学病院に入院する元康のもとに通えるようになったのは、産後1週間ぐらい経ってからです。それまでは夫が、元康と私の病室を行き来して、搾乳した母乳を元康のもとに届けてくれたりしていました。

夫は、もしかしたら医師からいろいろと聞いていたのかもしれませんが、私には心配をかけないように病気の話はせずに、「今日は沐浴をしたよ」「搾乳した母乳を〇mL飲んだよ」と、元康の様子を教えてくれました。夫の気づかいには、今でも感謝しています。

「チアノーゼが強く出るから、なるべく泣かせないように」と医師に言われる

1歳9カ月の元康さん。おすわりやつかまり立ちなど、発達は順調。

元康さんは、大学病院に40日間入院。生後1カ月になってから自宅に戻りました。

――退院後の生活について教えてください。

塩見 退院時、医師に言われたのは、チアノーゼが強く出やすいから、なるべく泣かせないようにということです。完全大血管転位症は、心臓の中で動脈血と静脈血が混ざり、酸素が少ない静脈血が体に流れることで、チアノーゼが出るのです。
なるべく泣かせないように、私もよく抱っこをしていましたが、夫は本当によく抱っこしていました。元康が6歳ぐらいまで抱っこしていた記憶があります。

もう1つ心配だったのは授乳量です。長女は、赤ちゃんのころは完全母乳でしたが、成長に従い、飲む量も順調に増えて、すくすく成長しました。
しかし、元康は心疾患があるため、飲む力が弱いんです。入院中、搾乳して元康に母乳を届けていたのですが、ショックからか、吸ってくれないからかだんだん母乳が出なくなり、生後3カ月ごろからは完全ミルクで元康を育てました。元康は100mLのミルクを飲むのにも、とにかく時間がかかりました。途中で疲れて寝てしまうこともありました。泣くとチアノーゼが強く出るし、元康が眠るとこのまま目を覚まさないのではないか・・・と不安でいっぱいでした。

――上の子のお世話は、どうしていましたか。

塩見 元康が退院したとき、長女は2歳になったばかりでした。元康を泣かせてはいけないという点から、上の子は急きょ保育園に入園させました。保育園に娘を送迎するとき、夫の母が毎朝家に来てくれました。母のサポートは心強かったです。

――当時はネット環境が今のようではなかったと思います。病気のことはどのように調べたのでしょうか。

塩見 医師からは心臓の絵を見せられながら説明されましたが、もっと病気のことが知りたくて、私が住む県内で一番大きい書店に行き、完全大血管転位症について書かれている本を探しました。当時はネット情報やSNSなどがなかったので、自分で調べる手段は本ぐらいしかありません。でも、一般の書籍が置かれているフロアにはなくて・・・。医学書が並ぶフロアに行って、やっと見つけました。医学書が並ぶフロアでないと見つけられないような病気なんだ・・・と思い、改めて大変な病気だと実感しました。

さらに病気に関する情報がほしくて、保健所に電話をして患者会を紹介してもらいました。元康が生後6カ月のときに、「全国心臓病の子どもを守る会」に入会しました。活動に参加して、元康よりも年上の子どもたちが元気に遊ぶ姿を見たりすると、「元康も、こんなふうに大きくなれるのかも・・・」と勇気と希望をもらいました。

お話・写真提供/塩見光恵さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む <関連記事>後編

日本小児循環器学会の情報によると、完全大血管転位症は、最近では赤ちゃんが生まれる前のエコー検査で見つかることも多く、心臓の治療が可能な専門病院で出産することで、生まれてすぐに治療ができることが増えてきたそうです。

後編は、1歳6カ月で受けたフォンタン手術のことや元康さんの成長、塩見さんが副理事長を務める、認定NPO法人ラ・ファミリエの活動について紹介します。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

塩見光恵(しおみみつえ)さん

PROFILE
愛媛県在住、2人の子の母。長男が先天性心疾患とわかり、生後6カ月で「全国心臓病の子どもを守る会」に入会。愛媛県支部の事務局を長年務め、患者家族同士の交流を深めている。小児慢性特定疾病児童等自立支援事業等を行う「認定NPO法人ラ・ファミリエ」の副理事長を務める。病気を乗り越え成長し、社会的に自立していけるよう患者家族に寄り添い、支援が早い段階で届くように活動している。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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