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小児リウマチだった岸谷蘭丸。具合の悪さを言葉にできず入院が決まると「人生の終わり」と感じた。病気とともに生きる子どもたちへの思いとは 

更新

岸谷蘭丸さん。

SNSでの発信やコメンテーターとして人気を集めている実業家・インフルエンサーの岸谷蘭丸さん。3歳で小児リウマチを発症した蘭丸さんは、幼少期から常に痛みや不調を抱え入院を繰り返していたと言います。2025年9月、長期にわたり入院や治療をする子どもたちに、アートを通して社会とつながる体験を届けるプロジェクト『WonderMeta(ワンダーメタ)』の公式アンバサダーに就任した蘭丸さんに、周囲に理解されにくい“病気の子どもの思い”について聞きました。全2回のインタビューの前編です。

薬は苦手。絶対に飲みたくなかった

乳幼児期の蘭丸さん。

――蘭丸さんは3歳で小児リウマチ(若年性特発性関節炎/※1)を発症し、障害者手帳も持っていたとのこと。当時、どんなふうに体調が悪かったか覚えていますか?

蘭丸さん(以下敬称略) 病気の症状がいちばんひどかったのは4歳〜6歳くらいです。どこがどう悪かったか、痛かったかを具体的に説明するのは難しいですが、ずっと体調が悪いという感覚はありました。ただ、物心ついたときから体調が悪い状態だったので、それが当たり前のように思えるというか、「おかしいな」っていう感覚をうまく伝えられないのが大変だったように記憶しています。

親やまわりの大人からは「この子はすぐ泣く」「だらだらしている」と受け取られて怒られたこともありました。今思うと具合が悪かっただけなんですけど、それを伝えられないのはしんどかった・・・。

子どもの病気は、子ども自身が「伝えられない」難しさがあります。親やまわりの大人も、イヤイヤ期なのか本当に具合が悪いのか判断が難しいですよね。助けてあげたいのにどうしたらいいかわからない、という状況はよくあるんじゃないでしょうか。

――よくわからずに泣いたり体調が悪そうだったりすると、家族も心配したのではないでしょうか?

蘭丸 小児リウマチのような病気って、外見ではわかりにくいし、子どももどこがどう痛いのか、違和感があるのかなどを伝えられないというのが難しいところだと思います。僕も診断されるまでの1年くらいは原因がわからず、親が僕を連れていろんな病院を回っていたそうです。

親にとって僕が初めての子どもで、初めての子育てで、原因がわからない病気への対応も初めてだったと思うから、必死で受診を繰り返していたんじゃないかと思います。

――薬を飲むのが大変だったような記憶はありますか?

蘭丸 薬は苦手で、小さいころは絶対に飲みたくなかったです。毎日かなり時間がかかって苦労してやっと飲んでいました。甘い乳酸菌飲料に混ぜたりいろんな方法で飲んでいた記憶はあります。味が嫌というより、薬を飲む行為自体が嫌で、めちゃくちゃ抵抗したのを覚えています。

今思うと、本人より親やまわりが大変だったと思います。「体が痛いから薬を飲もう」と言われても、子どもは理解できないですよね。でも、周囲の努力のおかげで、気づいたら薬を飲むのがかなり得意になっていました。

――自分よりもまわりが大変だなと感じたのはいつごろですか。

蘭丸 小さいころから何となく感じていたとは思います。当時は自分も必死で、まわりを気づかう余裕はあったとは思えないけれど、子どもって意外と親の様子を察するところがある気がします。親が大変そうだなと感じると、しんどくても気丈に振る舞ったり、必要以上に「大丈夫だよ」と言ったりしていました。いつから、というより自然とそうなっていった感じです。子どもは意外とセンシティブにまわりの感情みたいなものをくみ取ってると思いますよ。

※1:16歳未満で発症し、6週間以上持続する原因不明の慢性の関節炎。免疫系の異常と考えられ、関節の痛みや腫れ、こわばりなどの症状がある。

「入院しよう」の言葉に絶望した

幼少期の蘭丸さん。

――幼少期は入退院を繰り返していたそうですが、家族と離れて入院することをどんなふうに感じていましたか。

蘭丸 “寂しい”のひと言ですね。入院が決まる瞬間がいちばん嫌でした。体調が悪くなって受診して、先生から「また入院しようか」と言われると、「終わったな、人生の終わりだ」と思っていました。僕の場合は入院は長期に続くものではなく、3~4日間の入院を何度も繰り返す形でしたが、3~4日間でも子どもにとっては非常に長く感じるものです。

4~6歳くらいのころは入退院を繰り返す日々で幼稚園にもほとんど通えず、4分の1くらいしか登園できなかったと思います。

――病室での過ごし方はどうでしたか?

蘭丸 やることがなくて、寝るか本を読むか・・・。ごはんを食べて、また寝て、面会時間に親と少し遊ぶくらいでした。ポータブルゲーム機は、親が面会に来る時間に少しだけ遊ぶことができたので、ポケモンとかで遊んでいたと思います。

でも基本的に体の回復が第1なので、病室でゲームで遊ぶのはダメでした。遊ぶことで体力も消耗しますしね。今なら納得できますけど、やることがなくて本当にヒマでした。でもそのおかげで本をたくさん読むようになったので、今の自分にとってプラスになることもあったと思います。

――どんな本を読んでいましたか?

蘭丸 幼児期は『はらぺこあおむし』『たんたのたんてい』から始まって、小学校に入ってからは青い鳥文庫や『マジック・ツリーハウス』シリーズをよく読みました。

――読書以外に絵を描いたりもしていたとか?

蘭丸 そうです。色鉛筆や絵の具で画用紙に絵を描いていました。短期入院が多かったですし、何もない病室で具合が悪い中でできることは読書とか絵を描くこととかでした。

――病室で過ごす子どもたちに、どんな環境があるといいと思いますか。

蘭丸 病状や年齢によりますが、気晴らしになるものがあるといいと思います。やっぱり「入院しようね」と言われたときのショックが大きいと思うので、映画が見られるとか、なにかイベントがあるとか、せめて楽しみになるものがあれば入院のショックが少しやわらぐんじゃないかな。

でも小児科の先生方も、子どもが好きなキャラクターを飾ったり、いろんな工夫をしてくれていました。病気で長期入院や入退院を繰り返す子どもたちが安心して過ごせる環境をつくれるように、小児科にこそもっと国や自治体からの予算がついてほしいと思います。

「健康な体ってこういうものなんだ!」

小学校の制服を着て撮影。入学前の蘭丸さん。

――蘭丸さんの小児リウマチは、9歳で新薬の治験に参加して10歳で寛解したそうです。そのときの感覚は覚えていますか?

蘭丸 9歳から治験で月1回注射を打ち始めました。だんだんよくなっていくというより、突然治った感じでした。注射を打った次の日には痛みを全然感じなくて、体が軽くなって「あ、治ったんだ」という感覚です。

新薬の治験に参加するまで週2回の注射治療もしていましたが、僕には合わない薬でなかなかよくならなかったんです。9歳からの新しい薬は僕に合っていて、まるで世界が変わって見えたし、ふっと重力が軽くなったような感じ。3歳からずっと具合が悪い人生だったので、「健康な体ってこういうものなんだ」って初めてわかった気がします。

――10歳で寛解したあとは、もう治療は必要なくなったのでしょうか?

蘭丸 僕の場合は10歳以降、治療はまったくしていませんし、特別な薬を飲むこともありませんでした。ただ体質の問題なのか、感染症にかかりやすいとか、熱を出しやすいという程度のことはあって、ちょっと体が弱い子という感じで生活してきました。

――体が元気になってチャレンジしてみたいと思ったことはありましたか?

蘭丸 それが意外とないんです。親からは病気が寛解する前から「病気だからできないよ」「病気だからダメだよ」と制限されたことがなくて、いろんなことやらせてもらっていたんです。だから体が元気になったときは、純粋に「うれしいな」という気持ちでした。

――現在も病気と向き合っている子どもたちはいます。そんな子どもたちのことについて社会に知ってほしいことはありますか?

蘭丸 小児慢性特定疾病は、現在約800もの病気があって、その病気がある子どもは約12万人と言われています。19歳までの子どものおよそ160人に1人らしくて、意外と人数が多いんですよね。外から見てわかる病気もありますが、外からはわからない病気も多いです。僕のケースを公表するのは、「いろんな子どもの病気があるんだな」と興味本位でもいいから知ってもらいたいからです。

たとえば街でぐずっている子どもを見かけたとき、少し様子が気になる子に出会ったとき、「わがままだな」と思うのではなく、「あの子、体調が悪いのかな、痛いところがあるのかな?」と脳裏に一瞬よぎるだけでも、その子や親への接し方が変わると思うし、見守れるようになる気がします。やっぱり、子どもは社会から守られるべき存在だと思うんです。

道ですれ違う人がどんな病気や障害を抱えているかはわからないけれど、だれしも外から見えないつらさがありますよね。だから月並みかもしれませんが、他人をリスペクトし合えたらいいな、と。病気だから優遇を求めるのではなく、だれにとっても生きやすい社会であるといいと思います。

お話・写真提供/岸谷蘭丸さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

取材時「蘭丸」という名前の由来について聞くと「深い意味はなく響きがよくて母が名づけた」と話してくれました。「丸、を使いたかったみたいです。少し変わっていて人から覚えてもらいやすい名前で、メディアでも活動しやすい。名づけられた側としてはラッキーでした」だそうです。

岸谷蘭丸さん(きしたにらんまる)

2001年生まれ。幼少期に小児リウマチを発症、10歳で寛解。高校でのアメリカ留学を経て、イタリア・ボッコーニ大学在学。現在はインフルエンサー・実業家として幅広く活躍。海外トップ大学受験・英語資格試験対策の専門「MMBH留学」代表。

WonderMeta(ワンダーメタ)

WonderMetaは、小児科医、教育学研究者、長期入院児を支援するNPO法人代表などが連携して立ち上げたチーム。小児がんをはじめとする小児慢性特定疾病と向き合う子どもたちが、病室や自宅で制作したアート作品を、インターネット上の仮想空間「メタバース」で展示するほか、地域イベントなどと連動して実際の会場でも展示。子どもたちの創造力と社会とのつながりを育む活動を続けている。

WonderMeta美術館

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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