妊娠34週目に、胎児の太ももの骨が短いと診断。「元気に育っていると信じていたのに・・・」【軟骨無形成症】
鈴木伊津子さんの二男、大翔(ひろと)くん11歳(小学校6年生)は、出産後の検査で軟骨無形成症(なんこつむけいせいしょう)と診断されました。軟骨無形成症とは、骨が成長するためのメカニズムの一部がうまく作用しないことで、低身長、腕や足・指が短いなどの特徴が現れる疾患で、健康な両親より誕生する割合が、出生2万人あたり1人くらいの病気といわれます。
大翔くんの妊娠中から11歳になった現在までのことを、伊津子さんに聞きました。全2回のインタビューの前編です。
穏やかな妊娠生活が続く中、妊娠35週目に突然、骨の病気の可能性があると・・・
2007年に、当時勤めていた会社の元先輩と結婚した伊津子さん。2013年、39歳のときに大翔くんを授かりました。伊津子さん夫婦にとって、2人目の子どもで二男です。
「高年出産となるものの、妊娠の経過は至って順調でした。でも、34週目の健診で行った超音波検査で、『FL(太ももの骨の長さ)が短い。数人の医師で判断するために翌週も受診してほしい。そのときは夫婦一緒に来てください』と先生が言うんです。
おなかの子は元気に育っていると信じきっていたので、言い知れぬ不安と、『どうしてこんなことになったんだろう・・・』という疑問で、頭の中が真っ暗に。帰宅後、真っ先に夫に報告しました」(伊津子さん)
翌週の健診(35週目)は夫婦2人で行きました。
「検査後、『骨系統の疾患の可能性が極めて高い』と告知されました。受診していた病院にはNICUがなかったので、大学病院の産科に転院することがその場で決まりました」(伊津子さん)
伊津子さんは「告知された内容がにわかには信じられなかった」と話します。
「出産予定日は約6週間後。このまま何事もなく出産することしか考えていなかったので、先生の言葉が頭を素通りしてしまうんです。でも、少しずつ現実味を帯びてきて、病気をもって生まれてくる子どもを私に育てられるのか、両親にはなんて伝えよう、仕事には復帰できるのか・・・などなど、頭の中が不安でいっぱいに。
このときは、可能性のある病気について、具体的な病名は示されなかったと記憶しています」(伊津子さん)
出産予定日の妊婦健診直後、長男と2人きりのとき陣痛が!
転院後、大学病院の産科で行ったのは通常どおりの妊婦健診で、特別な検査はありませんでした。出産予定日当日の2014年1月14日にも、伊津子さんは健診を受けました。
「子宮口はまだ小さいけれど、胎児の頭囲が大きめなため、翌週に陣痛が来なかったら誘発剤を使って出産する、ということになりました。
病院から帰宅後は、保育園に長男を迎えに行き、夕食を作って、長男とおふろに入り・・・と、いつもどおりの生活を送っていたのですが、ひと息ついた19時ごろ、『あれ?おなかが痛い!?』と気づいたんです。急いで時間を計ってみると、すでに10分間隔で陣痛が来ていました。
大学病院に電話で相談したら『すぐ来てください!』と。そのとき家にいたのは私と5歳の長男だけ。おなかの赤ちゃんはもちろんですが、長男が心配で、夫、私の実家、義母に『陣痛が来たから長男をお願い!!』と連絡し、私は長男を連れてタクシーで病院へ。到着したのは21時ごろだったでしょうか。もう生まれそう、というくらい陣痛の間隔は短くなっていました。みんなとは病院で落ち合いました」(伊津子さん)
分娩室に入ってからはスピード出産でした。
「胎児の頭囲が大きいためか、産道を通ってくるときにはかなり痛かったですが、分娩室に入ってから1時間ちょっとで、自然分娩で出産。出生身長は47㎝、体重は3108g、平均的な赤ちゃんだったと思います。初対面したときの感想は『あ、ちゃんとしてる(笑)!』でした。
出産の翌日まではNICUに入りましたが、その後は一般病棟へ。検査としては、通常の新生児スクリーニング検査に加え、遺伝子検査を行いました。
大翔は母乳の飲みも体重の増えも問題なかったので、4日後に私と一緒に退院することになりました」(伊津子さん)
退院時に軟骨無形成症の可能性を告げられるも、先生は「頑張らなくいい」と
誕生後、元気に育っていた大翔くんですが、退院する日に大翔くんの病気について説明がありました。
「大翔は、手を広げたときに中指と薬指の間が広いんです。これは『三尖手(さんせんしゅ)』と言って、軟骨無形成症の典型的な症状だから、軟骨無形成症の可能性が高い、という説明を受けました。確定診断は検査に出している遺伝子検査の結果を見てからになる、ということでした」(伊津子さん)
軟骨無形成症は、細胞内の遺伝子の特定の1点が変異することで、軟骨が骨に変わるときに異常が起こり、骨が伸びるのを邪魔してしまう病気です。遺伝性のこともありますが、多くは突然変異で起こります。
現在のところ、根治する治療法がない難病です。
「説明を聞いたあと、まず『難病なのに、私も大翔も退院しちゃっていいんですか?』って、聞いたことを覚えています。先生の返事は『だって、あなたたちは元気でしょう?大丈夫だよ』というものでした。
『頑張ります、頑張ります』と繰り返す私に、『頑張らなくていいんだよ。軟骨無形成症は個人差が大きくて、大翔くんは胸骨がしっかり成長していて呼吸も安定している。体重の推移もとてもいいから、退院後は経過観察を続けながら、対応しなければいけないことが起こったら、その症状に合ったケアをしていきましょう。何か心配なことがあったら、健診まで待たずに連絡をください』と、とてもやさしく私と大翔を送り出してくれました。
目の前にいる大翔は元気だし、とってもかわいい赤ちゃんです。先生の言葉に勇気をもらい、『たとえ難病を患っているのだとしても、ごくごく当たり前の子育てをしよう』と決心しました」(伊津子さん)
遺伝子検査の結果が出るまでは、かなり時間がかかったそうです。
「確定診断がついたのは数カ月後だったと思います。でも、そのときにはもう病気のことは受け入れていて、親子4人で普通に暮らしていたので、あまり印象に残っていません。
大翔の軟骨無形成症は遺伝性ではないという説明を受けたことは覚えています」(伊津子さん)
兄も通っていた保育園に入れたい!その思いで、生後3カ月で仕事に復帰
退院後、大翔くんは大学病院の小児科とリハビリテーション科に定期的に通うことになりましたが、計測と問診のみで、治療はほぼなかったそうです。
「それくらい大翔は問題なく育っていたんです。発達も順調で、寝返り、ずりばいと、どんどん進みました。おすわりが安定するのが遅めだったので、心配になって小児科の先生に相談したことはありましたが、生後9カ月には安定。1歳1カ月には歩けるようになりました。難病があることを忘れてしまうくらい、大翔はいろいろなことができるようになっていきました」(伊津子さん)
大翔くんの出産前、伊津子さんはフルタイムで働いていて、長男は保育園に通っていました。そして大翔くんも育休後、保育園に預ける予定にしていました。
「大翔に病気があるとわかってから、受け入れてくる保育園があるのか、すごく心配になりました。しかも、大翔が1歳児クラスで保育園に入園するときには、長男は保育園を卒園しているから、兄弟加点はありません。
仕事は続けたいと考えていたので、出産前、大翔に病気があるとわかったころ、長男が通っている保育園の園長先生に、入園について相談してみました。すると、園長先生は長いご経験の中で、同じ病気の子を預かった経験があるとのこと。現状、その保育園に同じ病気の子どもがいたわけではありませんが、家から近く、よく見知った先生方に預けられたら、こんなに心強いことはないと思いました。
でも公立の保育園なので、入れるかどうかは条件しだいです。早くから仕事を始めたほうがいいと考え、実家が経営している会社に転職。大翔が生後3カ月のときから働き始めました。朝、社員の人たちが現場に出てしまうと、両親と私だけになる小さな会社です。
私は大翔と一緒に出勤しました。事務所にベビーベッドを置いて仕事ができたのは、両親や同僚たちの協力があったからこそ。とても感謝しています」(伊津子さん)
大翔くんは1歳3カ月のとき、伊津子さんが希望していた保育園の1歳児クラスに入園します。
「同じクラスのお友だちと比べたら小さいなあとは思いましたが、まわりの子もまだ赤ちゃんなので、大きな違いはありませんでした。
大翔の体格に合うように、既成の椅子に先生手作りのクッションを付けてくれたり、踏み台を作ってくれたりと、先生方がいろいろと考えて工夫してくれたおかげで、保育園では何の不自由もなく過ごすことができました」(伊津子さん)
3歳の定期検査で髄液の流れが悪いことがわかり、髄液が流れる道を作る手術を
大翔くんは定期検査の一環として、3 歳のとき頭のMRIを撮りました。
「MRIの検査で、脳内の異常がわかりました。水頭症までは悪化していないけれど、髄液の流れが悪いことが判明。改善のために、『第三脳室底開窓術(だいさんのうしつていかいそうじゅつ)』という内視鏡術をする必要があるとのことでした。
第三脳室(間脳の中心にある脳室)に穴をあけて髄液を流す道を作る手術で、3時間くらいで済むということでした。
手術自体は本当に短時間で終わったので、心配をする暇がないくらいでした。ただ、イレギュラーなトラブルがあり、入院が2カ月にも及んでしまったので、その間、付き添うために仕事を調整しなければならなくなり、また、家に置いてこなければならない長男のことも気がかりでした。
夫や実家の両親に付き添いを交代してもらう日をつくるなどして、なんとか2カ月間を乗りきりました。
そして退院後は、これまでどおりの平穏な日々に戻りました」(伊津子さん)
退院後も元気に保育園に通う大翔くんを見て、伊津子さんは大翔くんのためにもっとできることはないか、さまざまな可能性を考えるようになりました。
【千葉悠太先生より】軟骨無形成症と診断されたら専門医に相談し、正確な情報を得ることが大切です
軟骨無形成症は、四肢短縮(ししたんしゅく)型の著しい低身長をきたす先天性疾患で、約2万出生に1人の割合で発生し、国内には約6000人の患者さんがいると推定されています。妊娠中の超音波検査や、出生後の身体的特徴から疑われ、診断されることが多いです。
低身長のほか、大後頭孔狭窄(だいこうとうこうきょうさく)、水頭症、胸腰椎後弯(きょうようついこうわん)、睡眠時無呼吸、慢性中耳炎など、さまざまな合併症があり、乳幼児期には突然死のリスクもあります。そのため、小児科、脳神経外科、整形外科、耳鼻咽喉科など多診療科が連携して診療を行います。
軟骨無形成症と診断された際には専門医に相談し、正確な情報を得ること、また発達の経過を定期的に確認し、成長に合わせた生活環境の整備と見守りを行うことが大切です。
お話・写真提供/鈴木伊津子さん 取材協力/つくしの会(軟骨無形成症患者・家族の会) 医療監修/千葉悠太先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
二男の出産退院時に、2万人に1人の難病、軟骨無形成症の可能性を告げられた伊津子さん。大きなショックを受けたものの、目の前にいる大翔くんの元気な様子を見て、「普通に育てていこう」と決め、さまざま経験をさせていくことになります。
インタビューの後編は、大翔くんの自己肯定感を高めるために伊津子さんが心がけてきたことや、新薬での治療などについてです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
千葉悠太先生(ちばゆうた)
PROFILE
埼玉県立小児医療センター 代謝・内分泌科医長。弘前大学医学部卒業。専門は小児内分泌学。日本小児科学会専門医。日本内分泌学会専門医。日本糖尿病学会専門医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年1月の情報であり、現在と異なる場合があります。


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