発達がゆっくりだと感じた2人の娘。「老化が早く進み、母親のこともわからなくなる」との医師に言葉に、ただ涙【コケイン症候群】
「コケイン症候群」という病気を知っていますか? 東京都に住む牧子さんの2人の娘さんは、長女・美彩さんが3歳、二女・優華さんが1歳のとき、姉妹ともにコケイン症候群と診断されました。コケイン症候群は通常の4~5倍の速さで老化するといわれる難病で、小児慢性特定疾病情報センターによると、国内の患者数は約100人ほどと推定されています。牧子さんに姉妹の発達の様子や診断を受けたときのことについて聞きました。全2回のインタビューの1回目です。
「何かが違う・・・」長女の発達の遅れが気になり検査を受けた
結婚後の1998年5月、牧子さんは長女・美彩さんを出産しました。かわいい赤ちゃんとの生活に幸せを感じながらも、生後4〜5カ月になったころに成長の様子に不安を感じ始めました。
「愛読していた雑誌『ひよこクラブ』には、生後5カ月ごろになると寝返りが上手にできるようになる子が増えてくるというようなことが書いてありましたが、長女は5カ月になってもねんねの状態でした。寝返りはなんとかできても、全体的に体がやわらかくふにゃふにゃしていました。おすわりもなかなかできず、まわりにクッションを敷き詰めてソファで練習しても、前かがみになってしまいました。
風邪や予防接種で小児科を受診したときに『9カ月でやっと両手を前についたふにゃふにゃのおすわりができるくらいなんです』と相談しましたが、『発達はそれぞれだから』『遅い子もいる』と言われ、そうなのかなと。でも、友だちの子どもと比べてもあきらかに何か違います。栄養がたりないのか、何をしたらいいのかと不安が重なっていきました。少しでも娘に刺激をあたえようと育児サークルに入ったり、近くの公園に行って友だちをつくったりしました」(牧子さん)
その後、美彩さんの1歳6カ月児健康診査で保健師から「心配なときは療育相談を受けてね」と言われ、牧子さんは医療機関を受診することにしました。
「発達がゆっくりな原因を調べるため、CTやMRIなどさまざまな検査を受けましたが、検査中に美彩がどうしても動いてしまってなかなか検査が進みませんでした。何度もトライしては失敗して、と受診を繰り返していたころ、私が2人目を妊娠したとわかりました。
つわりがかなりひどい状態で、やむなく美彩の検査は先延ばしすることに。県の児童相談所は美彩の発達をフォローするために、児童発達支援センターを紹介してくれて、親子で一緒に通いました。成長はゆっくりでしたが、美彩は2歳10カ月ごろには少しずつひとり歩きができるようになりました。スーパーに買い物に行ってカプセルトイを見つけると、歩いて近寄ったりして。歩くことがとても楽しそうな様子でした」(牧子さん)
「20歳まで生きられない」コケイン症候群と診断
美彩さんの発達支援のために児童発達支援センターに通いながら、2人の育児をしていた牧子さん。優華さんが少しずつ成長するにつれ、その発達の遅れにも気づき始めました。
「優華の発達も遅いとわかり、先延ばしにしていた美彩と一緒に2人とも検査を受けることになりました。血液・髄液・MRI・CT・眼底検査・皮膚の採取・足の神経の採取などの検査です。その結果、脳の萎縮があり、一部が石灰化していることもわかりました。採取した皮膚に紫外線を当てる検査や、眼底検査などの結果から、2人ともコケイン症候群だと診断されました。美彩が3歳10カ月、優華は1歳3カ月でした」(牧子さん)
コケイン症候群は極めてまれな早発老化症で、常染色体潜性遺伝の病気です。紫外線に当たることなどで生じる遺伝子の傷を修復する機能に欠陥があり、低身長や知的障害、早くから老化などの症状が現れます。通常の人の4〜5倍のスピードで老化が進み、平均寿命は15~20歳。日本には約100人の患者がいると推定されていて、現在のところ治療法はなく、対症療法しかありません。
「医師の説明では、早く亡くなる病気で20歳まで生きられないかもしれないことや、だんだん目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、母親のこともわからなくなる、などと言われました。2人とも私のことがわからなくなってしまうなんて・・・すごく悲しい気持ちになったことを今も覚えています。
病気がわかって治療をすれば治るものだと思っていたんです。だけど、現時点では治療法が確立されていなくて治せない病気もあるんですね。すごくショックで、診断後は泣き続ける毎日でした」(牧子さん)
牧子さんから話を聞いた夫の宏さんも、娘たちの病気のことをなかなか受け入れられませんでした。
「仕事から帰宅した夫が娘のどちらか、どっちだったかは思い出せませんが、抱っこしているときに『2人とも治らない遺伝子の病気だって』と伝えました。夫は娘の手を見て『ちっちゃい手だな』とつぶやき、肩をふるわせていました。私はなんて声をかけていいかわからず、夫の肩をぽんぽんとさすってあげることしかできませんでした。
夫も娘たちをとてもかわいがっていたので、なかなか信じられなかったんだと思います。きっと将来研究が進んでこの子たちの病気も治るんじゃないか、と思っていたようです。そのころ会社から帰宅した夫の目は、毎日真っ赤になっていました。泣きながら帰ってきたんだろうな、とわかりました」(牧子さん)
診断後、「頭のどこかで娘たちはいつか・・・と考えてしまい、毎日泣いていた」という牧子さんを元気づけたのは、娘たちの笑顔でした。
「私が泣いていると美彩がふらふらしながら目の前に立ち、ティッシュで私の涙をふいてくれたんです。・・・ああ、なんてやさしい子に育っているんだろう、って思いました。私がこんなふうに落ち込んでるだけじゃいけない、しっかりしなくちゃ、とそんな気持ちになりました。覚悟して現実を受け入れ、この子たちのためにできることを考えよう、と思えるようになりました」(牧子さん)
かわいい娘たちにたっぷりの愛を注いだ
当時東北地方に住んでいた牧子さん一家でしたが、診断を受けた直後に宏さんの転勤で東京へ引っ越すことになりました。以前は仕事が深夜までになり帰宅が遅かった宏さんでしたが、診断後は会社の飲み会にも行かず、まっすぐに帰宅して娘たちの子育てにかかわっていたそうです。
「本人は『自分は何もやってない』と言いますが、とても協力的でした。ママ友たちから『やさしいパパだよね』『すごく子煩悩だよね』と言われるくらい、愛情深かったと思います」(牧子さん)
東京に引っ越してから、主治医に診察してもらうほかにも、たくさんの診療科を受診する生活になりました。
「通院はとても多く、皮膚科、小児科、整形、耳鼻科、歯科、神経内科、ぜんそくで総合医療、さらに甲状腺の数値で内分泌科など、たくさんありました。週に1回か2回は病院に行って、症状に合わせて薬をもらっていました。さらに、月に1回ずつの理学療法士、作業療法士、言語聴覚士によるリハビリもあります。ヘルパーさんと一緒に、2人を連れて同時に受診していました。
そのほか、週に3〜4回ほど発達支援のために児童ホームに通っていました」(牧子さん)
娘の気持ちを知りたい
体の発達では、長女の美彩さんは2歳10カ月ごろから半年ほどはひとり歩きができましたが、風邪をひいたことがきっかけで歩けなくなってしまいました。二女の優華さんは1歳6カ月でつたい歩きはできたものの、ひとり歩きまではできるようになりませんでした。また、コケイン症候群では、言葉の発達が極めて遅く、年月の経過とともに話せなくなるという症状もあります。
「娘たちは、『ママ』『パパ』とか、『サティ』というスーパーの名前とか、ジュースのことを『チューチュー』とか、そういった単語を話していました。おいしいときはほっぺに手を当てるようなジェスチャーをしたり。少しの単語とジェスチャーでコミュニケーションを取っていました。
親子でもよくわからないことはいっぱいありました。コケイン症候群の子は、あまり食事を食べられないんです。だから、何が食べたいかだけでも知りたいな、何が好きなのかな、もっと気持ちをを知りたいな、と思うことはいっぱいありました。
あ、でも美彩は幼児期ぐらいからピーナッツが大好きでしたね。あとはカフェオレとかも。大好きでも飲み過ぎると下痢をしてしまうので、体力を奪われないように制限しないといけない感じでした」(牧子さん)
いくつもの診療科にかかり毎週通院しながら、美彩と優華さんは支援学校の小学部に通いました。
「支援学校はバスでの送迎があるのですが、娘たちは朝ごはんは少しだけのことが多く、給食はメニューによってはほとんど食べない日もありました。
コケイン症候群の子は、あんまりごはんを食べないんです。体力がもたないので、朝をゆっくり食べさせて、昼前に送って午後の授業だけ参加させることもありました。紫外線も悪影響があるので天気のいい日は室内の場所に行き、学校の外にあるプールは屋根の下か日陰で入っていました。
学校では絵を描いたり、工作をしたり。娘たちのケアにかかわる先生方が、娘たちの状態を共有するために写真付きの資料を作ってくれました。学校で過ごす時間は、娘たちにとっても楽しかったと思います」(牧子さん)
【久保田雅也先生より】症状が出てからの治療で、 どこまで改善を見込めるかもわかっていない病気
コケイン症候群(CS)は単なるDNA修復不全疾患ではなく、全身性の進行性障害であることがあきらかになりつつあります。早老症(早い老化)と位置づけられることもありますが、これだけでは各臓器の病変は説明できません。遺伝子治療などの先進的医療が研究されてはいますが、神経病理改善や長期的安全性評価はこれからです。
また、CSの遺伝子変異は欧米と日本では異なるため、欧米の研究がそのまま日本人患者に応用できるとは限りません。それ以前に症状が出てからの治療(疾患修飾療法)でどこまで改善を見込めるかもわかっていません。
診断された時点で、すでに“見えない進行”は全身で起きている可能性があり、多くの未解決の問題がある病気です。
お話・写真提供/牧子さん 医療監修/久保田雅也先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
取材の冒頭で「娘たちとの日々は宝物。読んだ人が何かしら前をむけるような記事にしてほしいです」と話してくれた牧子さん。難病のある娘さんたちの子育ては日々こまかなケアが必要だったはずですが、楽しく過ごした日々の思い出を明るい笑顔で語ってくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
久保田雅也先生(くぼたまさや)
PROFILE
島田療育センター 院長。九州大学工学部大学院 応用原子核工学専攻修士課程修了、佐賀医科大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院小児科、都立八王子小児病院、国立成育医療研究センター神経内科医長などを経て、2021年より現職。小児神経専門医として広く神経疾患を診ている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年1月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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