「まさか私が三つ子を…?」身長145cmの体で3人を授かったママ。孤独な管理入院で子どもの命を守り抜いた!【多胎インタビュー・前編】
妊娠・出産はただでさえ命がけ。しかし、もし身長145cmという小柄な体で、3人もの赤ちゃんを同時に妊娠したとしたら――。
そんな大きな奇跡と向き合ったのが、今回お話を聞いた宮城県在住のrisaさん(30歳)です。 医師から「おなかのスペースがたりないかも」と体の負担を心配されながらも、決してあきらめず、おなかの中の3つの命を大切に守り抜きました。
全2回で構成するインタビューの前編では苦労したつわりや長期の管理入院、30週での出産までのお話をお届けします。
内診台で長く待たされた2回目の健診。「ほかにもいますよ」と言われて、びっくり!
―― 三つ子妊娠がわかったときのエピソードを教えてください。
risaさん(以下敬称略) 自然妊娠で一卵性の三つ子を授かりました。当時は専門学校時代の友人と美容鍼灸サロンを開業して半年ほど。「子どもを作ろう」と計画していたわけではなかったので、妊娠自体が「まさか」という感じでした。 最初は近所のクリニックに行ったのですが、そのとき「赤ちゃんは1人」だったんです。
でも、再び受診したとき、内診の時間がやけに長くて…。カーテンの向こうがバタバタし始めました。「もしかしてダメだったのかな(流産したのかな)」と思っていたら、先生がエコー写真を何枚も撮り始め、診察室に戻ったら写真を見せるなり「 ほかにも2人いますよ」と伝えてきたのです。
―― 「ほかにもいる」! そのときはどんなお気持ちでしたか?
risa うれしいとか悲しいとか以前に、ただただビックリして思考が停止しました。私の人生で三つ子に出会ったことすらなかったので、「三つ子って本当に存在するんだ!?」と。
先生の説明によると、三つ子の中でも非常にリスクが高いタイプかも…と。通常、多胎児は膜で部屋が仕切られていることが多いのですが、そのときのエコーでは膜が見えず、1つの部屋に3人が一緒に入っている状態(一絨毛膜一羊膜〈いちじゅうもうまくいちようまく〉の疑い)に見えたんです。
先生はおじいちゃん先生だったのですが、「自分はこのパターンの三つ子で無事に生まれてきた例を見たことがない」と言われ、「しっかり調べてもらったほうがいいから」とすぐに県内で 唯一、三つ子の受け入れ可能な大きな病院へ転院することになりました。
145cmでの三つ子妊娠。事前に手術が決まる
―― 転院されてからの経過はいかがでしたか?
risa 大きな病院で診てもらった結果、2回目の健診のときには膜が見えて「このまま妊娠継続なので、頑張っていきましょう」と言われました。
しかし、リスクが高いことには変わりはありません。私は身長が145cmと小柄なので、医師からは「おなかのキャパシティがたりないだろう」と言われ、 早産になることが予想されるから、妊娠中期に入ったら予防的に子宮の出口を縛る手術(子宮頸管縫縮術/しきゅうけいかんほうしゅくじゅつ)をし、妊娠24週(6カ月)からは管理入院をしましょうと伝えられました。
――医師からリスクについて説明を受け、不安も大きかったと思います。それに加えて、体調面での変化もつらい時期だったのではないでしょうか。
risa つわりがかなりしんどかったですね。食べては吐いての繰り返しで、体重は結局5kg落ちてしまいました。 スマホを見るのも、おふろに入るのもつらくて、1日中ベッドで過ごすことも。「もう逃げ出したい、解放されたい」と何度も思うほど追い詰められていました。つわりは妊娠20週ごろまで続きました。
一緒にサロンを運営するパートナーは双子。彼女のお母さんに多胎児についての話を聞く機会も
――つわり中のお仕事はどうしていましたか?
risa 美容鍼灸サロンでセラピストをしているので、体調がよい日だけ出勤して、つらい日は休ませてもらう…という形をとっていました。 出勤できたときは、合間に一緒にサロンを運営するパートナーのセラピストにマタニティ向けの施術をしてもらい、それで楽になって、「また頑張ろう」と思えたのが大きかったです。
実はパートナーの彼女は自身が双子。そういう経緯もあり、私の三つ子妊娠が発覚した当時、多胎児の先輩ママとしてもっとも身近だったのが彼女のお母さんでした。多胎児に関して今よりももっと情報が少なかった時代に双子ちゃんを含めた3人を育てられた大尊敬の方です。私自身が想像もしていなかった三つ子妊娠のこと、これからのことを受け入れていくのに、身近で多胎児のことや多胎育児を体験している方のお話を聞けたのはとても貴重で本当にありがたかったです。
妊娠24週で管理入院。コロナ禍中、MFICUで孤独な入院生活を送る
――子宮口の縫縮手術と管理入院の話を聞かせてください。
risa 手術は妊娠19週のときにしました。そのときは手術の予後が悪く、様子見で2週間ほど入院をしました。
いったん退院をして、再入院したのが24週のとき。前々から24週で入院することは決まっていましたが、予定した入院日の前に出血をしてしまったので、その時点でMFICU(母体胎児集中治療室)に入ることになりました。
――大変でしたね。入院生活はどのような感じでしたか?
risa 当時はコロナ禍だったので面会はいっさいNGで…。個室だったのですが、トイレもおふろもすべて車いす移動。部屋から1歩も出られない生活が続きました。
つらかったのは、張り止めの点滴です。24時間ずっと点滴につながれているのですが、副作用で動悸(どうき)が激しくなり、手足はパンパンにむくみました。肌荒れもひどかったです。またおなかが大きくなって、1度に食べられないので、ごはんは分けて提供してもらっていました。
当時は三つ子妊娠の負担や、ほとんど体を動かさなくなったせいか、股関節や肩などいろいろなところが痛くなってきて、何をしていてもつらく、夜も眠れない日々が続きました。
―― 精神的にも追い詰められそうですね。
risa そうですね。ただ、個室だったので、自由に電話ができたのはよかったですね。 あと、仕事で使うホットストーンを持って行っていたので、自分でマッサージをしていました。
――ほかにはどのように過ごしていましたか?
risa 時間があると動画を見たりはしていましたが…。意外と暇な時間はなかったです。うちの子たちは子宮の上のほうに2人、下のほうに1人が入っていたんですが、下にいた子は生まれるまでずっと危ないと言われ続けていて、検査することも多くて…。また、1日2回のNST(ノンストレステスト/赤ちゃんの心拍確認)に時間が取られるんです。3人いるので全員の心拍を拾うのが難しくて、長いと1日4時間くらいかかっていました。
出産は30週で。安堵の気持ちが大きかった
――出産は何週のときでしたか?
risa 目標は34週でしたが、やはり私の体が限界を迎え、赤ちゃんたちの成長もゆっくりになってしまったため、30週と4日のときに帝王切開することになりました。
手術が決まったときは、長くおなかにいさせてあげられなかった…というやりきれない気持ちと、子どもたちが30週まで頑張ってくれたこと、寝たきり生活にも終わりが見えたことなどの前向きな気持ちが混ざりあい、複雑な心境でした。もうすぐ終わるんだな…と思いながら、ごはんを食べていたら、自然と涙が出ていました。
そうして迎えた当日の朝は意外と冷静で。手術中はおなかから1人ずつ取り出されるたびに、体がフッと軽くなる感覚がありました。「あ、1人減った、また減った」と…(笑)。
――赤ちゃんとは対面できましたか?
risa 一瞬だけ長男の顔が見られました。長男だけは産声(うぶごえ)をあげてくれましたが、みんな呼吸機能が未熟で生まれてきたので、二男と三男は泣くこともできず、呼吸確保にすぐに処置室へ運ばれて行ったんです。
そのときの心境は…、感動はもちろんですが、それよりも「やっと(妊娠が)終わった…とりあえず生きて手術を終えられた」という安堵感がとにかく強かったです。「1人で3人の命を守る」というプレッシャーからようやく解放された瞬間でした。
お話・写真提供/risaさん 取材・文/江原めぐみ、たまひよONLINE編集部
「逃げ出したい」と思うほどのつらいつわりに、孤独な入院生活。数々襲った体の負担。当時の苦労を物語るそれらのエピソードとは裏腹に、終始穏やかに話してくれた、risaさん。そのきゃしゃな体のどこに3人がいたのだろうと、現実と見た目の不思議な対比に驚かされます。
後半では、いよいよ出産後の話へ。三つ子の育児についてのエピソードを聞きます。
risaさん(りさ)
PROFILE
仙台在住の30歳ママ。専門学校時代の友人とともに美容鍼灸サロン「harimoon」をオープン。セラピストとして働く。2023年1月に一卵性の三つ子(男の子)を出産。身長145cmという小柄な体で三つ子の妊娠生活を乗り越えた。現在は仕事に復帰し、自身の経験を生かしてマタニティケアや産後ケアに力を入れている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年12月現在のものです。


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