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ピアニストで医師を目指す双子、難病の大田原症候群の三男、5歳の長女を育てる4きょうだいの母。弟の命を守るため「こうちゃん憲法」を家族で作った

更新

面会に来た双子の兄たちと、生後1カ月の弘一郎くん。

双子のピアニスト『兄ーズ』として活躍する山下順一朗さん、宗一郎さん。医学部生でもある2人が医師を目指しているのは「弟の病気を治したい」がきっかけだったそうです。母親のまやさんは、19歳の双子のほか、10歳の三男、5歳の長女の4人の子育て真っ最中。三男の弘一郎くんは生後2カ月のときに指定難病の「大田原症候群」と診断されています。
まやさんに双子の育児から、弘一郎くんを出産したころまでについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。

初めての育児が双子で、大忙しの日々、さらに双子はピアノの習い事も本格的にスタート

生後3カ月、気管切開手術直後の弘一郎くん。

人材派遣会社で働いていたまやさんが双子を妊娠したのは28歳のとき。育休後に仕事復帰したまやさんでしたが「当時の記憶はほとんどない」というほど、双子育児はめまぐるしい日々だったそう。さらに双子は2歳からピアノを習い始めます。

「順一朗と宗一郎は、夫が突然電子ピアノを買ってきたことがきっかけで、リトミックや絶対音感トレーニングを経て、年少のころから本格的にクラシックピアノを習い始めることになりました。息子たちが楽しそうにピアノを弾く姿を見ると、私たち親も練習につき合い、レッスンに行くことが楽しみになりました。そして練習量が増え、コンクールに挑戦するように。ピアノはきちんと練習すればできるようになるので、成長や成果がわかりやすく、親子ではまりました。

小学校1年生のころにはグランドピアノを購入し、2年生のころには練習時間がさらに増えたため、グランドピアノをもう1台増やして2台にするなど練習環境を整えました。私たち夫婦は共働きの会社員でお金に余裕があるわけではありませんでしたが、『将来的によいピアノに買い換えることになるなら今、トップレベルのピアノを買ってしまおう』と決め、資金繰りの相談をしながら毎週中古のピアノ屋さんを何軒も巡って探しました」(まやさん)

まやさんは双子のレッスンの送迎のほか、夜もピアノの練習に付き添いました。

「私はピアノを弾けないんですが、とにかく一生懸命練習に付き添いました。レッスンに行くと先生から『次回までにこれをできるようになろうね』という課題が出されます。それを次の週までにできるように練習を続けました。

とはいえ、仕事や育児に疲れ果てて双子がピアノ練習をする様子を見ながら、体育座りで寝てしまったこともあります。弾き終わった2人に『できたよ』『聴いてた?』と言われて意識が戻り『ごめん、聴いてたよ!』とあせることもありました」(まやさん)

やがて双子はピアノコンクールの全国大会に出場するようになり、実績を積み重ねます。双子のピアノへの挑戦とともに忙しい日々を送る一家でしたが、双子が小学校2年生のころにまやさんが第3子を妊娠しました。

「順一朗と宗一郎を出産してから8年後に、妊娠がわかりました。それまでは街中で赤ちゃんを見かけるたびに『かわいいな〜』と思っていたものの、双子育児のインパクトが強くてなかなか次の妊娠への踏ん切りがつかなかったんです。ただ8年たつと気持ちも落ち着いてきて、『もう1人欲しいな』と思い始めたころの妊娠でした。

つわりが重くて仕事を休むこともありましたが妊娠経過は順調で、妊娠9カ月に入るころから産休・育休をとりました。仕事の引き継ぎを終え、『育休明けに戻ってくるね』と同僚たちにあいさつして、自分の荷物を箱に詰めて会社に置き、産休に入りました」(まやさん)

生まれた赤ちゃんが呼吸をしていない・・・、原因がわからず不安な日々

双子たちが弘一郎くんにピアノコンクールで獲得した盾を届けてくれました。

双子の出産が帝王切開だったため、第3子も予定帝王切開での出産を予定していました。

「2015年の春、出産当日の朝に面会に来た夫と一緒に記念撮影をして『行ってきま〜す』と手術に向かいました。出産そのものはとても順調に進んだんです。

ただ生まれる瞬間、『そろそろ出てきますよ。はい、おめでとうございま・・・』まで言われたところで、その場の雰囲気が一気に変わりました。息子が産声を上げなかったのです。それまでにこやかに話しかけてくださっていたスタッフたちが緊張の面持ちであわただしくなり、『お母さんはおなかをきれいにしますね、赤ちゃんは任せてください』と言われたと思います。息子はすぐNICU(※)へ運ばれました。いったい何が起こったのか・・・麻酔で意識がもうろうとするなかで、頭が真っ白になったような感覚を覚えています」(まやさん)

術後の処置を終え、病室に戻ったまやさんが赤ちゃんの状態を伝えられたのは、その夜のことでした。

「付き添っていてくれた夫が、医師から聞いた話を私に教えてくれました。『泣かない、呼吸ができない』と、すぐに人工呼吸器をつけられたそうです。そして『新生児には見られない動きをしている』と。その時点ではどんな病気なのか何もわかりませんでした。

妊娠中の経過は順調だったので、家族も元気な赤ちゃんが生まれるものだと思っていて、義父母が双子を連れてお赤飯を持ってお祝いしようと病室に来てくれていたそうなんです。それがいつまでたっても赤ちゃんに会えない状況が続き、ほかの家族は帰ることにした、と聞きました」(まやさん)

まやさんがNICUにいる三男の弘一郎くんと面会したのは出産日の夜、麻酔から覚めたあとでした。

「車いすでNICUに連れて行ってもらいました。弘一郎は人工呼吸器やたくさんの管につながれているから抱っこができなくて。保育器で寝ている弘一郎に触れて、なでなでしながら『かわいいね』と夫と話しました。そのときはまだわからないことだらけで、『きっと大丈夫』と信じていたと思います。

でもそれから入院中は毎日、弘一郎の状態の説明を受けました。新生児期に亡くなってしまう子も非常に多いことや、呼吸の障害の度合いが長いほどその後の発達にかかわる、という話を1日に何度も受けました」(まやさん)

まやさんは1週間ほどで産後退院して、弘一郎くんの面会に通う日々になりました。

「いったい何の病気なのかわからない中で、自分なりにいろんなことを調べました。読んだこともない大学の論文をいくつも読んだりもしました。もしかしてこれなんじゃないか?と見つけた病名は『大田原症候群』でした」(まやさん)

※新生児集中治療室のこと

大田原症候群と判明。「命が短い」との説明に絶望した

生後6カ月。入院中の病院内で、初めての外出!

出産した病院でありとあらゆる検査を受けた弘一郎くんの病名がわかったのは生後2カ月がたって転院してからのことでした。

「生まれた病院の検査で弘一郎にはてんかん発作が出ていることがわかりましたが、希少疾患の可能性が高いため、専門性の高い国立の病院に転院することになりました。転院したその日に6種類くらいの検査を受けて、夕方に6人ほどの医師たちから説明を受けました。

伝えられた病名は、やはり『大田原症候群』。けいれん発作が1日に何百回も起こることがある病気です。医師からは『この病気の子は命が短く、効く薬もありません。1歳を迎えられないお子さんが多いです。ご両親が医療的ケアを覚えて、早くおうちで暮らして思い出をつくってあげたほうがいいと思います』と、症状や予後について説明されました。まさか、治らない病気だなんて・・・告げられた現実の残酷さに、目の前が真っ暗になるようでした。それからしばらくは自分を責め、途方に暮れた日々でした」(まやさん)

ショックでどん底にいるようだったというまやさん。なんとかしたい一心で、ひたすら病気について調べました。

「病気について、医療的ケア児を育てることについてとことん調べ、てんかんについての勉強会や講演会にも参加しました。不安は消えませんが、病気について知識を得たことが、現実を少しずつ受け入れて、気持ちが浮かび上がることができた原点だったのかもしれません。

それに泣いていても、弘一郎の病気は治りません。早くおうちに連れて帰りたい、という思いで、人工呼吸器の操作方法や吸引のしかた、胃ろう用の食事の作り方など、夫と一緒に病院に通い医療的ケアの手法を学びました。

また当時は一軒家に住んでいたのですが、弘一郎を迎えるためにフルフラットでバリアフリーのマンションに引っ越しました。ソーシャルワーカーに相談して訪問医療やサポートの福祉サービスなどの手続きもして、弘一郎を迎える準備を進めました」(まやさん)

家族で話し合った「こうちゃん憲法」

お父さんが、2歳の弘一郎くんに絵本を読み聞かせている様子。

弘一郎くんは、1歳の誕生日直前にようやく退院し、家族と暮らせるようになりました。

「弘一郎の退院前には、双子も含めた家族全員で、退院後の生活についての説明を受けました。弘一郎が入院していた国立の病院には、医療的ケア児のきょうだい用プログラムがあります。チャイルドライフスペシャリストという専門職の方が病状の説明や、自宅での生活でどんなことをするか、といった内容を数日間、講義してくれたんです。

双子の兄たちは、気管切開や人工呼吸器はとても大事なもので、万が一取れてしまったらすぐお母さんを呼ばなくてはならないとか、どんなに弟がかわいくても機械には触れてはいけない、といった生活上の注意を学びました」(まやさん)

そして、弘一郎くんと一緒に暮らすために家族みんなで話し合った決めごとがあります。

「家族で考え『こうちゃん憲法』と名づけました。最も大切なことは『弘一郎の健康を守り命をつなぐ』というものです。順一朗と宗一郎は、毎日手洗いやうがいを欠かさずするようになり、風邪をひいたら弟には近づかないことを徹底してくれました」(まやさん)

まやさんたち夫婦は、弘一郎くんに難病があっても、双子たちに何かを我慢させたり、あきらめたりさせたくない、と考えていました。

「こうちゃん憲法に加えてもう1つ、決めたことがあります。それは、弟に難病があっても、そのために家族が何かをあきらめることは1つもない、ということです。
だから、順一朗と宗一郎にはやりたいことを何1つあきらめることはない、どんどんチャレンジしてチャンスをつかんでほしいと伝えましたし、親として全力でサポートしてきました。

子どもたちだけでなく、私たち親もそうです。家族それぞれの人生を大事に生きたいという思いがあります。これからも何が起こるかわかりませんが、後悔しないようにできる限りの力を尽くせるようにしていきたいと思っています」(まやさん)

お話・写真提供/山下まやさん 取材・文/早川奈緒子 編集・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

弘一郎くんとの生活のため、まやさんは仕事を退職することになりました。「こうちゃん憲法で『命を守る』と決めたことで、私が仕事を手放して家にいることは、自由を制限されるのではなく、弘一郎の健康を守り家族の幸せにつながることだと納得できました」と話してくれました。
後編では、弘一郎くんとの生活や、まやさんが4人の子育てで感じることなどについて聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年3月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

夢を奏でる ピアニストと医師の二刀流を目指す双子の物語

双子連弾ピアニストとして2024年3月にプロデビューした『兄ーズ』、山下きょうだい。ピアニストと医師の二刀流をめざす双子の挑戦と、家族の絆を描く物語。兄ーズ(山下順一朗・ 山下宗一郎)著/1760円(KADOKAWA)

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