『なつぞら』モデル奥山玲子さんを語る後輩、宮崎朱美さん(宮崎駿監督夫人)「奥山さんがいてくれたから」
現在放映中の朝の連続ドラマ小説『なつぞら』がいよいよクライマックスをむかえます。広瀬すず演じる奥原なつが出産・育児を経ても仕事を続けることを選択したこと、「保育園落ちた」というセリフにぐっと胸がつまった人も多いのではないでしょうか。
「辞めるのはあんたよ」、妻の芯の強さを認め合う夫婦のストーリー
迷いながらも出産、共働きをえらんだ主人公なつ。さらっと描かれた乳幼児時期に、不満の声もきかれますが、そもそも朝ドラで「共働き」や「夫の育児参加」が描かれたことに、育児メディアとしては、時代は大きく変わったなと感慨深いものがあります。令和は「女性だけが大変」から一歩抜け出せるかもしれない…。
でも、なつが育児をした「昭和」30年台終わりから40年台は実際のところどうだったのでしょうか。
先日刊行された、なつのモデルとなったといわれるアニメーター奥山玲子さんとその夫・小田部羊一さんのノンフィクション書籍『漫画映画漂流記 おしどりアニメーター 奥山玲子と小田部羊一』(講談社)を読むと、その時代の共働きの大変さがひしひしと伝わってきます。
奥山玲子さんは1935年生まれ。1958年東映動画(現・東映アニメーション)に入社。『白蛇伝』『太陽の王子ホルスの大冒険』や、『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』に携わった経歴をもちます。
1963年に同僚だった年下の小田部羊一さんに自らプロポーズ。本書ではふたりの交際のきっかけが、当時流行っていた社交ダンスだったことも触れられています。
結婚式は国際基督教大学内の小さなチャペルで身内だけ式。パーティは同学内の泰山荘の庭で行った。
「当時としてはかなり先端でしたね。職場の人たちが「結婚実行委員会」っていうのを作って、チラシ作りとか司会とか受付とかカメラ係とか、みんなで分担してくれて」(小田部さん)など、若々しい2人のさまざまなエピソードが描かれています。
たまひよが注目したのは、奥山さん、小田部さんの共働きについての記述です。
「共働きが当たり前と思っていましたし、子どもが生まれたら僕もちゃんと協力して。奥山に「育児が大変だから仕事を辞めてくれ」なんていう気持ちも全くない」など、当時を回想した小田部さんのインタビューから、夫婦ふたりが協力しあって子育てをしていた姿が想像されます。
ドラマのなつを彷彿とさせる、奥山さんの芯の強さも各ページから伝わってきます。夫の小田部さんは、「もし仕事を辞めてくれともし言ったとしたら、奥山さんから『辞めるのは、あんたよ』って言われたと思う(笑)」と答えています。
日本のアニメーションはまさに勃興期。本書に出てくる多くの関係者の証言から、ドラマ同様、女性で単独名義として初の作画監督になった奥山さんが、いかに真摯に作品と向き合ったかということが伝わってきます。
そんな奥山さんを、「奥山さんがいてくれから」と回顧する一人の女性がいます。宮崎(太田)朱美さん。『白蛇伝』にアニメーターとし参加した一人です。
「奥山さんが小田部さんと結婚するってうわさが聞こえてきたときには、ええ!?っていう感じで」『なんであの2人が一緒になるの?』ていう感じで」(宮崎さん)。
「私たちはすごく楽」 後輩たちの道を切り開いた奥山さん
奥山さん・小田部さんの結婚式に集まった東映動画の仲間たち
働く女性、いまでこそよく使われるこの言葉、当時の宮崎さんたちにとって奥山さんはどんな存在だったのでしょうか。
「私たちはすごく楽だったですよ、奥山さんが先頭にいたから。職場結婚をされて、子どもが生まれて、でも仕事を続けていく人が前にいるってことは、私たちにとってはものすごくありがたいことでした」
後輩たちのロールモデルだったと宮崎さん。
「保育園に子どもを預けながら仕事をつづけたっていうの、奥山さんが最初ですから」
宮崎さんはそんな奥山さんをみて自分の「仕事を辞めないで済む人と一緒になりたい」という思いを強くしたそう。
宮崎さんは奥山さんと小田部さんの育児がいかに大変そうだったかについても答えています。
「大変だったと思います。そのために小田部さんも奥山さんも車の免許を取ったし。やっぱり子どもの送り迎えって大変じゃないですか。家と職場と保育園が近ければいいけど、おふたりはあの頃、職場から遠くに住んでおられたから、保育園に預けて会社へ来て、また迎えにいってっていうのをやらなきゃいけないから、ものすごく大変だったと思います。」
先駆者という言葉で奥山さんを語る宮崎さん。
「うちも子どもが生まれるとわかったときに、宮崎が慌てて教習所に行って(笑)」
宮崎さん自身はその後、「しっちゃかめっちゃか」な共働きを夫の「頼むから辞めてくれ」という懇願により終了。仕事を続けたく腹立たしさを感じたと回想しています。
働きたくても、状況が許さない・・・そんな時代を奥山さんは駆け抜けたのです。
後編では奥山さんがどうやって共働きを乗り越えたかを中心に紹介します。
(文/たまひよONLINE 写真提供/小田部羊一氏『漫画映画漂流記 おしどりアニメーター 奥山玲子と小田部羊一』講談社 より)
『漫画映画漂流記 おしどりアニメーター 奥山玲子と小田部羊一』
小田部羊一 聞き手 藤田健次(講談社刊)
なつぞらのモデルと言われる奥山玲子さん、その夫である小田部羊一さんの知られざる秘話を数多くの写真と関係者の証言から丹念に追ったノンフィクション。
小田部羊一氏ロングインタビューはじめ、著名演出家・アニメーターたちの証言も一読の価値あり。高畑勲監督と小田部さんが喧嘩した話など、アニメに興味がない人も読みごたえがある。宮崎朱美さんは「奥山さんから続く女性アニメーターの路」と題された章にてロングインタビューに答えている。
奥山さん・小田部さんの結婚パーティの様子
1963年7月7日、泰山荘(国際基督教大学)の庭で行われた奥山さん・小田部さんの結婚パーティ