ハイリスク妊婦だったため、無痛分娩は医師と直前まで相談に…栗原 恵、出産を語る
2024年12月に第1子の男の子を出産した、元バレーボール選手の栗原 恵さんにインタビュー。出産前のインタビューでは、「無痛分娩にするかどうか悩んでいる」と話してくれた栗原さんに、実際のお産がどうだったのか、詳しく教えてもらいました。全2回インタビューの前編です。
血栓の恐れがあるハイリスク妊婦だったので、無痛分娩は直前までできるかどうかわからない状況でした
――ご出産、おめでとうございます。出産前のインタビューでは、無痛分娩にするか本気で悩んでいるということでしたが、お産はどうなりましたか?
栗原さん(以下敬称略) ありがとうございます。無痛分娩については、本当に出産の直前まで悩んでいました。無痛分娩の申し込みはしつつ、お産のときの様子を見ながら判断できれば…と。実は、私は過去に脳血栓になったことがあるので、血栓の恐れがある「ハイリスク妊婦」だったんです。妊娠中は朝晩の2回、血栓を予防するためのヘパリン注射を打って、脳外科の先生と産婦人科の先生に連携を取ってもらいながら、お産に臨みました。
そんなこともあって、産院側としてもあまりないケースというチャレンジでもあったようで、「絶対に無痛分娩ができる」とは言い切れない状況でした。お産が始まって、血液検査の数値も安定していたので、先生から、「無痛分娩でも大丈夫だけれど、どうしますか?」と聞かれ、「無痛分娩でお願いします」と返事をしました。
――では計画的な無痛分娩ではなく、お産が始まってから…だったのですね。お産の始まりと経過も詳しく教えてください。
栗原 破水から始まりました。予定日が1月1日で、12月19日の深夜に破水をしました。予定日よりは少し早かったのですが、妊婦健診で「順調に赤ちゃんの頭が降りてきていて、子宮口も4㎝開いているから、予定日より早く生まれそう」と言われていたので、私自身も「もう、そろそろかも」と思い、夫にも「明日、明後日(あさって)あたりお産になるかも」なんて話していたんです。
破水があった日は、深夜2時半くらいまで夫婦でソファでくつろいでいて、「もう遅いから、おふろに入って寝よう」と立ち上がった瞬間、少し水が出るような感覚がありました。すぐに産院に電話をし、「破水かどうかわからないけれど、お水が少し出ました」と伝えると、「今から来てください」と言われて、タクシーで産院へ。
産院で水分を検査してもらうと、「羊水(ようすい)なので破水で間違いない」とのことで、分娩監視装置(NST)をつけて、そのまま入院となりました。
その時点では、陣痛がきているような感覚はなかったけれど、子宮口はどんどん開いてきているとのこと。「赤ちゃんも順調に降りてきているから、スムーズに生まれそう」と言われていたのですが、そこから、2日間、なかなか陣痛が進まなかったんです。
陣痛が進むのを待っている間は、私はすごく元気で、食事も普通に食べることができました。それなのに、ずっと入院室で安静にしないといけなくて…。助産師さんや看護師さんが頻繁に様子を見に来てくれるから、「これは、いったい、いつになったら生まれるのかな…」という、なんともいえない不思議が気持ちで過ごしていました。
無痛分娩の麻酔を入れてもらったものの、左側はあまり効かず…無痛かどうかわからないまま出産に
――陣痛が進まないことで、不安になったりしませんでしたか?
栗原 羊水が減ることもなく、赤ちゃんも元気で、おなかの中でいつも通りしゃっくりをしていたので、私も不安にならずに、リラックスして過ごすことができました。もうこの大きなおなかは最後なんだ…と思うとしみじみして、スマホでおなかの写真を撮ったりして。
私があまりにリラックスしているから、広島から駆けつけてくれた母は、「この子、大丈夫なのかしら…」と心配になったそうです(笑)。
夫もずっと一緒にいてくれて、「もうすぐクリスマスだから…」と私とおなかの赤ちゃんのために、入院室に小さいクリスマスツリーを飾ってくれたのがうれしかったです。
栗原 12月22日の午前11時くらいから、陣痛促進剤を投与し、5時間くらいで出産となりました。陣痛促進剤を使ったら一気に痛みがくる…と思ったのですが、痛みはあるものの耐えられる程度。陣痛が進むように、助産師さんに教えてもらって、踏み台昇降をしたり、股関節(こかんせつ)を動かす運動をしてみたり。
そうすると、どんどん、子宮口は開いてきて、赤ちゃんも降りてきている感覚があったのですが、本当に耐えられないくらいの痛みがきたのは出産の直前くらいでした。
痛みが本格的になってから、無痛分娩の麻酔を入れてもらいましたが、私は体の右側は麻酔が効いていたのに、左側はあまり効かなかったようなんです。消毒用の冷たい脱脂綿を当てられて、「冷たいですか?」と麻酔が効いているか確認をされたのですが、左側は冷たさを感じていて。2回目も入れてもらったのですが、やっぱりまだ左側は冷たくて…。でも、もう赤ちゃんが出たがっているような気がしたので、「もう、これで大丈夫です」とそのまま出産に。結局、無痛だったのかどうなのはっきりわからないような感じで出産となりました(笑)。
――痛みがあるときは、どのように耐えていましたか?陣痛を乗りきるためのグッズなども用意しましたか?分娩台では、上手にいきめましたか?
栗原 痛みがあるときは、とにかく、息を吐くことを意識しました。陣痛には波があるから、だんだんとペースがつかめてくるので、陣痛の合間には少しでも寝ようと思って、目をつむって休んで、なるべく体力を温存するように。
乗りきりグッズは定番ですが、飲みやすいゼリーやペットボトル飲料を寝たまま飲めるストローつきキャップ、いきみ逃し用のマッサージボールなどを用意しました。「ZENB」という豆でできたタンパク質がたっぷり入った小さいパンも持っていって、朝食後から、促進剤を打つ時間までの間に食べていましたね。
いきむときは、助産師さんが「上半身は力を入れず、ここにだけ力を入れていきんで」と具体的にアドバイスしてくれました。落ち着いて対応できたのは、バレーボールでいろいろなトレーニングをしてきた経験が役に立ったな…と感じています。自分のどこの筋肉に力を入れるべきかが、すぐわかったので。
麻酔の効きがいまいち…だったからなのか、陣痛がくる感覚もちゃんとわかり、陣痛の波に合わせてしっかりいきむこともできました。
もうすぐ生まれるというときに、先生が「手を伸ばしてみてください。赤ちゃんの頭が出てきています」と教えてくれて、助産師さんが私の右手を赤ちゃんの頭のところに持っていってくれたんです。人さし指と中指で、赤ちゃんの頭のやわらかい部分に触れることができて。その瞬間、「これが赤ちゃんの頭なんだ!あぁ、本当に出てくるんだ」と感動しました。でもそこから、なかなかスムーズには出てこなくて、「赤ちゃんが苦しくなってしまうから、最後、もうひと頑張り!」と言われて、最後は力を振り絞って思いっきりいきんで、誕生となりました。
誕生の瞬間は人生最大の感動で、初めて「女性でよかった」と心から思いました
――赤ちゃんとの対面の瞬間はどんな気持ちでしたか?
栗原 胸の上に抱いた赤ちゃんは、すごく小さくて軽くて…。でも泣き声は大きく、力強くて。「こんなにいとおしいものなんだ」と涙が止まりませんでした。これまで生きてきた中でもいちばんの感動の瞬間で、「こんな経験ができて、女性でよかった」と心から思いました。
私は、ずっとアスリートだったこともあって、男性の筋肉とかジャンプ力がずっとうらやましくて。女性の私は、どんなに頑張っても男性にはかなわなかったから、男性のプレー動画をよく見ていたので、男性の筋力があればあんなすごい動きもできるのかな、私はまだまだ劣っている…というような思いが強くて。だから、これまで、女性でよかったと思ったことがあまりなかったんです。
でも、今回、お産というものを経験して、生まれてきたわが子の顔を見たときに、初めて「女性でよかった」と、素直に思えたんです。
出産を終えてから、夫に初めて言った言葉は「こんな経験をさせてくれてありがとう」でした。
――立ち会ったパパも感動していたのでは?
栗原 はい、すごく感動していました。夫は自分では「思ったより落ち着いてる」と話していたのですが、あとから夫が撮影してくれた動画を見たら、手が震えて映像が揺れていました。しかも、誕生の瞬間は、私の頭しか映っていなくて(笑)。その動画を見て、彼も私以上に感情が高ぶっていたんだろうな…と思いました。
実は、予定にはなかったんですが、誕生の瞬間は私の母も立ち会ってくれました。私は立ち会えるのは1人までだと思っていたので、母には分娩(ぶんべん)室の前のベンチで待ってもらっていたんですが、先生がお産の様子を見にきてくれたときに、「お母さんが外で待っていたけれど、入ってもらったら?」と言ってくれて、急きょ。だから、誕生の瞬間は、3人で涙を流して喜びました。そして、母には、「こんな思いをして産んでくれたんだね、ありがとう」と、改めて心から感謝の気持ちを伝えました。
産後は普通にスタスタ歩いてしまい、助産師さんに「もっと慎重に」と言われてしまいました
――陣痛が進むのに時間がかかって、無痛分娩の麻酔の効果もどうなのか…という状況で、体力を消耗したのではないでしょうか?産後の体調は大丈夫でしたか?
栗原 分娩台で経過観察をしてから入院室に戻るとき、私はいつもと変わらずにスタスタと歩けたんです。自分ではそれが普通だと思ったんですが、助産師さんには「そんなにスタスタ歩かないで。貧血もあるかもしれないから、ゆっくり、気をつけて歩いて」と言われて…。なんなら、荷物も自分で持とうして、止められて車いすに乗せられました。たまたますれ違った産後すぐの妊婦さんは、壁伝いに、ゆっくり歩いていたので、「そっか、あのくらい慎重にするべきなんだ…」と反省したり。
産後すぐは、足がつらいという感覚はあったのですが、スクワットとかですごく追い込んだときに、こういうのあったなぁ…って(笑)。それで少し休んで部屋に戻るときはもう大丈夫そうだったので、普通に歩いてしまったんですよね。
出血が多くて、貧血の数値は出ていたので、すごく元気ってわけではなかったんですが、それでも、入院室に戻ってからは、疲労よりも、まず、「おなかすいた!」が先でした。部屋に戻ってすぐに差し入れのスイーツを食べる姿を見て、母が「本当に、あんたは~」と笑っていました。
お話・写真提供/栗原 恵さん 取材・文/渡辺有紀子、たまひよONLINE編集部
妊娠中の経過を詳しく教えてくれた、栗原さん。陣痛の波に合わせて上手にいきむことができたということは、無痛分娩の麻酔の効果が半分だったおかげかも…!?それでも、産後すぐ動けたというのは、さすがアスリートですよね。
後編では、初めての育児について聞いています。ぜひそちらもcheckしてくださいね。
栗原 恵さん(くりはら めぐみ)
PROFILE
1984年生まれ、広島県出身。小学校4年からバレーボールを始め、高校バレー部では国体・春高バレー・インターハイ優勝も経験。2001年から全日本女子メンバーに選出され、「プリンセス・メグ」の愛称で親しまれる。2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックに出場。2019年に現役を引退後は、スポーツキャスター・タレント・モデルとして多方面で活躍中。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年4月現在のものです。