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長男はダウン症。心臓疾患、手の指は6本あった。障がいがあっても楽しめるピアノ教室を主宰する母【体験談】

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ピアノ講師の花崎望さんと、長男の翠(みどり)くん(当時生後2カ月)。翠くんには、ダウン症や心臓病、多指症などの疾患がありました。

花崎望さんは、「しょうがいがあってもなくても音楽たのしもう♪」という理念のもと、ピアノ教室のOttO響育社(オットーキョウイクシャ)を主宰。生徒の中には、ハンデがありながら全国コンクールで入賞する実力者や往復3時間以上かけて通ってくる人、有名音大を目指す人もいます。一方で、花崎さんは、第1子が心臓疾患、ダウン症候群(以下ダウン症)、多指症などを抱えて生まれ、育てた経験をしています。花崎さんが、どのような思いで障がいのある人を指導しているのか。その信念や、長男に障がいがあるとわかったときの心境を聞きました。全2回のインタビューの前編です。

障がいのある子どもが、音楽を体全体で楽しむ姿に心を打たれた

花崎さんのピアノレッスン風景。障がいのある子どもの指導を得意とする一方で、有名音大志望者も数多く指導しています。

――花崎さんが障がいのある人をレッスンするようになった経緯を教えてください。

花崎望さん(以下敬称略) 私がレッスンを始めたのは、音大生だった18歳のとき。通っていた教会の知人に頼まれたのがきっかけでした。そのなかに、障がいのある子がいたんです。

“こうちゃん”という5歳の男の子で、生まれつき手が変形していて、重度の知的障がいもありました。でも、私がピアノを弾くとピアノに耳をあてて聴いたり、音に合わせてカーテンや窓をあけてみたりと、音に敏感に反応するんです。「きっと、音が響く方向を見つめているんだ」と思いました。最初に来たときは、ピアノの前にはいっさい座らなかったのに、10歳になると30分座れるまでに成長しました。そこで、こうちゃんの発表会を開催したところ、新聞に取材されたんです。その記事の影響もあって、障がいのあるなしにかかわらず、生徒がどんどん増えていきました。

音に敏感に反応するのは、こうちゃんだけではありません。たとえば、演奏に合わせて、とても美しいジャンプをする子もいました。私がピアノを弾くと、あまりにも美しく飛ぶので、私は「もっと飛べ~!」と言いながら演奏を続けて、どんどん飛ばせて。体全体で音楽を楽しんでいる姿を見ているうちに、私もすっかり楽しくなっちゃいました。

この子たちとの時間を通して、私は障がいのある子どもの指導にどんどん喜びを感じるようになりました。ちなみに、こうちゃんは出会って30年以上たちますが、今もレッスンに来てるんですよ。

障がいのある子を指導できるのか、最初は不安があった

OttO響育社の生徒は現在100人以上。そのうち半分ほどが障がいのある人で、0歳から通い続けている生徒もいるそうです。

――障がいのある子をレッスンすることに、不安はなかったですか?

花崎 最初はありました。障がいのある子どもと接するだけなら、私の弟が重度障がい者だったので慣れていたんですが、お子さんをお預かりしてレッスンするとなると、責任がとれるか不安だったんです。障がいのある弟をまさに育児中の母に相談すると、母は「障がい者は受け入れてくれる場所がなかなかない。受け入れるだけでいいのでは」と。実際、こうちゃんもピアノをやってみたくても通えなくて困っていた子の1人でした。そこで、私にできることを保護者に話し、理解していただいたうえで、レッスンを始めることにしました。

――開設当初からの信念や、大切にしていることを教えてください。

花崎 子どものじゃまをしないことです。障がいのある子は、ピアノの前に座るまで早くて3年、長い子は5年かかることもあります。座らないときは、私がオリジナルのプログラム曲を30分弾いて歌う。それでいいんです。座らなくても、興味がなさそうでも、耳で聴いて、音楽を感じているのだから。そして、ピアノを弾く私の近くに寄ってきたらチャンス! すっと手を引き寄せて、鍵盤に触らせてあげるんです。こんな具合に、私は、その子のその瞬間の興味をじゃましません。そのまま育ってほしいと思っています。

また、どの生徒も同じように扱うことも大切にしています。私の生徒には、音大を目指す人も多くいます。そういう人たちと障がいのある人では、レッスン内容は違っても、使う教室もピアノも発表会も区別しません。だから、両者が触れ合う機会も多く、それは双方にとっていい効果があると思っています。

たとえば、全国コンクールを控えた生徒の次の時間が障がいのある生徒のとき。教室にピリッとした緊張感が充満していても、障がいのある生徒が入ってくると、急に空気がふわっと和やかになって、コンクール前の生徒の緊張をほぐしてくれるんです。逆に、障がいのある子にとっては、音大を目指す生徒の本格的な演奏を聴くことが刺激になります。

男の子を出産。6本の指を見て「絶対にピアノがうまい!」と思った

生後2カ月の長男・翠(みどり)くんと。翠くんは心臓に疾患があり、入退院を繰り返しました。

――花崎さんはレッスンを始めて12年後の2009年に第1子を出産しました。妊娠経過と出産はいかがでしたか?

花崎 妊娠中は、妊娠7カ月から切迫早産で自宅安静を余儀なくされました。レッスンはお休みして横になっていましたが、妊娠36週に陣痛が始まりました。かかりつけの助産師の判断で、大学病院へ車で急行すると、到着後ほどなくして破水。そして、1回いきむと、するっと息子の翠が生まれたんです。ところが、赤ちゃんの顔はチアノーゼで青紫色に。私は抱っこもできず、赤ちゃんはそのままどこかへ連れて行かれました。そんな状況でも、私は生まれたことがうれしくて、ハッピー全開。「赤ちゃんは、どこかで生後の処置をしてもらっているんだろう」なんて考えながら幸福感に浸っていました。すると、医師が深刻な顔で入院室に入って来て、息子は心臓疾患の疑いで命の危険があり、現在NICU(新生児集中治療室)で治療中であると告げられました。

それでも、私は「NICUがある病院でよかったね~」と楽観的。ところが、NICUで赤ちゃんと初対面した夫がワーワー泣きながら入院室に戻ってきたんです。聞けば、息子の手の指が6本あり、そのことに夫はショックを受けたようでした。だから、私は言ったんです。「指が6本あるなら、絶対にピアノがうまい! 手が小さいと難しいラフマニノフの曲も弾けちゃうかも!」。この言葉に、夫はあきれていました(笑)

息子は生後2日間、意識がありませんでしたが、3日目に初めて目を開け、3週間ほどで退院できました。

――翠くんは、生後2週間にダウン症と診断されます。そのときの花崎さんの気持ちや、ご家族の反応はどのようなものでしたか?

花崎 生後まもなく「ダウン症の疑い」と聞いてはいたものの、診断が確定した日は、ひと晩中泣きました。診断時は、息子の染色体の画像をバーンと見せられ、「21番目の染色体が1本多い21トリソミー(ダウン症)です」と説明されて。その説明がストレートすぎたからか、急に現実を突きつけられたようで、とてもショックでした。その晩は、泣きながらダウン症の情報をひたすら検索していましたね。

私の両親は、「翠はうちを選んできてくれたね。みんなで育てよう」と言いました。義両親はショックを受けていましたが、看護師である義母が「そうだったんだね」と静かに受け止めてくれて、心強かったのを憶えています。

お話・写真提供/花崎望さん 取材・文/大部陽子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編 

ピアノ教室は産後1カ月に再開予定でしたが、翠くんの看病のため、かなわず。しかし、花崎さんは、翠くんとともに、ある計画を進めていました。後編では、その計画や育児のこと、生徒への思いなどを聞きます。


「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信します。

花崎望さん(はなさき のぞみ)

PROFILE
ピアノ講師。OttO響育社代表取締役。1997年福岡女子短期大学音楽科卒業。翌年同大学専攻科卒業。ソロ・室内楽・伴奏等で演奏活動を行うほか、講演や施設等のボランティア演奏、後進の指導の他、コンサート、コンクール主催等行う。ベビーマッサージ協会認定講師。

花崎望さんのInstagram

花崎望さんのブログ

OttO響育社ホームページ

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月の情報で、現在と異なる場合があります。

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