中川翔子、レベル40で男の子の双子の母になる。「高齢、多胎、ハイリスクをなめちゃダメ!」と病院で言われ、緊張感のある妊娠生活に
2025年5月5日、自身の誕生日に妊娠を発表した“しょこたん”こと中川翔子さん。「大好きなご先祖様の血をつなぎたかった」という中川さんのおなかには2つの命が宿り、そのおなかは日に日に大きくなっているそう。妊娠を機に変わったことや、中川翔子さんが特別な思いを寄せる家族について、詳しく話を聞きました。
高齢出産で多胎。「ハイリスクだと肝にめいじて」と言われて
――妊娠がわかったときの気持ちを教えてください。
翔子さん(以下敬称略) 結婚が38歳のときで、夫も同い年だったので年齢的にも最初から不妊治療クリニックですぐに体外受精、受精卵を凍結してチャレンジしていました。
ただ、着床してもすぐにはうまくいかず2回も胎嚢確認後に稽留流産になっていました。
忙しい仕事の合間を縫って不妊治療をしていく大変さ、つらさ、着床しても喜んだのも束の間に悲しみがくる、気持ちを保っていることが大変でした。
そんな中、3回目のチャレンジでまた胎嚢確認までいきました。
実はパートナーに出会えるかわからないころに卵子凍結に挑んでいたりもして、その少し若いときの卵子を1つだけ凍結している病院から保管期間を延長するかどうかの連絡があり、その手続きのために病院に行った際に、念のためにエコーも見てもらったんです。妊娠7週のときでした。すると「双子ですよ」って言われたんです。ものすごくびっくりしました!
実は、これは理屈では説明できないんですけど、検査を受ける前からなんとなく、おなかに赤ちゃんが2人いる気がしていて・・・、予感が見事的中しちゃいました!
――妊娠中の体調についてはいかがですか?疲れやすいなどありますか?
翔子 妊娠初期のころは、おなかに痛みを感じたり出血があったり、ドキドキすることばかりでした。その上お医者さんからは「高齢出産をなめないでください」「多胎はハイリスクだと肝にめいじてください」とたびたびくぎをさされていたので、「ついに妊娠できたぞ!」という喜びより、「まだまだ安心できないぞ!」という緊張感のほうが勝り、どこか妊娠を手ばなしで喜べない自分がいました。
――気持ちの変化などもあったのでしょうか?
翔子 そもそも、おなかが大きくなるまではあまり妊娠の実感がわかず、バニシングツイン(妊娠初期に起きる、双子の1人が消えてしまう現象)などが気になって、ネガティブになることも多かったです。
その後少しずつ、「走らないようにしなきゃ」「食べるものに気を使わなきゃ」と思えるようになったけど、双子は安定期がないとも先生に言われていたのでずっと怖かったです。でも、赤ちゃんを授かることは決して簡単なことではなく、その命は、奇跡がいくつもいくつも積み重なって生まれた尊いもの。だからこそ、自分のおなかに宿った命を守って生かす!ということだけを考えて、毎日を過ごしました。
妊娠を機に、ようやく大人になれた気がします
――初めての妊娠生活で、妊娠前と生活面で変わったことはありますか?
翔子 もともと「まぁ、いっか!」が口ぐせで、おいしいものを苦しくなるまで食べまくるのが大好きでした。でも、妊娠初期からむくみがすごい・・・。「双子だから押されているししかたなのかなぁ?食べたら栄養になるんだし・・・」なんて思っていたのですが、病院で「このままだと入院!高齢、ハイリスク、多胎をなめるな!」と厳しく注意をされて、塩分を制限した食事を徹底するように言われました。
妊娠初期のころは疲れやすくて、どうしても外食やウーバーに頼ってしまっていたのですが、先生に厳しく指摘されてやっと目が覚めました。
これからは「自分のためじゃなくて双子の命を守る人生になるんだ!」と。それから自炊を毎日心がけて、せいろ蒸しや調味料に気を使って料理をするようにしたり、着圧ソックスやむくみを排出するカリウムが豊富なスイカを食べたりして食事の工夫をしました。すると、見事にむくみが激減!入院も回避できて数値もよくなりました。
双子のためにも、料理を楽しめるようになってよかったです。
帝王切開で出産する予定なのですが、その日程はいつにするか、赤ちゃんたちの名前はどうするか、将来の教育費はどのくらいかかるのかなど、大事なことを自分で考えて決断するのも、おそらく人生で初めてです。
――価値感の変化などもあるのでしょうか?
翔子 新幹線や飛行機のチケット予約など、まわりの人に頼りきりがいつのまにか当たり前になってしまっていた人生だったけど、双子を守っていかなければ!の意識のおかげでようやくついに 大人にさせていただいた感じがします。遅いけど、(笑)
また、お仕事に対しても少し考えが変わって、以前は、産後即バリバリ働く!ファンの人たちのために妊娠や結婚したことについてはいっさい言わない、変わらないしょこたんでいよう、と思っていました。けれど、最近は“変わらないこと”をめざすのではなく、“変わること”で新しい自分も見せられるんじゃないかなと思えるようになりました。
妊娠当初、YouTubeでつわりの話など妊娠生活について語るのはどうなのかなと悩んだこともあったけど、私自身が同じことで苦しんでいる方の動画やSNSに救われることもあったので、私もたまにだったら・・・とつぶやいてみたら、女性の方からのコメントがすごく多くて。「一緒に頑張りましょう」とか「無理しないでね」とか、うれしい声がたくさん!世の中にはやさしい人もいっぱいいるんだな~と感動しました。
ちなみに、双子を妊娠しているとわかったとき、あまりにびっくりして、でもまだだれにも言えないので、匿名でたまひよのアプリに書き込んだことがあるんです。「今、双子を妊娠してるって言われてびっくりしてるんですけど、同じ境遇の方、いますか?」って(笑)。「私もですよ!」っていう書き込みに「同じ人いたー! よかったー!」ってテンションが上がったことを覚えています。
デジタルデトックスで、心穏やかに過ごすことに全集中
――仲よしのお母さまとはどんな話をしていますか?
翔子 妊娠生活の中で気づいたのは、メンタルを元気に保つことがいちばん大事だということ。母は私を妊娠しているとき、ストレスでごはんが食べられなくなって体重が落ち、しばらくしたら今度は暴食するようになり、一気に20㎏太ったらしいです。「足が空豆みたいになった」とか「ごはんが食べられないときは“みぞれバー”を毎日何10本も食べてた」とか、当時の話は昔からよく聞いていました。
とくにわが家の場合、母も若かったのですが、父が当時20代前半であまりに若かったから、母はほとんど頼れなかったみたいで・・・。
同じ妊婦となった今なら、母がいかに心細かったか、ストレスをためていたか理解できるので、「母を泣かせやがって!」と若かりし父をしかりたい気分です(笑)。だからこそ、私自身は心穏やかに過ごす環境を大事にして、ストレスフリーを心がけています。
――ストレスフリーのためにしていることはあるのでしょうか?
翔子 ただ、この情報社会で心を常に安定させることは想像以上に難しい! 私は夫に言われて、生まれて初めてデジタルデトックスをしました。スマホを夫に預けたり、目の届かないところにしまって、ただひたすら大好きなスイカを食べたり、アニメを見たり、幼いころに祖父母や両親が私にしてくれたことを思い返したり・・・。
そうすると自然と、幸せだなと思えることに目を向けられるようになるから不思議ですね。産まれてくる赤ちゃんたちに、私もこんなことをしてあげたいとか、未来の姿に思いをはせて、すごく幸せな気持ちになるんです。そんな穏やかな時間を過ごせるのも、息子たちが私のところにきてくれたおかげ。まだ産まれていないのに、早くもママを助けてくれている気がします。
祖父の影響で、母があわてるほど超グルメな女の子に!
――翔子さん自身の幼少期のことを教えてください。
翔子 産後、今でいう“ワンオペ”だった母に対し、私はしょっちゅう熱を出して、しょっちゅう泣いて、手がかかる赤ちゃんだったようです。3歳くらいまで哺乳びんが手ばなせなくて、たぶんおむつもはずれていなかったんじゃないかな。「パイパイ飲んで、ねんねする」って母に話していたのを、今でも覚えています。
ただ、あまり父が家にいなかったので、祖父母の家に預けられることも多く、私はそこにあったたくさんの漫画を模写して、3、4歳で自己流の漫画を描いていました。あと今思えば、祖父が私にとてもぜい沢をさせていて、フカヒレの姿煮がのったごはんを食べさせてくれたことも。
1週間くらい離れていて母が迎えに行ったら、欲しいもの食べたいものはすべて手に入る環境のためか、わがまま放題になっていたらしく(笑)、あわてて連れ帰ったというエピソードをのちに母から聞きました。
孫を甘やかすのは、おじいちゃん、おばあちゃんのあるあるですよね。産後、仕事に復帰するときは母の手を借りることになると思うので、もしかしたら今度は母が甘やかす番になるかもしれません!
――お母さまは双子妊娠について何かおっしゃっていますか?
翔子 母は、おなかの中の孫が女の子だと信じていたみたいで、男の子だと報告したときは「ギャー!男の子って謎、どうしたらいいかわからない!」と言っていましたが、すぐに2人の名前を提案したり、「伊勢丹で私がセレモニードレスを買う!」と言ったり喜んでくれています。
私が9歳のときに他界した父は、きっと天国で孫が男の子であることを喜んでくれている気がします。王子様のような甘い顔立ちなのに、自分のことを「ワシ」と呼んだり、下駄を履いて下町のおみこしを担いだり、世間で思われているよりずっと昭和な男だったので。
実は密かに、隔世遺伝で息子たちに父のビジュアルが受け継がれないかなと思っているんです(笑)。直接妊娠を報告できないのは寂しいですけど、その父の血をつなげられたのは、本当によかった。まさにミラクルです!
お話・写真提供/中川翔子さん 取材・文/坂井仁美、たまひよONLINE編集部
[メイン写真:撮影/藤原 宏 スタイリング/渡邊アズ(likkle more) ヘア&メイク/柏瀬みちこ(ROOSTER)]
パートナーであるご主人と出会う前から、何度も卵子凍結にチャレンジしていたと明かしてくれた中川さん。著書『ねこのあしあと』の中で、ご先祖様の血を受け継ぎ、その血を子孫に残すことは“壮大なドラマ”だと記しているとおり、そこには「ご先祖様の血をつなぎたい」という、譲れない、強い思いが秘められているようでした。
中川翔子さん
PROFILE
1985年生まれ。東京都出身。歌手・タレント・声優・女優・イラストレーターと多方面で活躍中。2019年には著書『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』を出版。父はミュージシャン・俳優の中川勝彦。2023年に結婚。2025年9月末ごろに双子の男の子を出産予定。
●記事の内容は2025年8月の情報で、現在と異なる場合があります。