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「妊娠おめでとう」と言われた日、乳がんの告知。「どうしたらこの子をあきらめない選択をできるの?」【妊娠期がん経験談インタビュー】

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「妊娠、おめでとうございます」。産婦人科でのこの言葉に、心の底からホッとし、喜びをかみしめ、まだ豆粒大のわが子にやがて会える日を想像して不思議な気持ちになる――妊娠したときのそんな感情が忘れられない女性はたくさんいることでしょう。そんなあたたかく、幸せな言葉を胸に抱いた当日に、がんの告知を受けた女性がいます。棚田奈々江さんは、待ちに待った第2子の妊娠が確定し、母子健康手帳をもらって来たその日に、乳がん検査の結果が悪性だったと判明。大きな不安の中、妊娠中に抗がん剤治療を受け、無事に出産までたどりつきました。その後も治療を続けながら、2児の母として育児に励んでいる棚田さんに、第2子の妊娠のこと、妊娠中のがん治療こと、副作用に苦しみながらの育児のことなどを聞きました。全2回インタビューの1回目です。

あきらめかけた第2子。そんな中、胸のしこりが気になり…

当時6歳の長女まぁちゃん、当時0歳の長男じょーくんと

棚田奈々江さんは2児の母。2015年に生まれた長女まぁちゃんと、2020年に生まれた長男じょーくんのお母さんです。第1子の出産から、第2子の出産までは約6年。その間、第2子を待ちわびていたそうです。

「実は私、学生時代から整ったことないというくらいの生理不順で。生理が終わったと思ったら、1週間後にまた来ちゃったり、出血の期間が長かったり、かと思えば3カ月も生理が来なかったり。そんな調子だったので、自分でも『子どもはできにくいだろうな』と感じて、結婚を機に婦人科に通い、妊娠のことも相談していたんです。

結婚から1年くらいたって、排卵誘発剤を使うお願いをしようかと夫と相談していたころに自然妊娠が判明して、生まれたのが長女です。娘の妊娠中は、おなかの中の赤ちゃんの成長がゆっくりになったり、妊娠高血圧症候群になったりと心配も多く、娘は1816gと小さく生まれ、1カ月ほどNICU(新生児集中治療室)に入りました。ただ、『小さいけれど元気』『ミルクもよく飲んでいる』という赤ちゃんでしたね。

そんな娘も成長し、まわりのお友だちママも2人目を妊娠する方が増えてきて、私もそろそろ2人目が欲しいなと思っていたんです。そこで、タイミングをとったり、排卵誘発剤の注射を打ったりと不妊治療の第1段階の治療を受けたんですが、なかなか妊娠することはできませんでした。

医師から、次のステップにも進めますよという話があったんですが、治療の過程で入院することもあるという話を聞き、上の子がまだ小さい時期だったので入院するのは困るなと思ったんです。2人目に来てほしい気持ちはあるけれど、すでに1人子どもを授かっているということもあって、半分あきらめて、半分ちょっと期待しつつ、自然に2人目ができたらいいなと、ゆる~く妊活をしていたんです」(奈々江さん)

そんな生活が4年ほど続いていた2019年の年末、奈々江さんは右胸に小さなしこりがあることに気づきます。

「『もしかして…がん?』というのは、一瞬頭をよぎったんですけれど、『いや、そんなわけないだろう。乳腺かな』って。やっぱり、がんって思いたくないという気持ちもありましたしね。でも、何日か後におふろに入ったタイミングで触ってみてもやっぱりある…。痛みはなくて、ただただしこりがある、という感じでした。

しこりに気づいてしばらくたった2月、乳がん検診に行きました。実の母も乳がんを経験しているということもあって、義理の母が『奈々ちゃんも、検診に行っておいたほうがいいよ』って言ってくれたことをきっかけに、娘の授乳が終わったタイミングで、毎年乳がん検診に行くようにしていたんです。

でも、いざ検診に行っても『気になるしこりがある』とこちらから言うのはなんだか怖くて、だまって検診を受けていました。そしたら、私が何かあるって感じていたところで、超音波検査をしていた先生の手が止まって…。そのときに『ああ、やっぱり何かあるんだな』と感じました。

超音波を見ていた先生には、その場で『これはいいものじゃない気がします』と言われました。それで、翌日、注射針を刺す細胞診(しこりなどに細い針を刺して細胞を採取し、がんかどうかを調べる検査)をしましょうということになりました。検査の結果は『疑陽性』。そこで、今度は細胞ではなく、組織片を採取する針生検を受けることに。それが2020年3月11日のことでした」(奈々江さん)

しこりが気になっていたのと同時期に、奈々江さんは自分の体のある変化に気づいていました。

「乳がん検診に行ったその日に、なんだか妊娠しているんじゃないか、という気がしたんです。基礎体温もずっと高い日が続いていたし、虫の知らせというか…。ただ、妊娠していたとしても、まだ妊娠2~3週で、妊娠検査薬をするにはちょっと早いかなと思ったので、1週間くらいたった日に妊娠検査薬を使ってみました。

そしたら、なんと陽性! 約6年ぶりの待ちに待った第2子妊娠にヤッター!という思いでいっぱいでしたが、同時期に乳がん検診でひっかかっていたので『この子も私も、これからどうなるんだろう…』とすごく心配になりました。

そのとき、おなかの子に『ママも赤ちゃんも両方大丈夫だよ!一緒に頑張ろう!』って言われているような感じがしたんです。まだ小さな小さなわが子に励まされている感覚があって、『この子はきっと私を応援しに来てくれたんだ』って思いました。

翌週、産婦人科に行くと、胎囊(たいのう)は見えたけれど、心拍はまだ。その2週間後、心拍は確認できたんですが、赤ちゃんのその影がすごく薄くて『ちょっとどうなるかわからない。もしかしたら、このままおなかの中で死んじゃうかもしれない』と言われてしまって…。乳がん検査の針生検を受けていた時期でしたし、期待と不安、いろんな感情が渦巻いていました」(奈々江さん)

そして2週間後、奈々江さんにとって忘れられない1日を迎えます。

待ちに待った妊娠確定! そして同日に乳がんの告知…

奈々江さんにとって念願だった第2子の妊娠。しかし、スタートから波乱万丈だった

「忘れもしない、2020年3月24日。午前中は予約していた産婦人科に行きました。すると、2週間前にあんなに影の薄かった赤ちゃんがすごく成長していたんです!私の目で超音波映像を見てもはっきりとわかるくらいに成長していて…。医師からも『これで妊娠確定ですね。おめでとうございます』と言ってもらえて、本当にうれしかったです。

待合室で待っていた夫にも『妊娠確定、もらえたよ!』と報告して、その足でさっそく母子健康手帳をもらいに行きました。

そのあとは、家族で長女のランドセルを見に行ったんです。当時、新型コロナウイルスが流行し始めた時期で、今後は見に行くことが難しくなるかもしれないね、と早めに買いに行くことになっていました。そして、その日の夕方、針生検をお願いしたクリニックから電話がかかって来たんです。

『検査の結果、やっぱりいいものじゃありませんでした。これからすぐに来られますか?』と。そこで、夫は娘と家にいてもらって、私は近所に住む母と一緒にクリニックに向かうことにしました。母も乳がん経験者ですから、私に乳がんの疑いがあると知って、『詳しいことを知りたいから一緒に行って話を聞きたい』と言ってくれて、付き添ってくれたんです。そこで詳しく話をされて、乳がんの告知を受けました」(奈々江さん)

約6年、待ちに待った第2子の妊娠確定、そして来春に小学校入学を迎える長女のランドセル購入と、棚田さん一家にとって、喜ばしいことがあったその日に、ショックな出来事でした。

「『まさかこんなことが起きるなんて』と精神的にもちょっと混乱しちゃうような感じでした。自分ががんになるなんて思ってもみなかったし、しかも妊娠中。これからどうなっていくのかも全く想像がつかない。

私はとにかくせっかく授かった子を守りたいという一心で、あきらめることを考えていませんでした。だから、がんを告知されても、自分のことよりも赤ちゃんの命を継続できるのか、ちゃんと産んであげられるのかということばかり考えていて、『この子がこれからどうなるのか』ということしか頭になかったんです。

だから、クリニックに一緒に行った母のほうが、私よりもものすごく心配していて、このまま妊娠していて大丈夫なのかとか、治療はしていけるのかということを気にしていました。母としては、がんだとわかったら一刻も早く体からそれを取っちゃわないと!という考えで、とにかくもう手術を早くしてほしいという感じ。妊娠していることで、できない治療もありますし、できない検査すらありましたからね。

私がおなかの赤ちゃんのことを大事に思うように、母にとっては、子どもである私のことを守りたいという気持ちが大きかったのだと思います。クリニックの先生も母もはっきりと『子どもをあきらめろ』とは言わなかったけれど、『1人いるんだし、子どもはね、また考えればいいし』と、遠回しにあきらめたほうがいいんじゃないかというニュアンスのことを話していました。

でも、私の中に中絶するという選択肢はなかったし、中絶なんて考えたくもなかった。だから、どうしたらこの子をあきらめずにすむか、どうしたらまわりを説得できるかということしか考えていませんでした。

がんが怖くないといったらうそになりますが、30年以上前に乳がんを患った母が、無事に治療を終えて今でも元気にしている姿をそばで見ていたので、私もきっと大丈夫!と思える勇気をもらったというか、希望を持っていました」(奈々江さん)

自分の体の心配よりも、おなかの赤ちゃんを守りたい気持ちが強かったという奈々江さん。そんな奈々江さんの決断を夫はどのように感じていたのでしょうか。

「夫は普段から口数が少ないタイプで、思っていることをあまり顔に出さない人なんです。あとで友人に聞いたところでは、乳がん検査でひっかかったときからすごく心配をしていたそうなんですが、そんな不安な気持ちを私にはいっさい言わなかったし、態度にも表さなかったですね。

だから、がんだとわかったときも、夫に特別なことを言われた記憶はないんですが、おなかの子どもを守りたいという私の気持ちは、常に尊重してくれました。もしかしたら、何か言ってくれたのかもしれませんが、当時は私もちょっと混乱していて、あまり覚えていないですね」(奈々江さん)

お話・写真提供/棚田奈々江さん 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

念願の第2子妊娠確定と、乳がんの告知が同じ日にされるなんて、思ってもみないことです。でも、だからこそ奈々江さんが感じたように、おなかの中にいた赤ちゃんが「大丈夫だよ!」と応援しに来てくれたのかもしれない、そう感じずにはいられません。後編では、妊娠をしながらのがん治療やその決断、小さな赤ちゃんを抱えながらのがん治療についても聞きます。

棚田奈々江さん(たなだななえ)

PROFILE
アイリストとして働く、2児の母。2020年、40歳のときに毎年受けていた乳がん検査でひっかかり、再検査に。同時期に第2子の妊娠が判明し、産婦人科で妊娠確定を告げられたその日に、乳がんの再検査の結果が悪性であったことが告知された。妊娠継続を決断したあと、妊娠中に手術を受け、抗がん剤治療もスタート。無事に出産を終えたあとは、副作用に苦しみながらもがん治療と育児を両立し、今年の5月、無事に術後5年を迎えた。Instagramには、妊娠中に手術を受けたころから現在まで闘病の様子をつづり、妊娠期がんについて発信をしている。

棚田奈々江さんのInstagram

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年9月現在のものです。

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