予想外の“男児の名前”に大苦戦!! 期限ギリギリまで悩んだ第2子の名づけ
4歳の娘・2歳の息子の子育てに奮闘しながら、フリーランスで仕事をしているママライターのTomomiです。私が第2子である息子を出産し、出生届の提出期限直前まで名づけに悩みあたふたしていたのは、33歳の夏でした。
まさかの男の子にびっくり!名前どうしよう?
第2子妊娠中、赤ちゃんの性別が分かったのは21週目でした。女系の家系で育っていた私には、まさかの「立派なのが付いているね」という先生の言葉にびっくり仰天。「我が家に男の子がやってくるなんて!」と個人的には大事件でした。
パパは大喜び。私もどちらの性別も育てられるのは幸せなことだと思った反面、すっかり姉妹の名前を考えてしまっていたので、真っ先に思ったのは「名づけどうしよう~」でした。
娘の時に使った名づけ本の男の子のページをパラパラと開くものの、なかなかピンと来なくて、もう1冊本を購入すべく本屋さんへ向かったのでした。
娘のお世話に忙しく、名前を考える暇がない!
2冊の本を読みながら息子の名前を考え始めたものの、毎日の娘のお世話でクタクタになって、寝かしつけしながら一緒に寝落ちしてしまう日々。落ち着いて名前を考える暇もなく、あっという間に妊娠後期に突入してしまいました。
その頃、息子の帝王切開の日程が決まり、7月7日の“七夕ボーイ”になる事が決定。七夕のイメージからピンときた漢字があり、そこからようやく1つ候補を出す事ができました。ちょうど、ひらがなにした時の音が娘の名前と韻を踏んでいて、ここもお気に入りのポイントでした。
1つ名前を思いつくと、そこからは不思議なもので、あれもこれもと候補が浮かび始めます。「こんな子に育ってほしい、あんな子に育ってほしい」主にイメージから連想する漢字を基に名前を考えていきました。
娘の時に散々やった姓名判断“五運”の計算は、意外と忘れずに覚えていて、スムーズに計算も進みました。いくつかの候補は挙がっていたものの、娘の時のように「絶対これ!」という名前には出合えないまま、出産を迎えたのでした。
緊急手術で出産予定日変更。七夕ボーイならず…
七夕の日に出産予定だった息子は、まさかの緊急手術で七夕ボーイにならず…。
生まれてから10日間の入院中にさらに名前の候補を増やし、退院後にパパと選ぼうと算段していましたが、妊娠高血圧症候群の後遺症やパニック障害の発症により、それどころではなかった入院生活でした。
一向に名前を決められず、やきもきする日々を送り、「もうこうなったら今ある候補の中から選ぶしかない!」「一生の名前なのにどうしよう!」と、焦る気持ちで退院し自宅へ戻りました。
出生届の提出期限が数日後に迫り、いよいよ夫婦会議も正念場。最終的には、一番初めに「良いな」と思った名前に決まりました。娘も息子も和風な顔立ちなので、古風な名前、姉弟で韻を踏んだ音、姓名判断と、全てがしっくりと落ち着き、無事に名付けをして出生届を出す事ができました。
息子の名前につけた私たち夫婦の思いは、“実直で人から信頼される、努力のできる人でありますように” “穏やかで粘り強く、愛される人でありますように” そんな願いを込めて名前を付けました。
息子の名づけは、主に母親である私が候補を挙げ、父親である夫の意見を取り入れて考えました。第2子の名づけは、第1子の時と比べると考える時間や余裕があまりなく、上の子の名前との関係性などを考慮して考える分とても苦戦しました。また、日本人の名づけは海外のそれと比べても名づけ方が複雑で、ひらがなや漢字、カタカナやローマ字と、いろんな視点から考える大変さもあります。しかし私は4つの名前のバリエーションを持って生まれてきた事に密かに誇りを持っています。息子にも日本人である事、漢字の名前、ひらがな・カタカナの名前、ローマ字の名前、全てに誇りをもって堂々と歩んでほしいなと思います。
[ Tomomi * プロフィール]
20歳で日本を飛び出しオーストラリアで就職。現地で出会った夫を日本に連れ帰り、茶畑に囲まれたのどかな土地で一姫二太郎の育児に奮闘中!趣味の“旅行” “フェス” “アウトドア” に子ども達と行きたいと妄想しながら、現在は“パン作り” “園児が喜ぶお弁当作り” “手芸” に挑戦中の35歳、在宅ママライター。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。