「絨毛膜下血腫」を抱えて挑んだ私の出産!37週の前駆陣痛は、予想外の本陣痛
28歳の時に、上の娘が1歳半というタイミングで第2子を妊娠した私。妊娠9週で「絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)」による大量出血を起こして、20日間の入院生活を経験しました。その後、自宅安静となってから21週で血腫が消えるまで、紆余曲折のマタニティライフでしたが、最後の大仕事は「出産」でした。
予定日3週間前、まさかの陣痛サプライズ!
予定日まであと3週間という、一般的には「まだ余裕」な時期に、何の前触れもなく突然、陣痛が始まりました。第1子の時の経験上、「前駆陣痛」についてはよく知っているつもりでした。「お産が近くなっている」というサインで、それで私の心の準備ができます。時期的に考えて、これは「前駆陣痛」だと信じていました。
妊娠37週、明け方から頻繁なおなかの張りを感じるようになりました。私は「あ、前駆陣痛だ!」と、お産の予兆を感じて少しうれしい気分でした。ところが、この前駆陣痛は、全くおさまる気配がありません。「まだ予定日まで3週間もあるけど、まさか」と思いながら、間隔をストップウォッチで計ることに。
非常に焦りました。なんと、間隔はすでに5分。時々は3分間隔の場合もあり、「これでは、お産が始まってしまうかもしれない」と、焦って産婦人科に電話し、指示を仰ぎました。症状を伝えると、「経産婦なので、すぐに受診を」とのお返事でした。寝ていた夫を叩き起こし、パジャマ姿の娘を抱っこして車に乗り込みました。
微弱陣痛は第2子でも繰り返すのか?という疑問
「はい、今、子宮口は何センチ開いているでしょうか?」
産婦人科に到着するやいなや、内診台に乗せられた私に、助産師さんからこんなクイズが出題されました。緊張をほぐすための工夫かもしれませんが、子宮口が開くという自覚症状は私にはなく、答えはさっぱり分かりませんでした。
クイズの答えは「6センチ」。赤ちゃんもだいぶ下がっており、猛スピードでお産の準備が始まりました。前駆陣痛だと高をくくっていた私でしたが、「あと数時間後には、わが子を抱くことになるのだ」と実感。ただ、不思議だったのは陣痛が「痛くない」ということでした。赤ちゃんを分娩するにはもっと“強い陣痛”が必要であると、第1子の時に経験していたからです。
私はこの時、微弱陣痛で促進剤を使用した3年前のお産のことを漠然と思い出していました。
強い陣痛来い!分娩台の上での体操が安産の決め手
お産の準備が整い、夫も立ち会う格好に着替えてビデオを構えましたが、やはりここ1番の強い陣痛が来ないという問題に直面しました。1人目は微弱陣痛が長引くのを懸念して、促進剤を使って出産しました。「今回もまた同じ展開が待っているのか」と思っていると、助産師さんから意外な提案が。
「分娩台の上で体操しましょう!」
体操をすることで、赤ちゃんが産道を通る時の回転を助けることになり、お産がスムーズになり、良い陣痛が来やすいというアドバイスでした。早速、よつん這いなったり、助産師さんの合図に合わせて体を傾けたりする体操をすることに。なかには、つらい姿勢もありましたが、体操はとても効果がありました。
体操を始めて10分後くらいから、徐々に強い陣痛が来るようになったのです。その波に合わせて、ぐっといきむ。その時、助産師さんは力いっぱい肛門を押してくれました。これがとてもいきみを楽にしてくれて、数回繰り返すと赤ちゃんの頭が見え、「するん」と産まれてきてくれました。
前駆陣痛と思い込んでいた時から約5時間後、私は無事に元気な男の子を抱っこしました。
妊娠37週0日、午前8時47分。体重2798グラム、身長49.5センチの第2子が誕生しました。妊娠初期のトラブルに苦労し、つらい日々もありましたが、お産自体は非常に安産でした。「赤ちゃんに会える可能性は半分」と、「絨毛膜下血腫」で入院することになった際に医師から告げられたとき、「絶対にこの子の顔を見る」と決意しました。こうして無事に出産でき、子どもの顔を見た瞬間の喜びは、この先も一生忘れることはないと思います。
[あしださき*プロフィール]
高校の担任からも「楽観的な性格」と評され、とにかく楽観思考の3児の母です。物事はあまり複雑に考えず、元気なわが子に会えればそれが安産だと思うタチ。主にママ業、時々在宅ライターを兼務中。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。