次女のスピード出産で“何もしていない罪悪感”に陥った私を救った言葉
2人の娘がいる、ママライターのにゃにゃです。結婚3ヶ月で夫の転勤があり、自分は仕事を辞めていたので、次女を妊娠したときは専業主婦でした。私が長女を出産した時は、分娩所要時間が32時間という長さでした。なので、今回はお産が軽く済むようにと、安定期以降は体を動かし、体重増加を抑える努力をしました。
長女のお産が長かったので、妊娠中から努力した
長女の出産が長時間におよんだ経験から、今回の第2子の出産に向けては、日頃から努力するように心がけました。ラマーズ法の本を読み、2歳の長女と一緒に陣痛の痛みを和らげる呼吸法の練習をして、出産に備えていました。
でも、長女の時と同様に第2子も予定日になっても生まれてくる兆しはなかったので、医師の勧めで、その日は階段昇降を繰り返しました。すると、その効果か、翌日の明け方に少量の破水があったのです。
すぐに産院に電話をしたら、「少量のようだし、まだ陣痛がないのなら、診察時間に来てください」との返事でした。なので、ドキドキしながらももう少しと、朝まで寝ました。
陣痛促進剤を打って2時間半後には出産!?
朝になり朝食もしっかりと食べた後、母、長女と3人で診察を受けに産院に向かいました。すると、予定日も過ぎているからと陣痛促進剤を使用することになりました。「出産は夕方ぐらいですかね」と言う医師の言葉に、母と長女は帰宅しました。
私も、「夕方なら、夫も産院に来られるかな」ぐらいの気持ちで、10時頃に陣痛促進剤の注射を受けました。促進剤を打ったら、10分ぐらいの間隔での陣痛がすぐに始まりました。でも、まだまだ弱い痛みでしたので、ラマーズ法の呼吸法を繰り返して痛みを逃しました。
11時過ぎには、7分ぐらいの間隔になりましたが、長女のときに比べれば、気持ちにも体力にも余裕があり、ラマーズ法の呼吸で我慢できる痛みでした。
11時半になり、昼食が運ばれてきました。長女のときに食事をとらずに最後はヘロヘロだったのが反省点だったので、5分間隔ぐらいの陣痛に「イテテテ…」と口走りながらも、おいしく食べました。子宮口の様子を診に来た看護師さんも、「元気に食べているので、お食事の後にしましょう」と部屋を出てきました。
食後、12時頃に看護師さんに子宮口の様子を診てもらったら、「大変!もう生まれそう!」と大騒ぎになりました。でも、3分間隔ぐらいだったので、自分は、まだのんきに構えていました。
なので、車椅子は断り、隣の分娩室まで自力で歩いて分娩台に上がりました。そうしたらほっとしたのか、突然大きな陣痛が何回も続けてきて、20分後には次女の大きな産声が聞けました。
結局、次女の分娩所要時間は2時間半で、出血量も少ない“スピード出産”となりました。
出産の早さに、“何もしていない罪悪感”がわいた
看護師さんや医師から、「まれにみる安産だったね」と言われ、両親や夫も誰も間に合わない驚くほどのスピード出産でしたが、実は私は困っていました。
というのも、予想外の出産の早さに、何もしていない罪悪感がわいたからです。長女の時は、出産後達成感でいっぱいだったのですが、次女の時は、「うれしいけど、何もしていないのにもう終わったの?」と、中途半端な気持ちが残りました。
体力もあり余っているので、眠ろうとしても眠れず、出産当日の真夜中に睡眠薬をもらい、やっと寝たのを覚えています。その後も退院までは落ちこみやすい気分が続き、夫や両親は、いつもとテンションが違う私を心配したそうです。
妊娠40週で生まれた次女は、体重3855g、身長53.0cmの赤ちゃんでした。大きくて扱いやすいので、産院でも褒められました。でも、褒められるたびに、「私は何もしてないんです」と、ひがんで落ち込みました。しかし、退院の日に助産師さんから「お母さんと赤ちゃんの息がよく合っていたから、早いお産だったわね」と言われたときにやっと、「自分も頑張れたかな」と思えました。その言葉がありがたかったので、以来、私も産後のお見舞いでは、お母さんをたくさん褒めるようにしています。
[にゃにゃ*プロフィール]
二人の娘たちが手を離れたので、今は夫と二人暮らしです。週に4日ほどホームヘルパーさんの仕事を兼務しています。時々、1歳の孫の子守りもしていますが、私にとっては初めての男の子なので、することなすことが大胆で驚いています。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。