「家族になりたいだけなのに…」不妊治療、死産を経て、養子を待ち続けて3年、ようやく出会えた「娘」との日々
2018年9月、特別養子縁組前提で当時2歳4カ月の女の子・なっちゃんを迎え入れた、会社員のママ(43歳)とパパ(45歳)。死産や約10年にわたる不妊治療に加え、3年間養子を待ち続けた経験を持ちます。シリーズ3回目となる今回は、なっちゃんと初めて会うまでの経緯やエピソードについて、ママとパパに加え、児童相談所と連携して里親探しをする団体「家庭養護促進協会 大阪事務所」のソーシャルワーカー山上有紀さんも交えてお聞きしました。シリーズ全4回でお届けします。
待てど暮らせど養子の紹介なし。治療して産むほうが早いと思った
約10年にわたって不妊治療を続けてきたなっちゃんのママとパパ。特別養子縁組を考えるきっかけは、かかりつけ医の勧めだったそうです。
「妻が人工授精を10回くらい受けたんですが、子どもを授からず、かかりつけ医から“里親制度を考えるという手もあるよ”と勧められたんです。それは、なっちゃんと出会う3年くらい前のことです。
実は、不妊治療の前に死産の経験もあって…。そのとき、おなかの赤ちゃんと妻、どちらを優先するかという命の選択を迫られたんです。それを機に、命より大事なものなどないと強く思うようになりました。だから、元気であれば血縁のこだわりはなかったし、妻が子どもを欲しがってたのもわかっていたので、里親制度に抵抗はなかったです」(なっちゃんパパ)
かかりつけ医の勧めからまもなくして、特別養子縁組を決意し、地元の児童相談所で里親登録をした、なっちゃんのママとパパ。でも、なかなか子どもを紹介してもらえず、児童相談所からの連絡を待ちながら、並行して体外受精も受けたと言います。
「かかりつけ医のポリシーで、人工授精までしか治療してもらえなかったので、別の病院で体外受精を4~5回受けたんです。児童相談所からは養子を紹介してもらえず…。もう、子育てできるなら、治療して産んだほうが早いかなと。“子育てができるなら、治療して産んでも養子を迎えてもどちらでも構わない。早い方がいい”そんな心境でしたね。
結局、3年待ってようやく児童相談所から連絡が来たんです」(なっちゃんママ)
3年待ちの児童相談所からの連絡で状況が一変!
養子の紹介を待ち続けること3年。ようやくなっちゃんのママとパパの元に、地元の児童相談所から連絡が来ました。
「大阪市の児童相談所から、都道府県の児童相談所宛に、里親になりたい人を探しているという連絡があったそうです。それが私たちの地元の児童相談所にも届いて連絡が来たんです。
連絡を受けて地元の児童相談所へ行くと、新しい親を待っている子どものリストだけがありました。詳しい情報はつかめなかったんですが、そこから家庭養護促進協会とつながって、特別養子縁組に至りました」(なっちゃんのパパ)
「家庭養護促進協会 大阪事務所」は、児童相談所と連携して活動しており、大阪府や大阪市の児童相談所が全国の児童相談所に働きかけて里親を募る依頼をすることもあるのだとか。
「大阪には新しい親が決まらない子どもがたくさんいます。私たちの協会は民間団体ですが、児童相談所と連携して、依頼を受けた子どもを新聞に掲載し、里親希望者を募っています。それでも、里親がなかなか決まらなかった場合に、大阪の児童相談所が他府県の児童相談所に呼びかけて、子どもたちの情報を提供し、未委託の里親さんへの紹介をお願いすることがあります。でも、それぞれの児童相談所や相談員さんが積極的に動いてくれなかったら、ママとパパに情報は伝わらなかったでしょう。それぞれが前向きに考えて行動してくれたからこそ、なっちゃんとの出会いにつながったんです」(山上さん)
“あなたの愛の手を”でなっちゃんに出会い、翌日に申し込み
2018年3月、なっちゃんのママとパパは大阪の家庭養護促進協会を訪問。協会職員と面談します。
「2時間近く面接を受け、最後に“あなたの愛の手を”のスクラップを手渡されました。“気になる子どもがいたら、子どもの事情を聞いてもらうこともできますよ。通常は1人に絞ってもらっていますが、遠方から来られてますし、2人くらいなら…”と言われたんです。そんな重要な日に限って体調を崩し、顔面蒼白な状態で臨みました。朝一番で点滴治療を受けて、何とか最後の候補選びだけ同席した記憶があります」(なっちゃんパパ)
一方、ママはどのように候補選びに臨んだのでしょう。
「具体的な話はもっと先だろうと思って、何も決めずに行ったものだから、“とりあえず男の子1人、女の子1人にしようか”と。あまり深く考えずに候補を選んだ感じでした」(なっちゃんママ)
なっちゃんのママとパパは、家庭養護促進協会 大阪事務所を訪問して驚いたことがあると言います。
「個人的な感覚ですが、地元だと候補の子どもが全然見つからなくて、待つのが当たり前。でも、大阪に行ってみたら、親になってくれる人を待っている子どもがたくさんいるという、真逆の現実に驚きました」(なっちゃんパパ)
「私たちが3年待っていたのは何だったんだろうとね」(なっちゃんママ)
なっちゃんのママとパパが暮らす地域では、新しい親を待っている子どもを探しにくいのに、大阪はなぜ多くの子どもが待っているのでしょう。
「大阪の児童相談所には、実親のもとに戻る見込みのない子どもは里親委託の可能性を探る、という姿勢があります。さらに、なっちゃんのママとパパが暮らす地域に比べ、社会的養護※1の子どもが桁違いにたくさんいるという背景もあります」(山上さん)
※1 保護者がいない子や実親に育てられない子どもたちを、公的な責任のもとで社会的に養育し保護すること。養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うこと。
毎日新聞の連載記事“あなたの愛の手を”のスクラップから、養子の候補を選んだママとパパ。夫婦で一晩考え、翌日に“なっちゃん”に申し込みをします。
「申し込みの時期が、ちょうど養親講座を開催していたころだったので、参加してもらいながら、面談を行いました」(山上さん)
ママとパパは面談で、なっちゃんにかかわる重要な事実を聞くことになります。
「“言葉がなかなか出ない…”発達がゆっくりかもしれない」
ママとパパは、ソーシャルワーカーの山上さんとの面談で、なっちゃんの養親となる覚悟を問われる質問を受けます。
「“なっちゃんはもうすぐ2歳ですが、発語も少なく、運動発達などもゆっくりなんです。発達の遅れがあっても本当に引き受けられますか?”“ママが育休を取るなら、赤ちゃんのほうがよくないですか?”などと念押しをされましたが、気持ちは動きませんでした。発達がゆっくりなら、それに合わせてサポートすればいいし、3~4歳くらいまでの子ならいいなと思っていましたから」(なっちゃんママ)
このあと、面接や家庭訪問調査などを経て、施設で暮らすなっちゃんとの初面会や実習に入ります。それが終わると、いよいよおうちに迎え入れることに。シリーズ最後の4回目は、初対面からおうちに迎え入れたあとのこと、なっちゃんの今の様子などをお届けします。
取材協力/公益社団法人 家庭養護促進協会 大阪事務所
法律※2に定める許可を受けた養子縁組のあっせん団体(全国22団体※3)のうち、児童相談所と連携して児童福祉法上の里親を探し、養子縁組を促進する国内唯一の社会福祉団体。
昭和39年から始まった大阪事務所がこれまでに取り持った、養子・養親里親の数は1422組(2021年3月現在)。昭和37年から始まった神戸事務所もある。
※2民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律(平成28年法律第110号)第6条第1項
※3厚生労働省家庭福祉課調べ/令和3年4月1日現在
地域によっては、新しい親を必要としている子どもと、親になりたい人とのマッチングがうまく進みにくい現実もあるようですね。
「子どもとキャッチボールがしたい、一緒にかわいい服を着てみたい。特別養子縁組を考えるきっかけは、そういう願いでもいいんだと思います。でも、特別養子縁組制度は、子どもがいない夫婦のための制度ではなく、社会的養護が必要な子どものための制度なのだということを痛感しています」とパパ。
未来は、この世に生まれたすべての子どもが平等に持っている特権。子どもたちの明るい未来を守るために、まずは自分にできることを考え、やってみようと取材を通じて思いました。
取材・文/茶畑美治子